第24話 ヴンダール迷宮 第4層 東区画 捨てられた砦 ⑤
耳をつんざくような甲高い音が響き渡り、一斉に全員が飛び起きる。
スピレウスの青ざめた顔が、これがいつものことではなく、確かな異常事態だということを物語っていた。
嫌な予感がした。おれはすぐさま窓の外に向き直る。
黒い影がおれを見ているような気がする。隠世を覗き込むとき隠世もまた汝を見ているとはよく言うが、これは怖いもの知らずの若者を脅す文句でもなければ、ましてや気のせいなんかではなかった。
どういう手を使ったのか知らないが、確かに今、あいつはおれたちを認識しているんだ。
「スピレウス、どうやら気付かれたみたいだ」おれは言った。
すぐにスピレウスがおれを押しのけ板の隙間から外を覗きこむ。薄々気付いていたが、やはりスピレウスも暗視の力を持っているようだ。まさか同胞ってわけではないだろうが……だからといって義眼型のアーティファクトをつけているようにも見えない。
「そんな……この距離で見つかるなんて……今まで、問題なかったのに」
しかし今はスピレウスの隠している能力を見極めている場合ではない。この場をどうやって切り抜けるのかを考えないと。
「妖精種相手に絶対なんてない。おれたちは相手を侮り過ぎたんだ」
黒い影は建屋から建屋を飛び移り、一直線にこちらへ向かっていた。
「勝てっこない! 何とかして逃げるぞ!」
スピレウスが震えた声でそう叫ぶ。
「いいや、ここで迎え撃つ!」
おれはエーテル時計を確認しながら続けた。
「指揮はおれが執る! カレンシアは発光のあと障壁を! イグはニーナを守れ! スピレウス! そこをどけ!」
おれは剣を構えてエーテルを練る。
カレンシアの詠唱がさざめき、光が灯り、障壁が展開される。
今まで見た奴の行動パターン、性質、身体能力。
そして迷宮の構造物と、そうでないもの。
おれは経験則から相手の動きに当たりをつける。
窓の木板がはじけ飛び、真っ赤なそれが視界に飛び込んだ。
今だ――!
おれは鞘から剣を引き抜くと同時に、空間を一閃する。
エミリウス家にのみ伝わる秘術〝装剣技〟。初見では絶対に対策できない、防御不能の一撃だった。
赤黒いぶよぶよとした肉の塊が、真っ二つに引き裂かれる。しかし、赤い塊はどろりと液状になり、すぐに一つの赤い水溜まりとして合流した。
水溜まりは、無意識のうちに後ずさっていたおれたちをあざ笑うかのように、ゆっくりとその姿を変えていく。
「これは……」
そいつが象ったのはある特定の個人の形だった。
おれはその姿にちょっとした見覚えを感じていたが、スピレウスの抱く哀愁はその比では無かっただろう。
弔いか……〝箱〟がフォッサ旅団から奪ったものは、砦だけではなかったらしい。
そいつは口を開き、まるで人間の真似をするかのようにけたたましく叫ぶと、伸ばした指先から赤い液体を飛ばした。
「触れるな!」
スピレウスの警告に、カレンシアの障壁が張り詰める。
勢いよく飛んだ液体は、光を屈折させながら揺らぎ続ける〝障壁〟に溶けるよう消えた。カレンシアの顔が苦痛に歪む。
その隙におれは障壁ごと装剣技で奴の腕を切り落とした。
しかし腕はまたもや液体に変わり、そいつの足元から吸収されていく。これじゃあキリがない。
「カレンシア、大丈夫か?」
「は、はい……でもあんまり長くは持たないかもしれません」
カレンシアが使った障壁は水に属性変化させた障壁だった。
これに冷性質を加えればアイラの得意とする氷属性の魔術になるが、カレンシアの場合は熱を加えて防御性能を高める関係上、沸騰して蒸発しないように常に圧力をかけ続けなければならない。いくら彼女の魔力量が多いと言ったってこれじゃあすぐに限界を迎える。
「ジリ貧ですね」
その様子を見ていたたまれなくなったのか、イグが前に躍り出た。
「危ないぞ!」
おれの忠告を無視し、イグは障壁越しに腕に嵌めたアーティファクトを起動させた。
イグの手のひらから突如として巻き起こった旋風が、そこらに散らばった毛布や家具と共に、人の形をした化物を窓から吹き飛ばす。
「意志とは関係なく勝手に発動するんじゃなかったのか?」
「調子がいい日はコントロールできるんです」
そうかい。まあいい、とりあえず。
「カレンシア、今のうちに障壁を窓と扉だけに展開させろ、それなら魔力を節約できるだろ」
今はあの化物にこの建屋の壁は破壊できないことを祈るしかない。部屋の入口と窓を塞ぐだけなら、強力な障壁でも維持し続けることは可能だろう。
「どのくらい持ちそうか?」
「これなら2時間くらいは続けられると思います」
カレンシアは立ったまま、窓と扉側にそれぞれ腕を広げ、分厚い障壁を展開させていた。
2時間か……それなら何とかなるかもしれない。
「あいつ、夜明けがくれば、またあの〝箱〟に戻るんだろ?」
おれはスピレウスに尋ねた。
「そうだ……その、便宜上俺たちは〝ヴァンパイア〟と呼んでいる」
気まずそうに述べるスピレウス。おれが間違ってもそれを故人の名前で呼ばないようにとの配慮だろう。おれは、わかったと小さく頷きそれ以上のことは聞かなかった。
窓に貼った障壁の向こう側、暗闇の奥で浮き上がるように立っているヴァンパイアが、また手を掲げる。
カレンシアがごくりと唾をのんだ。
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