第27話 ヴンダール迷宮 第4層 東区画 捨てられた砦 ⑧

 その瞬間、ヴァンパイアの口からイグの顔面目掛けて赤色の液体が飛び出した。


 完全に意表を突かれてしまったのか、あれだけ避けろと言っていたにも関わらず、イグは咄嗟に空いた手で顔を庇ってしまった。左手に纏わりつく赤い液体。イグの顔が見る見るうちに青ざめる。


「切り落とせ!」


 おれは叫んだ。ヴァンパイアの放った攻撃に触れると、そいつもヴァンパイアの一部になるとスピレウスが言っていた。浸食された腕を切り落として助かるものなのか分からないが、それでも試す価値はある。


「無理だ! 動かない」


 しかし、イグの左手はもう彼のものではなくなっていたらしい。ヴァンパイアに操られた左手がショートソードを握る右腕に絡み、まるで壊れた人形のようにその動きを封じられていた。


 こうなったらもうメロウの涙を使うしかない。

 おれが覚悟を決めて剣を抜いたとき、ちょうど窓の外からの攻撃が止んだ。


 スピレウス、遅すぎるぞ。とっくに死んじまったかと思ってた。


 分断が解けると同時に、おれは後ろからヴァンパイアを切り裂いた。そして、返す刀でイグの左手首を切り落とす。

 食いしばった歯の隙間から、言葉にならない声が漏れる。


 ヴァンパイアはというと、おれに切り裂かれた体を液状化して繋ぎとめ、ぐねぐねした体のまま外へ逃げだした。おれはすぐ指笛を吹きスピレウスに合図を送る。あとはあいつがうまくやってくれることを祈るしかない。


 おれはイグに向き直った。血だまりの中でイグは手首を抑えてうずくまっていた。


 ニーナが慣れた手つきで包帯とミョウバン、アルカンナを次々取り出し応急処置を行っていく。ニーナはヴェステ神殿の巫女として神から賜った祈りの力以外にも、薬学、医学など一通りの技術を幼少期から叩きこまれている。彼女に任せておけば、止血さえ失敗しなければ死にはしないだろう。


 おれは部屋を注意深く見回して、ヴァンパイアがその痕跡を残していないか注意深く探っていく。床にところどころ溜まってしまった赤い液体からは、これといって魔力の残痕は感じ取れないが、念のため空の革袋を使って部屋の外へ掃き捨てる。もちろん床に転がったイグの左手も外へ放り投げる。恨めしそうなイグの目がおれを追っていた。


「なんだ? まだ生きてたのか?」


「ええ、なんとか……」


 応急処置はうまくいったようだが、イグは憔悴を隠し切れないでいた。これ以上戦闘に参加するのは難しいだろう。


「何分たった?」


「まだ半分」


 ニーナがぶっきらぼうに答えた。せめて〝もう半分〟と言ってくれれば気も晴れたのに。


「あとは、スピレウスが追いかけっこでどれだけ時間を稼いでくれるかだな」


 おれはカレンシアの目を見ながら言った。


 次の襲撃を撃退できるという確信はもう持てなかった。30分間という目的達成の有無にかかわらず、攪乱のために打って出ていたスピレウスが戻ってきたら、それで終わりにしよう。


「戻ってくるぞ、カレンシア、そろそろ頼む」


 おれは窓の外を見ながら告げた。カレンシアが重そうに立ち上がり、障壁を張る準備を始める。これで丁度20分ってところか。


 おれは念のため、スピレウスを追ってくるヴァンパイアにもうひと泡吹かせるため身構えた。


 建屋の屋根や合間を文字通り飛ぶように駆けてくるスピレウス。ヴァンパイアが甲高い声をあげながらそれを追う。


「くそ、すまない、もう、限界だ」


 スピレウスが息を切らしながら窓から体を滑り込ませた。


 おれは窓際でヴァンパイアが追ってくるのを待っていたが、さすがに同じ轍は二度踏まなかった。


「障壁――」


 ヴァンパイアが次の手を打ってくる前に、カレンシアがすかさず障壁を張った。


 おれたちは満身創痍で床に座り込んだ。結局カレンシア無しで稼げた時間は20分そこらか。


 夜明けまで後1時間強。ここに居る誰にとっても、長い暁が始まった。

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