第20話 ヴンダール迷宮 第4層 東区画 捨てられた砦 ①
エーテル時計がもうそろそろ夕刻を指そうとするころ、おれたちはフォッサ旅団が放棄した砦付近に到着した。
「魔獣に襲われた割には、綺麗ですね」
砦の有様は、カレンシアが想像していたようなものではなかったのか。拍子抜けしたような顔をしていた。
「迷宮の建造物は通常の方法では破壊できないからな。地上と違って魔術でドンパチ市街戦やったって、廃墟になるわけじゃあない。しかも仮に壊したとして夜明けが来れば元に戻る。ただ後から持ち込んだものは別だ。多すぎる動線を塞ぐために設置された塀やなんかは魔獣に破壊されたんだろう、ほら、瓦礫が今も残ってる」
おれは指さした。粉々になった木片が小路を塞ぐように散乱している。
だが迷宮の構造物とは何なのだろうか。よく疑問に思うことがある。
迷宮発見初期に派遣された合同調査団が、初めてこの階層を訪れたとき、無人の建屋には既に家具や装飾品などが備え付けてあった。これらは壁や床と違って破壊できたし、夜明けになっても元に戻ることもなかった。ならば迷宮の構造物ではないということか? だとすれば誰が持ち込んだ?
ヴンダール迷宮をはじめとして世界各地で発見される〝遺跡〟にはこのように数々の謎が残されているが、その多くがまともに解明なんて出来ていない。だから何が起こるかなんて誰にもわからないのだ。
おれは瓦礫を跨いで砦の中に入った。予想に反して魔獣の気配は感じ取れなかった。少し静かすぎる節はあるが、メロウの涙に貯めた魔力はまだ十分ある。いざとなれば装剣技の火力に物を言わせて逃げ切れる。
「ここで、いろんな人たちが生活してたんですね」
広場や建屋の周辺に散らばった木材を見て、カレンシアが感慨深そうに呟いた。
「そうだな、フォッサ旅団は自分たちが築いた拠点を探索者全員に開放していたから。南区画のキャンプに負けないくらい活気のある場所だった」
「それなら、もう一度復興させようとは思わなかったんですか?」
「どうだろう、この感じならやろうと思えば十分できそうだが、どうもフォッサ旅団の奴ら自分たちで立て直す気はないらしい」
それにこの砦には亡霊が出るなんていう不穏な噂もある。まあ、噂の正体はどうせ略奪目当ての探索者の仕業だろうが。
おれは広場の先にある、ひと際背の高い集合住宅を見上げた。確かこの建屋がフォッサ旅団の作戦本部だったはずだ。貴重な物資が残っているとしたらおそらくこの場所だろう。
おれたちは他の建屋には目もくれず、まっすぐ本部棟へ入った。
「私は念のため、ここで待機しておきます」
イグが本部棟の入口で荷物を降ろした。
「好きにしろ」おれは言った。
傷ひとつない建屋とは違い、内部にはまだここが拠点として使用されていた頃の残骸が色濃く残っていた。うつぶせに横たわった本棚、足が折れた作業机。それらを踏んで音を出さないようおれたちは慎重に進む。確かに物資はいろいろ残っているようだが、今すぐ必要な物や、金になりそうな物はパッと見た感じなさそうだ。
「ロドリックさん」
カレンシアがおれのマントを引っ張った。
「ああ、何かいるな」
最上階付近に微かなエーテルの淀みを感じる。何かが居るか、魔術的な仕掛けがあると見た方がよさそうだ。
しかもそれとは別に、この砦に近づいてから、何かがおれたちを見ているような気配も感じる。そっちのほうには心当たりがあったが、多少気を配ったほうがいいだろう。
おれは最上階の扉を開け放つ。5階建ての高層集団住宅の最上階は、広めの一部屋だけで構成されていた。ここはフォッサ旅団のリーダーの執務室だった場所だ。おれも燈の馬に在籍していたとき、一度だけここに通されたことがある。だがその時見た光景と、目の前に広がるものが違いすぎて、一瞬場所を間違えたのかと勘違いした。
「近づくな」
部屋の中に入ろうとするカレンシアを、おれは咄嗟に引き留めていた。
おそらくここは激しい戦火に見舞われたのだろう。シンプルだが質のいい調度品や家具で彩られていた部屋は、今では無茶苦茶に荒らされて原型すら留めていない。
しかも奥の壁にはどす黒いしみのようなものが付いていて、その中心には真っ赤な箱が鎮座していた。
「あれ何?」
ニーナが誰にでもなく呟いた。箱はちょうどひと一人分が収まるくらいの大きさで、形は長方形。まるで棺のような不気味な形だ。
「知らんが、やばいもんだってことはわかる」
おれは後ろを向いて、階段下に向かって声を上げた。
「居るんだろ。説明しろ」
下でガタンと物音がした。
「スピレウス、さっさと出てこい」
「なんだ気付いていたのか」
スピレウスが階段下からのそっと姿を現した。
「ここに来るよう仕組んだ時点で、どこかで見張ってるだろうとは思ってた。どうせ物資が残ってるなんて嘘だろ? これが、ここを放棄した本当の理由か?」
「まあ、これだけが理由じゃないが、大きなきっかけであることには違いない」
「いったいこれは何なんだ?」
「説明はいったん外へ出てからしよう。夜になると動き出す。そうなると手に負えなくなるからな」
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