第2話 始動 ②

「また昼間から飲んでる」


 立っていたのは書字板を片手に抱えたニーナだった。


「お帰り、今日は早いんだな」


 おれがギルドから無期限謹慎処分を受けてから、ニーナも迷宮に潜るのを止め地上で健全な生活を送っていた。

 書字板片手に連日市街を優雅に闊歩する彼女と、昼間っから路上で酒を呷ってくだを巻いているおれ。他人から見れば決して交わってはいけない種類の二人だが、おれが思うに彼女とおれの最大の不一致は、そういう見栄えや生活習慣に起因する類のものではなく、単に手を染めた生業が成功したか失敗したかの差でしかないのだ。


「今日は旦那を亡くした貴婦人と、豪華な食事がてら資産運用のアドバイスをするんじゃなかったのか?」


 最近じゃ女性専門の資産運用アドバイザーとしてパルミニアで引っ張りだこのニーナ。さすが上流階級の仲間入りを許された淑女だ。不貞腐れたおれの酒臭いげっぷにもめげず、植え込みの石レンガの土埃を手で払うと、屈託ない態度で隣に腰を下ろす。


「そうよ、でもいろいろあってアドバイスはもう必要じゃなくなったから、食事は簡単に済ませて余った分は包んで貰ったの」


「まさかおれのためか? わざわざ惨めな気持ちにさせようと?」


「そうじゃないわ。私がゆっくり家で食べたかっただけ。でも、もし貴方さえよければ一緒に食べましょ」


 ニーナはおれの返事を待たずに、おれの脇で包みを広げ、その中のリンゴのサラダをひょいっとつまんで、美味しいわと微笑んだ。

 おれは無言でキャベツの肉詰めを掴むと、口いっぱいに頬張った。


「貴方なりの贖罪のつもりだってことは分かってるけど、もういいんじゃない? 毎日毎日、こんな生活」


 おれが食い終わるのを見計らって、ニーナが諭すように口を開いた。


「別に、そんなんじゃない。ただ、酒を飲む以外にやることがないだけだ」


「アーティファクトの交易商をやるって話はどうなったの?」


「元手が無くなった」


「どうして? この間、私が貸した分はどうなったの?」


 ニーナの顔からさっと血の気が引いていくのが分かった。おれは言葉に詰まり、ついつい簡潔な回答をしてしまう。


「その、こじゃれた装飾の腕輪になった」


「そんなんじゃなくて。ちゃんと説明して!」


 さっきまで優しかったニーナの声色が変わる。それもそうか……結構な額だったし、女性に人気の資産運用アドバイザーがヒモ男に大金を投資した挙句、全額すられたなんて世間に知られたら商売あがったりだろうしな。


「その……腕輪なんだが、保存状態も良かったし、纏っているエーテルもかなりの量だった。その上、装飾もシンプルながら手が凝っていて製作者のセンスを感じさせる出来栄えだったから。経験上そういうアーティファクトってのは、特殊な、唯一無二の効果を持つものが多くてさ。だからその腕輪も判明しているもの以外に、きっと隠された魔法則があると思ったんだ」


「それで? 結局どうだったの、そのアーティファクトの隠された魔法則は」


「かぐわしいレモンの香りをまき散らすだけの魔術だった」


「何それ……ちゃんと調べたの?」


「ああ、知り合いの錬金術師にも見てもらったし、カレンシアにもいろいろ試してもらったが、それ以外の魔術効果は見つからなかった」


「嘘でしょ……じゃあ、元々の魔術効果は何だったのよ?」


「イチゴの香りだ」


「え?」


「熟したイチゴ」


「ちょっと待って、話を整理するわね。先々週私が貴方に貸した大金は、イチゴの香りとレモンの香りを放つ腕輪型のアーティファクトに変化したってことでいいの?」


 おれは返事の代わりに肩をすくめた。


「信じられない……」


 ニーナは額に手を当てた。

 おれだって信じたくなかった。ポケットから取り出した腕輪型のアーティファクトに魔力を込める。イチゴの香りに交じって微かなレモンの香りが辺りに漂い、これが悪い夢なんかではないことを実感させる。それが余計にニーナの癪に触ってしまったのだろう。


 感情を高ぶらせたニーナが、瞳に涙を浮かべながらおれの腕を何度も叩いた。


「悪かった。悪かったって、次はもっとちゃんとやるから」


「次? 次ってなに? またお金を貸せってこと? 馬鹿じゃないの。次なんかあるわけないでしょ。それにその香り、イライラするからやめて!」


 ニーナはおれの手からアーティファクトを取り上げると、貴族の昼食の余りが入っていた包みに放り入れた。


「貴方がきっちりお金を返してくれるまで、これは私が預かっておきます」


 担保ってことか、そんな価値はないだろうが、どちらにせよおれが持っていたってどうしようもない。売れたとしても元金の半分だっていかないだろう。


「装飾品と考えれば悪くない出来だ。君のアルデアのように白い肌には良く似合うだろう」


「そんなお世辞言ったって、許さないから」


 何を言っても今は無駄そうだな。おれはだんまりを決め込んだ。

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