第5話 カッシウス邸 ②

「代わりに、何か条件があるということですね?」


「話が早くて助かるわ」


 テリアは自らの手でおれのグラスに葡萄酒を注ぎながら言った。


「私からのお願いはひとつ、貴方にもう一度、第7層へと挑戦して貰いたいってだけ。シンプルでしょ?」


 あまりにも簡単に言ってのけたテリアに対し、おれは話にならないという風に首を振った。


「既にご存じかと思いますが、第7層への道は1年前の大遠征に失敗して以降、現在も閉じたままです。〝燈の馬〟も開く方法を模索しているようですが、未だに何の成果も得られていないと聞いています」


「それなら心配いらない。今ならきっと開くから」


 おれは眉をひそめることで、その自信の理由を問い正す。


「カレンシアって名前を付けたんですって? 迷宮で拾った子。話によれば記憶がないにもかかわらず、優秀な魔術師らしいじゃない」


「ええ……」


 話の落としどころが読めない切り口に、おれは思わず肯定してしまった。それをごまかすように捲し立てる。


「彼女に関する届出は既にギルドに提出しています。テリア様のおっしゃるとおり身元は不明ですが、私が身元保証人となっているので彼女をクランに加えること自体は、遺跡調査における保安管理に関するティリウス法においても、またヴンダール迷宮及び探索ギルド本部棟における管理運営上のクラディウス法に照らし合わせても違法行為とはならないはずです。現にギルドから彼女の探索者登録は受理されています」


「なんで受理されたと思う?」


 テリアが葡萄酒のカップを回しながら意味深に微笑んだ。


「さあ……質問の意図がわかりかねますが」


「彼女の素性ね……探索ギルドどころか帝国中の都市に照会をかけても、そしてあらゆる流派の魔術協会に問い合わせても掴めなかったのよ」


「そういうこともありますよ。大方はぐれの魔術師でしょう。最近はまた、組織に属さず足跡を消す魔術師も増えているようですから」


「百歩譲って貴方の言うとおり、ただのはぐれの魔術師だとして、そもそもどうやってこの迷宮に入ってきたのかしら? 迷宮の入口はひとつだけ、しかもギルド本部と同じ棟にあって、職員が昼夜問わず出入りを監視している。身元の分からない人間が突然やってきて入れる場所じゃないはずよ」


「それはどうでしょう。職員と言っても人間です、夜中は居眠りもしますし、金に目が眩んで入れてはいけない人間を迷宮に招き入れることもあるでしょう。現に私も迷宮内でそういった〝裏口〟から入ってきた人間を何度も見たことがあります」


「あくまで否定するってわけね、いいわ……でも私の見解は違うってことだけは覚えておいて。私はね、あの子は外から迷宮に来たんじゃなくて、中から外に出てきた者だと思ってるの。もちろん手引きをしたのは貴方たちよ」


「かなり斬新な説ですね」


 おれはこの機知に富んだジョークに笑って見せた。


「そうかもね、ただ探索ギルドの運営方針に影響力のある幹部の一人が、そういう考えを持っているということが何を意味しているのか分からないほど、貴方はマヌケな男じゃないでしょ?」


 テリアの言わんとしていることは分かった。つまり探索ギルドとしては最初からカレンシアを怪しい人物だとマークしていた。にもかかわらず敢えて探索者登録を受理して、おれと一緒に行動させていたのには理由があるということだろう。


「貴方にまた第7層への扉を開いてもらうために、彼女が必要になるだろうと私は判断した。だからギルドに圧力をかけ、カレンシアの探索者登録を受理させたのよ」


「しかし第7層どころか、今じゃ私は迷宮にも入れません」


「だからこうして話をしてるの。私の力で謹慎処分の件はなんとかしてあげる。その代わり、貴方にはあのカレンシアという娘を連れて、もう一度最下層を目指してちょうだい」


「第7層が最下層だという保証はありませんし、仮にそうだったとしても道のりは険しいものになります。リスクとリターンが釣り合わない気がしますが」


「あら? 釣り合うはずよ。この迷宮の最果てには、貴方が求めて止まないものがある」


「私の望みを知っているとでも?」


「ええ、もちろん。すべて調べがついているわ。父が亡くなったあとも、貴方がここに残り続けている理由。私と一緒よ。無くしたもの――」


 ちょうどその時、ニーナが咳をしてスプーンを手から落としてしまった。


「ごめんなさい」


 人払いをしていたため、どうすればいいのか戸惑う彼女に、おれは自分の席にあったスプーンを渡し、テリアと再度向き合う。


「それで、何の話をしてましたっけ?」


「あくまでしらばっくれるつもりならそれでもいいわ。貴方の望みが何なのかは置いといて、お金がいるっていうなら、必要なだけ用意してあげる」


「それはありがたい申し出ですが、本当に私に最下層へ行けとおっしゃられるのなら、金銭だけでは手に入らないものも必要です」


「例えば?」


「まずは私の〝メロウの涙〟をフィリスから返却していただきたい」


「それならもう用意してあるわ」


 テリアが手を叩くと一人の奴隷が部屋の中に入ってきた。手には細身の質素な鞘に身を包んだ、一振りの剣が握られている。


 おれは目を疑った。冗談で言ったつもりだったが、まさか本当に用意しているとは。


 おれは差し出された剣を受け取ると、中身を改めたい気持ちをそっと抑えて、鞘についた傷一つ一つに思い入れがあるように指でなぞって見せた。

 ひととおり思い出に浸った後、そっと剣を鞘から引き抜く。おれの手を離れてからもフィリスがちゃんと手入れしてくれていたのだろう。刀身は最後に見た時と何も変わらず、いやむしろ前より綺麗になっていた。


「それが貴方の家宝〝メロウの涙〟で間違いないかしら? 名前に違わぬ美しい剣ね」


「ありがとうございます。もう一度この手に握れる日が来るとは、夢にも思いませんでした」


 おれは笑いを堪えながら、テリアに礼を言った。


 実を言うとこの剣自体は〝メロウの涙〟どころか、アーティファクトですらない。ちょっと切れ味がいいだけの何の変哲もない剣だ。この都市でそれを知っているのは、フィリスとアイラくらいのもんだろう。もちろんこの場で種を教えるつもりはない。


「フィリスから買い取ったのよ。貴方の言ったとおり、お金だけではなかなか頷いてくれなかったわ」


「ありがとうございます。お心遣い感謝します」


 しかし、この剣の仕掛けを知っていて尚、そのままの状態でテリアに渡したフィリスの考えが分からなかった。ヴンダールとおれの関係から、テリアに渡せばおれの手に戻る可能性があることは容易に予想できたはずだが……だとしたらフィリスはおれが〝メロウの涙〟を所持することに異論はないのか?


「もう一つ贈り物があるんだけど、受け取ってくれる?」


 剣を手に悩んでいるおれに、テリアが悪戯な笑顔を向けていた。何か楽しい悪戯を思いついたときの幼き頃の彼女の笑顔が重なった。


「タダでもらえるものなら」


「それなら安心して。貴方から金銭の見返りを要求することは父の名誉にかけて、今後も絶対にないわ」


 しかし、テリアはもう手を叩いて新たな奴隷を呼びつけることはなかった。もう一つの贈り物は既に、この部屋にあったのだ。


「私が所有している奴隷の一人よ。こう見えて中々使える男だから荷物持ちにでも何でも使って」


 テリアは隣に立っていた奴隷を指した。おれの〝メロウの涙〟を持ってきた奴隷だ。中性的な顔立ちをした優男だった。てっきりテリアのお気に入りだと思っていたが違ったのか。どちらにせよ受け入れる理由はない。


「今は少数精鋭で探索を行っております身ゆえ、お断りさせていただきます」


「そう言わずにお願い」


「申し訳ありません」


「もし彼を一緒に連れて行ってくれるのなら着手金としてまず100ソリドル支払うわ、もちろん経費は別でね。そして目的である最下層に辿り着ければ、更に500ソリドル。どう?」


 破格の条件だった。破格すぎる。つまりこの男はおれの首につける鈴ってわけか。それならこの場で断っても良いことはなさそうだ。


 おれはその後も何度か断り報酬を吊り上げると、最後は苦笑いしながら、しぶしぶテリアの条件を呑んだ。


 監視役を付けたいなら好きにするといい。都合が悪ければ迷宮で事故に見せかけて殺せばいいだけのことだ。ちょっと腕の立つ素人程度なんとでもなる。このときのおれはそう高を括っていた。

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