第7話 ヴンダール迷宮 昇降装置 ②
アーティファクトと魔法則が満ち溢れるこの迷宮内において、昇降装置は異色とも言えるほど算術と労働に支えられた設備だった。
第1層にある大穴から吊り下げられた駕籠は、綿密に配置を計算されたいくつもの滑車に支えられ、総勢数十名もの奴隷の汗で日夜維持されている。
大都市に引かれた水道設備しかり神々を讃える建築物しかり、魔術に頼らない巨大施設を見る度に、人間の叡智とはかくも素晴らしいのだと実感させられる。贅沢を言えばこの穿孔も、人の力だけで空けられればよかったのだが。
おれは第1層の入口からすぐ左の部屋にぽっかり空いた大穴の前に立った。
「利用は4名様ですね。探索者登録証を提示してください」
すぐに穴を囲う柵の中から昇降装置の管理人が現れる。
身分の確認を済ませ、イグに金を支払ってもらっている間に、おれは大人5人が荷物と共に乗れるほど大きな駕籠が、すっぽり入る大穴を眺めていた。
この穴を空けたのはおれだ。そしてそれ維持しているのはとある一人の魔術師。探索ギルドが数年がかりの調査の上に実施した大規模作戦の第一歩を担ったのは、二つの固有魔術だった。
もちろんおれが使う魔術の説明は今更必要ないとは思うが、勘の悪い奴らのためにもう一度説明しておく、おれの固有魔術が持つ効果は〝干渉の阻害〟だ。ここでいう干渉とは物質的なものだけでなく、エーテルや魔法則からのものも含める。つまり、普通なら迷宮に掛けられているであろう魔法則のせいで壁や床などの構造物は破壊不可能なところ、おれの固有魔術である『装剣技』はその魔法則すら無視できるため、魔力次第では迷宮に穴を空けることすら可能ってわけだ。
しかしそんな便利な魔術も、この世界そのものにかけられた〝夜明けの法則〟という修正力を阻害することはできなかった。なんせ夜明けは剣で断ち切れるようなもんじゃないからな。いくら迷宮の壁や床に穴をあけたとしても、おれ一人ではその穴を一日以上維持することは叶わないのだ。
だが世界ってのは広く、魔術ってのは奥が深い。魔術師の中には稀に奇妙な魔術を使う者が現れる。おれが装剣技でこじ開けた穴を維持しているのは、まさにその奇妙な魔術によるものだった。
その男は元々パッとしない3流魔術師に過ぎなかった。だからティティア派の奥義である〝呪歌〟を習得するまでは、帝国から幾ばくかの年金を受け取りながらパルミニアで惨めな生活を送る探索者の一人でしかなかった。しかし、齢40を過ぎてようやく習得した呪歌によって。彼の人生は一変する。
彼の使う奇妙な呪歌の特異性は瞬く間に知れ渡り、探索ギルドはすぐに彼を破格の条件で採用することに決めた。
それからというもの、男は毎日未明、雨の日も風の日も、実の父親が死んだ日も、一日だって欠かすことなくギルド本部にやってきては、おれが空けた第1層の大穴の前に立ち、呪歌を使って夜明けを欺く。それが終わるとギルドから貰った小遣いを片手に街へ繰り出す。そんな生活をもう3年も続けている変わった男だ。魔術師らしいと言えばらしいが、おれには到底真似できそうにない。
「これで全員だな? 下ろすぞ」
いつの間にかおれ以外の全員が駕籠に乗っていたようで、急かされるまま駕籠に乗りこむと昇降装置の管理官が穴に向かって何かを落とし合図を出した。
少し間が空いて駕籠が揺れながら穴の中へ下っていく。昇降装置に乗るのは久しぶりのことだった。得体のしれない暗闇は10数メートルほどで終わり、目が眩むほどの白い光が辺りを包む。目が慣れた頃には、眼下に第4層と呼ばれる世界が広がっていた。
「迷宮の奥にこんな世界が広がっているなんて、今でも信じられないです」
穴の先にあったのはパルミニア市街がそのまま入るのではないかと思うほど広大な地下空間だった。
半円状に広がる空間の壁面には、空を模した青色の鉱石で埋め尽くされており、その透き通る青の中心には煌々と輝く太陽が吊るされている。
「前にも見ただろ」
おれは眼下に広がる異国風の街並みを眺めながら言った。
「何度見たって飽きないですよ、こんな素晴らしい光景」
「同感よ。第1層から3層までがこの大空洞を支える塔の中でしかなかったなんて、不思議な気分よね」
ニーナが大空洞を縦に貫く巨大な塔の外壁を、そっと手で撫でながら言った。
美しい光景を前に女たちは何度でもいい反応を見せてくれる。おれも最初に来た時はたいそう驚いたもんだが、イグの反応はどうもそれとは異なっていた。
そっけない表情で周囲を忙しなく警戒しては時折目を凝らす。こいつはきっともう何度もここへ来たことがあるのだろう。そしてこのゆっくりと下りていく昇降装置の危険性をよく理解している。
「皆さん、注意してください」
空色の鉱石から、遠く数体の黒い影が羽ばたきながら近づいていた。
久しぶりに乗ったと思ったらさっそくお出ましか、おれは剣を抜きながら言った。
「マルスに祈れ」
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