第3話 始動 ③

 ニーナはいくら怒っても、最後には必ずおれを許す。それはこれまでの関係から既に証明されていることだ。

 だから面倒臭くなったときはこうやって不機嫌そうな顔で黙っていれば、そのうち向こうから落としどころを示してくれるに違いない。


「カレンシアの素性をさらうって件はどうなったの? 交易商をやりながら、彼女がつけてたネックレスの出所を探るって言ってなかった?」


 包みを片付けながら切り出したのは、やはりニーナだった。


「手がかりはなし。少なくとも帝国の貴族や有力者の家紋の類ではなかった」


「そうなんだ……ダルムントたちからは、何か連絡あった?」


「そっちは昨日、ギルドを通じて伝言があった。ダッカから譲り受けた〝揃い靴〟が突然第4層の方面を指すようになったらしい」


「宿木を倒してから何の反応もなかったのに? でも、良かったじゃない、ユーリはどこかでまだ生きているって証拠でしょ」


「どうだろうな……そんなに虫のいい話ではないと思うけどな」


「どういうこと?」


「簡単な話さ〝揃い靴〟が新たな場所を示すようになった理由は、ユーリが生きていて未だに迷宮をほっつきまわっている以外にもいくつか考えられるってことだ」


「たとえば?」


「そうだな、あくまで憶測だが〝揃い靴〟の片方の所持者が、ユーリではない別人に変わったという可能性。はたまた〝揃い靴〟が持つ魔法則の根本を、おれたちが勘違いしているってケースも考えられる。どちらかというとおれは後者を押すが」


「ただ引き寄せあうだけの、靴の形をしたアーティファクトじゃないって言いたいの?」


「アーティファクトがもつ魔法則ってのは、往々にして表面的に顕現しているものとは別に、本質的な目的が陰に潜んでいるもんだ」


「だからこの腕輪にも、イチゴの香りの裏にレモンの香りが隠されていたのね」


 おれはこの思いもよらない鋭い皮肉に、自嘲気味に笑うしかなかった。


「ダルムントにも、そのこと教えてあげた?」


 おれに一太刀浴びせることができて心なしが満足気なニーナ。これで多少なりとも溜飲を下げてくれたのならいいが。


「もちろん。だがあの小娘、シェーリだっけ? 中々諦めの悪い性格らしい。さっさと諦めればいいものを、一人でも探し続けるって聞かなかったらしい。おかげでダルムントも今頃シェーリと一緒に第4層だ。全く迷惑な女だぜ」


「でも……去っていく人を諦められない気持ち、少しわかる気がする」


 ニーナがどこか遠くを見ながら言った。こいつはたまにこうやって感傷的な雰囲気を醸し出すが、探索者としてこの都市に来るまで北方のヴェステ神殿総本山から一歩も出たことがなかったはずだ。感傷に浸るほどの人生経験なんて無かっただろ。


「あの……まさかとは思いますが、エミリウス・ロドリック様でしょうか? いや、間違っていたら申し訳ありません」


 おれがニーナの横顔を見ながら呆れていると、通りを何度か行ったり来たりしていた配達員が、ダメで元々という顔でおれに話しかけてきた。


「そうだが……」


 失礼な奴だ。おれって男はそんなに手紙を受け取る人間として相応しくない風貌をしてるもんか?


「あ、良かった! 書簡をお届けに参りました。こちらに印章をお願いします」


「はいはい」


 おれは配送員が持った蝋板に印章指輪を押し込んだ。配達員は蝋板の角度を変えて何度か見直してからこちらを窺うと、諦めたように手紙を投げ渡し足早に去っていった。


「誰から? なんて書いてあるの?」


 いつにない神妙な面持ちで手紙を読むおれに、恐る恐る尋ねるニーナ。


「探索ギルドとの和解仲介の用意あり――明日の午後来宅されたし」


 おれは高笑いしたいのを堪えながら、要約した内容を述べると、手紙をそのままニーナに渡して飛び上がった。正義は必ず勝つとはこういうことを言うのだ。


「信じられない、本当だわ……あれ? でもこれ、差出人がカッシウス家になってるけど」


「同じことだろ。ヴンダールが死んだ今でもカッシウス家は探索ギルドの大幹部だ。これで君に借りた金もすぐ返せるぞ」


「そんなにうまい話、あるかしら? 何か裏がありそうだけど」


「大丈夫、テリアのことはあいつがまだチビだったころから知ってるんだ。ヴンダールが死ぬまではそれなりに交友もあったし、おれの窮地を知って助け舟を出そうとしてくれてるんだろ」


 カッシウス家の現当主は表向き婿養子のイリアエヌスということになってるが、その実権はヴンダールの一人娘テリアが握ってるということは周知の事実だった。


 テリアは遅く生まれた子供だったため、ヴンダールに大いに可愛がられて育った。当時、帝国の捕虜としてヴンダール家に預かられていたおれも、あの小さなお姫様には随分振り回されたもんだ。


「おおやけでは出来ないような、個人的で込み入った話でもあるのかしらね」


 嫉妬か心配か知らないが、ニーナは物言いたげな視線でぼやいた。


「そこまで言うなら付いてきたらいい。パルミニアで人気の資産運用コンサルタントの名前はテリアにも届いていることだろうし、突然の来訪でも無下にされることはないだろう」


 この返答は彼女にとっても意外だったのだろう。それなら――とニーナも納得したように頷いた。


 おれとしてもニーナが付いてきてくれるのは心強くもあった。あれだけテリアとの仲を主張した手前こういうのもなんだが、彼女と良好な関係を結べていたのは、あくまでヴンダールが死ぬまでの話に過ぎないのだ。


 なにしろ、見ようによってはヴンダールの死はおれのせいでもあると主張する、酷い奴らも居るのだから。

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