第26話 ヴンダール迷宮 第4層 東区画 捨てられた砦 ⑦

 障壁が消えると雨注のように飛んできていた赤い液体は、当然ながら窓から室内に入り込んできた。液体は壁に突き当たって水溜まりを作り、それがある程度の大きさになったとたんピタリと止んだ。


 来るぞ――


 おれは目で合図しながら息をひそめる。


 しかし、ヴァンパイアはいくら待てども室内に入ってこなかった。


 実はこうしている間、奴は音もなく1階から忍び込んでいたのだ。そしておれたちの意表を突く形で、2階の入口から突如としてその姿を現した。


 それはまさしく、おれの読みどおりの動きだった。


 ヴァンパイアが入ってきた瞬間、入口際で構えていた剣を、おれは思いっきり振り下ろした。

 頭から縦に真っ二つになるヴァンパイア。液化して再生しようとするところを、イグがすかさずアーティファクトで吹き飛ばす。水っぽい音が階段を駆け下りていくのが聞こえた。


 やはりこの戦法は有効なようだ。この迷宮で自分より格上の相手と戦うにあたって、最も効果的な戦法は籠城戦の他にないとおれは思っている。


 数少ない例外を除いて破壊不可能な迷宮の壁や天井は、人間が今までの歴史で培ってきた籠城戦術を発揮するにはもってこいの環境だ。この戦い方は既に多くの探索者に周知されていて、実際に第4層の王宮に棲みついていた〝ミノタウロス〟や第5層の〝ノッカー〟なんかは誘い出しからの籠城戦によって、いとも簡単に駆除されている。


「次は違う手でくるぞ」


 おれはイグに言った「射線が通る場所には立つなよ」


「わかってます」


 想定していたのは今の侵入方法を含めた5つのパターン。そのうち対処可能だと判断したのは3つだけ。だからこそおれたちは籠城戦でありながらも、受身で居続けるわけにはいかなかった。


 窓の外からまた雨注のような遠距離攻撃が繰り出される。次はかなり角度をつけての攻撃だ。おれたちは全員壁にへばりつくようにして流れ弾から身を守ろうとしていた。


「ロドリックさん! あれ!」


 いち早く異変に気付いたのはイグだ。部屋の隅に溜まっていた水溜まりが、薄っすらと盛り上がり始めていた。

 事前にスピレウスから聞いていたとおり、身体を構成するどの部分も本体になりうるというのは本当だったらしい。


 部屋に溜まった水溜まりの中から、ゆっくりヴァンパイアが現れる。ここまでは想定内だった。しかし、おれたちはすぐにその想定が甘かったことに気付かされることになった。


 信じられないことに、ヴァンパイアが部屋に入り込んできたのにも関わらず、窓の外からの遠距離攻撃はまだ続いていたのだ。


 おれとイグは窓から雨注のように注ぐヴァンパイアの赤い液体によって、部屋の中で見事に分断されてしまった。しかもニーナとカレンシア、そして水溜まりから出てきたヴァンパイアはイグの側に居る。この状況を狙って作ったのか? だとしたら完全にしてやられた。


 イグはおれを一瞥し自分の置かれた状況を理解すると、すぐさまヴァンパイアを吹き飛ばそうとアーティファクトを発動させる。だが、しっかりと固体化した上、極小の障壁を纏っているヴァンパイアはアーティファクトから巻き起こされる風程度では眉ひとつ動かさなかった。やはりこいつの魔術耐性を消すには一旦液体化させるしかないようだ。


 イグもその考えに行きついたようで、立ち上がろうとするカレンシアを制すと、覚悟を決めてショートソード片手にヴァンパイアと対峙した。行動不能になる程度まで体を切り落として液体化するのを待つ魂胆だろう。だが、果たしてイグにそれが可能なのか?


 カレンシアが判断を仰ごうとおれを見る。


 ここからではおれの攻撃は届かない。可能性があるとしたらメロウの涙を開放して装剣技を使うことだが……これからのことを考えると、ギリギリまでその手は温存しておきたかった。


 イグはおれの抱える葛藤を見透かしたように頷くと、しびれを切らしたカレンシアが障壁を使う前に、意を決してヴァンパイアに斬りかかった。

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