第6話 ヴンダール迷宮 昇降装置 ①

 その奴隷と再会したのは、それから3日後のことだった。


 始業の鐘が鳴り響き、そこからもうひと眠りしようと寝返りを打ったところでノックの音に邪魔された。


「何の用だ?」


 扉を開けた先に立っていたのは、先日テリアのところで紹介された奴隷だった。確かイグといったか。異国情緒のある黒い髪と中性的な顔立ちが特徴の男だった。


「今日あたり、ロドリック様が迷宮に赴く頃合いかと思いまして」


「わざわざ迎えに来てくれるとは殊勝な心掛けだ」


「新入りとしてこのくらい当然です」


 その日は皮肉の応酬で始まった。おそらくイグは謹慎処分が解けたにも関わらず一向に迷宮に潜ろうとしないおれに、しびれを切らしたテリアが送り込んできたんだろう。はっきり言ってやり方が気に食わなかったし気分も乗らなかったが、これからのためにもこの奴隷がどの程度動けるのか試しておきたい気持ちはあった。


「ニーナとカレンシアが行けるんなら、やぶさかでもないが」


「お二人の予定は確認済みです。いつでも出発できるとのことです」


「そうかい……」


 外堀を埋めた状態で来たって事か。おれは窓の外に降り注ぐ夏の日差しを眺めながら、しぶしぶ迷宮に行く準備を始めた。


 ※※※


 ギルド本部に行くのは久しぶりのことだったが、先週までと違って特段おれを人殺しだのグズだとの罵るような輩が現れなかったのは驚きだった。


 理由は掲示板のど真ん中に貼りだした告知文を見てわかった。内容は大雑把に言えばおれが起こしたとされていた第3層における迷惑行為による探索者死亡事件(通称トレント事件と呼ばれている)の調査結果と、それによるおれの無期限謹慎処分の取消決定だった。


 調査結果ではトレント事件の犯人はダッカということになっており、おれはそれを防ごうと奮闘した功労者という扱いとなっていた。


 一夜にして犯罪者から英雄になったおれだが、かといって誰もおれを労ったり謝罪しにきたりしないところを見ると、皆よほどおれのことを嫌っているらしい。


「これ、見てください」


 おれが告知文を前に感傷に浸っていると、カレンシアとニーナが掲示板の隅っこに貼ってあった捜索願を見つけておれを呼びつけた。


 ――ユーリ ポラフ 男 17歳 赤みかかった栗色の髪に、革製の胸当て――


 シェーリの書いた捜索願いだった。まだ諦めていなかったのか。おれは少しだけ胸が痛んだ。同時にこの捜索願がこれだけ掲示板の端っこに寄せられているということが、シェーリたちが長い間探索から戻ってきていないということを物語っていた。当然シェーリたちと同行しているダルムントも地上へ戻っていない。ブラッドムーンも近いっていうのに、どこをほっつき歩いてるのか。


「それで、久しぶりの探索だけど、どうするの?」


 地上でもそれなりの収入と華やかな生活を送っていたニーナは、また探索者稼業に戻ることが面白くないようだ。いつも以上に覇気のない様子だ。


「とりあえず、適当にほっつき回るか」


 しかしやる気がないのはおれも同じだ。今まで主な稼ぎ場にしていた第3層は、おれたちが新たな隠し部屋を見つけてしまったことで、ギルド主導の調査隊や実力不足の冒険者たちが篝火に集まる羽虫のごとく群がっているらしい。かといってそれらの混雑を躱して第4層へいくのも面倒臭い。


 今日は第2層あたりまで行ってワーラットあたりと戦ってお茶を濁すか……。


 第1層を歩くベテラン探索者にしては重すぎる足取りで、下層へ続く螺旋階段方面へ進もうとするおれたちに業を煮やしたのか、後方を歩いていたイグが物申した。


「昇降装置をお使いください。徒歩ですと第4層のキャンプまで時間が掛かってしまいます」


「迷宮探索には順序ってもんがあるんだ。素人はおれのやり方に口を突っ込むな」


 おれは足を止めて凄んだ。教育ってのは最初が肝心だ。このアホに自分の主人は誰なのかをしっかり叩きこんでおかないと後々面倒なことになる。おれは育て方を間違えた例を見つめながら自分に言い聞かせていた。


「何見てんのよ」


 おれの視線に気づいたニーナが眉をひそめた。


「別に……とりあえずイグって言ったか? お前はこれからは何も考えなくていい。おれが右って言えば右へ、左って言えば左へ進むだけの存在になれ。お前は今日黙っておれの荷物を運ぶためだけに現世に生まれ落ちたんだ。よかったな、ここで自分の天命を見つけることができて。おれに感謝しろよ。あと、お前を物言わぬ荷物持ちにするべく生んだ父と母にも感謝を忘れるな」


 おれのとっておきの侮辱に、出会ってからずっと無表情を貫いていたイグがようやく憤りを見せた。


「生憎ですがロドリック様、私がこの世に生まれ落ちた理由は言われずとも既にわかっております。それにテリア様との契約では、このチームの目的地は第7層です。持ち込み食料の数量からして、今回はせいぜい2、3日しか迷宮に留まることができないと思われますが、昇降装置を使用しなければ下手をすれば第4層へ到達するまでに食料が尽きてしまいます。契約上重要なことなので今一度お聞きしますが、本当に深層に行く気があるのですか?」


 テリアに言いつける気満々の口調だな。顔もいいし、主人に忠実そうだし、本当にイラつく奴隷だ。


「昇降装置の料金はどうすんだ。4人分だぞ、荷物も結構あるから追加料金も取られるぞ」


「ご心配なく。すべて経費としてテリア様から支払われます」


「今持ち合わせがないって話をしてんだよ。テリアにツケてもいいのか? おれとの関係を公に知られるのはテリアだって困るんじゃないのか?」


「それでしたら私が支払いましょう。たまたま今日は持ち合わせがありますので」


 こいつ、奴隷のくせにそんな小遣いまで持たせてもらってるのか? それともおれがこうやってゴネることも折り込み済みだってことか?


「わかったよ、おれは一銭も払わないからな」


「もちろんでございます」


 こうしておれたちは久々に昇降装置を使って、第4層まで悠々自適な空中戦を繰り広げることになった。

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