第88話 エピローグ ③

 2本に分かれた氷柱はおれたちの間を通り抜けると、轟音と共に対象へと突き刺さった。


「嘘だろ……どうして」


 おれは目を疑い、ダッカは唖然と口を開き、ダルムントは顔をしかめる。


 そこに居たのは、いうなれば〝大樹〟だった。


 青々と伸ばした枝葉にはまだ、ところどころ乱暴に折られた形跡が残っている。大人数人が手を伸ばし合ってようやく一周するかどうかって太さの幹には、大きな割れ目が、まるで巨大な口のように開き、アイラの放った氷柱を嚙み砕いていた。


「これ……なんなんだよ」


 ダッカが怯えた目でおれを見る。木の形状に見覚えはあった。おそらくダッカも薄々は気づいているのだろう。ただ認めたくないだけだ。それはもちろんおれも同じ。


「トレントよ。さっきの宿木、私たちが思うよりずっと長い時間この迷宮に居たみたいだね」


 答えたのはアイラだった。既に次の氷柱を用意して相手の出方を窺っている。


 トレント。一説によれば1000年を生きた樹木が、累積したエーテルによって妖精種へ変質したものだと言われているが……何しろ見たことも、見たことがあるという人間に会ったことも無かったため、空想上の生物に過ぎないと思っていた。まさかドライアドの宿木がトレントになるとは……。


「みんなどいて!」


 トレントが大きく口を開いたのをきっかけに、アイラが先にぶつけたのより数段大きな氷柱をぶつける。トレントは一瞬怯んだように見えたがそれだけだった。傷らしい傷は付いてない。


「逃げるぞ」


 おれは未だ目覚める様子のないカレンシアを抱えて走った。


「ちょっと待ってよ! 話は終わってないよ!」


 アイラとニーナがおれに続き、シェーリを背負ったダルムントが更にその後方を走る。ダッカは荷物が重いのか、意外にも最後尾に位置していた。


 もしかしたらトレントはおれたちに用事があるわけではないのかもしれない。走りながらも薄っすら抱いたその期待は、ダッカの悲鳴によって容赦なくかき消された。


「助けて! 助けてくれ! 追いつかれる!」


 トレントは木の根の部分を足のように器用に動かしながら進み、ダッカの体めがけて口を開いたり、勢いよく閉じたりを繰り返していた。

 木と木がぶつかり合う殺意に満ちた鳴動が辺りに響き渡り。それをダッカが紙一重で避ける度、背嚢から零れ落ちる枝をトレントが器用に拾い集めていたが、どのみち追いつかれるのは時間の問題に思えた。


「ドライアドの宿木がトレントに変質するなんて、すごく興味深いな」


 それを尻目にアイラが感心していた。


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。このままじゃ追いつかれるぞ!」


 速度の落ちる気配が見えないトレントに対して、おれたちのパーティーは大荷物を抱えて走る男3人に、体力に難ありの女が二人。このまま追いかけっこを続ければどうなるかは火を見るより明らかだった。


「だから私は最初から、切り倒したほうがいいって忠告したのに」


「まさか、こうなることが最初から分かってたのか?」


「そんなわけないじゃん。ここは迷宮よ。何が起こるかなんて誰も分からない。誰にもね」


 アイラは息を切らしながら意味深な台詞を吐いた。


 その言葉の意味が分かったのは、次の曲がり角を曲がって水路沿いの通路に出た時だった。


「お前らも逃げろ! 食われるぞ!」


 おれは叫んだ。目の前には探索者と思わしき集団が、嬉々としてワーラットから戦利品を剥ぎ取り、勝利と冒険の幕開けを分かち合っている最中だった。


 そこに突如として現れるベテラン探索者一行と、見たこともない木の化物。

 何が起こるかは誰にも分からない――。

 まさに彼らにこそ必要だった言葉だろう。


「早く走るんだよ! このクソガキども!」


 足がすくんで動けない者や、身の程も知らず立ち向かおうとするアホどものケツを叩き、おれはまるでカルガモの親鳥にでもなったかのように探索者たちを引き連れて走った。


 その人数は次第に増え、休憩所に近づくころにはおれはカルガモというより新興宗教の教祖と言ったほうがふさわしいほど大量の探索者たちを導き走っていた。途中、様々な要因から脱落者が出る度、おれたちの結束はより確かなものとなっていく。


 しかし、ギルドが設営した休息所を守る壁と扉が見えてくると、新たな問題も発生した。


「一列で通過しろ! 押し合うな! 全員間に合うから安心しろ」


 休息所へ続く扉の大きさは、保安上の関係から最低限の大きさに留められている。要するに人ひとりが通れる程度のサイズってことだ。もちろん数はひとつだけ。皆気力も体力も限界だ、我先に助かろうとごった返しになるのは目に見えていた。


「おれがしんがりをやって時間を稼ぐ。アイラはこいつらがちゃんと順番どおり扉をくぐるよう誘導してくれ」


「逆のほうがいいんじゃない?」


「いや、おれの言うことなんか誰も聞きやしないだろう」


「行かないで! ロドリック」


 ニーナがおれの後ろ髪を引く。


「大丈夫、すぐ戻ってくるよ。それよりカレンシアを頼む」


 おれはニーナにカレンシア託し、大急ぎで列の一番後ろに引き返した。

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