第4話 カッシウス邸 ①

 馬車を降りたおれたちが通されたのは、パルミニア貴族の中でも有数の有力者であるカッシウスの邸宅だった。


 カッシウスと言えばパルミニアの市民は皆、迷宮の発見者でもある故人テリウス・カッシウス・ヴンダールを思い浮かべるだろうが、まさにこの屋敷はヴンダールの娘とその婿であるイリアエヌスが相続した邸宅の一つであった。


 時刻は夜警時に差し掛かる直前だった。門扉から建屋まで真っすぐ伸びる道には既に篝火が灯されており、口から水を出し続ける獅子の彫像をオレンジ色に照らしていた。

 玄関には既におれたちの荷物や肩掛けを預かる役目の奴隷と、果物の果汁から作った飲料を勧める役目の奴隷、そして主人の待つ部屋へと案内する係の奴隷が待ち構えていた。


「こちらへどうぞ、主人がお待ちです」


 おれとニーナは飲み物を手に後へ続いた。


 玄関ホールを抜けると、水を湛えた盆が2層に連なる噴水が鎮座する中庭が見えた。前後左右を取り囲む柱廊の壁には、アルヴニアの森林を描いたフレスコ画が並んでおり、中庭の中央を通る小道の床は妖精種やエルフをモチーフにしたモザイク画で彩られていた。

 しかし、それより驚くべきものは、その中庭を囲う明かりがすべて、見覚えのあるアーティファクトから発せられているということだった。

 迷宮とは、いったい誰のためにあるものなのか。考えれば考えるだけ気持ちが落ち込む光景だった。


 幻想的かつおれにとっては残酷な中庭を通り抜けると、滝をモチーフにした洗い場があった。天然の岩肌を伝う水で案内係に言われるがまま手を洗うと、応接間に入った。


「久しぶりね、ロドリック」


 テーブルには食前酒と、幾ばくかの前菜。その奥にテリアが立ったままの状態で待っていた。背が高く凛と姿勢のいい立ち姿は、数年前と何一つ変わっていないように見えた。


「ご無沙汰しております、閣下」


「閣下だなんておやめなさいよ、私はそんな柄じゃないわ。そういうのはイリアエヌスに言ってあげて。私のことは昔みたいにテリアと」


 テリアは意味深に微笑むとおれの耳元までやってきて「もっとも、主人は不在だけどね」と意味深に囁いた。


 悪くない掴みだった。しかし、おれとの過去を匂わせる女がとる距離感としては、とうてい許容できないものを感じ取ったのか、割って入ったニーナが棘のある口調で言った。


「今日はどういった用件なんでしょうか」


 毅然とした態度でテリアの前に立つニーナだったが、女性としても小柄な部類に入る彼女が、おれと同じくらいの身長のテリアと並ぶと(見栄を張ったが実際はテリアの方がおれよりデカいかもしれない)まるで子供が親に対して、欲しいのはこのお菓子じゃなかったと文句を言っているようで滑稽だった。


「話には聞いてたけどせっかちさんね。まずは食事にしましょう。込み入った話はそれからの方がいいわ」


 テリアはニーナの威圧をさらりと受け流すと、おれたちを席に着くよう促した。合図と同時に中庭の方向から優雅な演奏の音色が流れてくる。


 最初は戸惑っていたニーナも、次々と運ばれてくる料理に上機嫌になっていった。

 というのも、予めテリアにはニーナのことも伝えていたため、料理にはニーナの好みもしっかりと反映されていたのだ。


 杏と牡蠣のサラダに頷き、ヒラメのマリネに舌鼓を打ち、香草とカタツムリのオイル漬けが出される頃には、ニーナはそれをほじくり出すのに夢中になっていた。


「こうやって、貴方とまた食卓を囲むことができて本当に嬉しいわ。貴方の活躍はよく耳にしていたけど、個人的に会う機会に恵まれなかったから……」


 テリアが話を切り出したのは、食後のデザートを待っている最中だった。


「ご結婚されたばかりの婦人と食卓を囲もうと思うほど、節操のない男ではありませんゆえ」


「そんなこと気にするような貴方じゃないでしょ」


「正直に打ち明けますと、テリア様からは恨まれているのではないかと思っておりました」


 最後にテリアと食卓を囲んだときには、まだこの場所にヴンダールの座る椅子があった。

 それを無くしたのはおれだ。

 いや、正確にはおれが直接関係したわけではないんだが……少なくとも、父を亡くしたテリアには誰かを恨む権利があって然るべきだろう。


「父のことを言っているのなら、勘違いも甚だしいわロドリック。私は貴方のこと、同情こそすれ恨んだことなんて一度もないのだから」


 同情? それはこっちの台詞じゃないのか? その言葉だけが妙に引っかかったが、どちらにせよ彼女に対するわだかまりが取れたのなら、それは歓迎すべきことだ。


「そのように仰っていただけて、大変ありがたく思います」


「あら、感謝するのはまだ早いわよ」


 テリアはそう言うと、メロンとチーズと蜂蜜を使用したデザートを持ってきた奴隷を含めて、すべての奴隷を下がらせると声のトーンを落として続けた。


「ロドリック。ここだけの話、ギルドから出された貴方の謹慎処分を解く用意があるの」


 ここからが本題ってわけか。おれはデザートをニーナに譲ると身を乗り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る