第9話 ヴンダール迷宮 第4層 キャンプ ①

 長い空中遊泳を終えたおれたちを、奴隷たちを引き連れた監督官が歓声と共に出迎えた。


「ロドリック! 久しぶりにこの肥溜めに堕ちてきたかと思えば、またまたお前らしい派手なやり方だな!」


 もう何年も剃ってないであろう茫々の髭に囲まれた金歯を見せつけながら、おれの肩を強く叩いてハグをせがむ男とは数年来の付き合いだった。毛むくじゃらの腕には翠玉や金のバングルがいくつもぶら下がっていて、ギルドからの給料だけでは到底賄えないであろうそれら装飾品の数々が、奴が賄賂次第で昇降装置の順番待ちに小細工を加えてやったり、違法な荷物や人物の輸送を手引きしているという事実を如実に物語っていた。


「ここまで目立つつもりはなかった」


 おれは男の手を払いながら、カレンシアを横目に首を振った。


「それならご愁傷様だな。今日のキャンプはおそらくお前の話で持ち切りになるぞ」


 男はバングルをじゃらじゃら鳴らしながら周囲が盛り上がっていく様を表現するかのごとく、大きく手を上げその場でくるりと回って踊ってみせた。


「お前の力で何とかならないか?」


 しかし、お互いおおよそまともな倫理観を持ち合わせていないということも手伝って、おれと男の利害は常日頃から一致することが多かった。燈の馬を抜けてからもおれが第4層でやっていけたのは、こいつの手助けによるものが大きい。


「ならないことはないが――」男は踊るのを止めると、髭を指で弄りながら言った。


「これはある意味お前にとってチャンスでもあるんだぜ。なんせ第4層での今のお前の評判はすこぶる悪い」


「それならなおさら目立たない方がいいだろ」


「完全に姿を消せるならそれでもいいかもな。でもお前が第4層に戻ってくることは皆薄々気付いている。なんせ先日のトレント事件に関するギルドからの調査報告と謝罪会見。取ってつけたような真犯人の発表。どれもお前の動向を怪しませるには十分すぎたんだ。今じゃお前がギルドの幹部を脅して事件をもみ消そうとしてるだとか、最下層へ行くために迷宮探索事業を引っ掻き回すつもりだとか。あることないこと噂されてるぜ。皆の注目が集まってる中で隠れきるのは、いくらお前といえども難しいだろ? それなら――」


「それなら、いっそのこと全員に知らしめたほうがいいって事か……」


 おれは男と共にカレンシアを見た。何のことかわかってないカレンシアが、照れくさそうにはにかみ、おずおずと会釈し始めた。


「いい魔術師じゃないか。すべてにおいて華がある」


 男はカレンシアの童顔と、胸を見比べながら口角を思いっきり上げた。


「こんなかわいこちゃんがあんな凶悪な魔術を使うんだ。みな縮み上がるぜえ、あのロドリックがとんでもない魔術師を従えて戻ってきたってな」


「そううまくいくもんかね。逆に狙われるんじゃないか?」


 おれの不満そうな顔を押し戻すように、男がおれの目の前で手を振った。


「任せとけ、俺が尾ひれをつけまくってやるからよ」


「どうせあんたのことだから、お金が目当てなんでしょ」


 ニーナからの鋭い視線に、男は心外だと言わんばかりにため息を吐いた。


「ニーナ嬢、いつもいつも言ってるが、この迷宮において俺ほど良心的な取引相手はいないんだぜ。だって求めるものは金銭だけ。それだけなんだ。命も信念も必要としない、情も憂いも取引内容に影響させない。金さえ払ってくれれば靴でも舐めてやるんだ」


 男は短い舌をつきだして、上下にぴょこぴょこ動かした。ニーナが思わずあとずさりする。


「もういい分かった。おれたちはこのまま正面からキャンプに入って滞在する。あんたは出来るだけカレンシアの危険性を吹聴してくれ」


「燈の馬はどうする?」


 男が金歯を見せびらかすように舌なめずりする。


「おれがパルミニアのお偉いさんと手を組んだとでも吹聴しといてくれ。ちょっかいかけると面倒なことになると」


 これならば真偽のほどは誰にも確かめようがないはずだし、バレたとしても元より真実そのものだ。


「いまいちパンチが弱いな。俺がもっと面白いストーリーを考えといてやる」


 好きにしろ。おれは肩をすくめると、そろそろキャンプへ向かおうと踏み出した。


「そういえば――」


 去り際、おれの背中に男が言った。


「お前の連れのダルムント。先週、新人の女魔術師と下りてきたのを最後に、昇降装置の利用履歴が止まってるぜ。帰りだけ徒歩ってことはねえだろうから、もしかしたらまだキャンプにいるんじゃねえか? レンの店あたりにでも行って聞いてみたらどうだ」


 おれは立ち止まった。こいつの言うとおり、ダルムントなら男娼のいる宿屋を選ぶだろう。


「それでロドリック。いつものは期待していいんだろうな?」


 久しぶりに会ったせいか、おれの懐具合が気になったのだろう。


「ああ――」


 探るような視線を向ける男に、おれは言った。


「安心しろ、空はまだまだ大量にある」

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