第87話 エピローグ ②

 さて、勘のいい奴は既に気が付いているかもしれないが、今回の物語もそろそろ大詰めに差し掛かる。

 出会いや別れ、冒険や戦い、そして再会――この数週間紆余曲折あったが、振り返ってみればよくある喜劇の枠組みに納まる程度のもんだったと思う。


 ただ……こういうタイプの話の筋は、最後に必ず思いもよらぬ相手が黒幕として立ちはだかるというのが定番でもある。おれの見立て違いで喜劇ではなく悲劇だったのなら、それに裏切りと死が加わることになるだろう……。


 皆の心に疑心の種をまいたところで、話を本筋に戻すとしよう。



 ※※※



「これだけでも、一時遊んで暮らせるぞ!」


 宿木の枝を背嚢一杯に詰め込んだダッカが、暗渠を抜けた先で喜びのあまり叫んだ。


「忘れるなよ、報酬は山分けだ」


 おれは一山当てて浮かれるダッカに釘を刺す。ダッカは小さく舌打ちするが、おれはその態度を諫めるつもりはなかった。浮かれているのはおれも同様だ。カレンシアを救い出したばかりか、あのサイズの宿木を手に入れられるんだ。全員で山分けにしたってかなりの額になるはずだった。


「帰りは第4層に降りて、昇降装置で地上へ帰ろうぜ」


 それもあってか、ダッカのこの提案を受け入れるのもやぶさかではなかった。


「それは止めておいたほうがいい」


 意外にも、水を差したのはアイラだった。


「貴方が何かやろうとしてるってことを聞きつけた連中が、第4層のキャンプで貴方の帰りを待ってるらしいよ。トラブルになってもあれだし、ここは我慢して徒歩で帰ったほうがいいかもね」


 アイラは隊列の先頭を歩きながら言った。そのすぐ後ろを歩くニーナが、不安気な瞳でおれのほうを振り返っていた。


「分かったよ」


 仕方ない。おれたちは徒歩で帰ることにした。しかし、気を緩めないように気を付けながらも内心安心しきっていたのだろう。アイラのことはともかく、おれはニーナの動静の異変にも気づいてはいなかった。


 いつもおれの傍を離れようとしない女が、どうして今はこんなによそよそしい? なぜこいつは死地から生き延びたおれではなく、アイラの方にくっついて歩いている? 今考えれば、おかしな部分はいくらでも見つけられたはずだ。だがこの時のおれはただ、喜びと充足感だけで体を満たしていた。


「ところでリック、そのカレンシアってのとは、どういう関係なんだい?」


 アイラが速度を緩めないまま尋ねてきた。おれは背負った重みが、ちゃんと熱を保っているのを感じながら答えた。


「別に、お前が居なくなってしばらくして、ここで拾ったんだ」


「ふうん、魔力からして、かなりいい線いってる魔術師みたいだけど。よく今のリックと一緒に探索する気になったね」


「記憶喪失らしくてな。おれの探索に付き合ってもらう代わりに、彼女の記憶の手がかりを探してやってる」


 おれは敢えて、すべてを話さないよう努めた。アイラのことが信用できなかったわけじゃない。そういうわけじゃないんだが……今は話すべき時期ではないという、自分の勘を信じた。


「そっか、でもリックってそんないい奴だっけ? それとも、そういう女がタイプなのかな?」


 アイラの声が妙に冷たく響いた気がして、おれは思わず身震いした。


「まあ、若い女ならだいたい好みの範疇だ」


「なにそれ、誰でもいいってこと? ニーナ聞いた? こいつおっさんのくせに酷いこというね」


「誤解するな。女性の長所を見つけるのが得意だってことさ。それにカレンシアとは、そんな関係じゃない」


「じゃあどういう関係?」


 アイラの足が止まった。おれもつられて足を止める。


「貴方にとって〝それ〟はどのくらいの価値があるの?」


 振り返ったアイラの、いつもの人を小馬鹿にするような薄ら笑みの中から、若干の憐憫を感じる。


 おれはまた身震いした。そういえば、さっきから妙に冷える気がする。


「〝それ〟変だと思わない?」


 嫌な予感がした。ニーナが無言でアイラの後ろに回る。


「ギルドも把握してない人間が、迷宮で記憶喪失のまま迷子になってる? そんなの普通じゃないよね」


「そうでもないさ、どうせギルドの誰かが小遣い稼ぎにこっそり探索を許した裏稼業の人間だろ」


 どんどん寒くなってきた。吐く息が見える。水路から湯気が立ち込める。


「面白い憶測だね。じゃあ貴方が第2層で見つけた転送魔術も、以前は何をしたって見つからなかった宿木への道も、それなりに平穏を取り戻し始めていた貴方に、突然降りかかるようになった苦難の数々も、彼女とは何の関係もない偶然だって言いたいの?」


「つまり、何が言いたい?」


 それ以前に、なんでアイラがそれを知っているんだ? 


 予感は現実に変わろうとしていた。


「もうわかってるでしょ」


 見通しが甘かった。何も終わってなど居なかったんだ。


 おれは背負ったカレンシアを庇うように、アイラから後ずさる。


 アイラの手のひらにエーテルが集まっていた。水路の水がアイラの脇に吸い寄せられ、そのそばから氷柱に変化する。鋭い頂点はおれの側を、正確に言えばカレンシアを向いている。


 おれは目線だけで後方を確認した。ダルムントは助けにはなれないと首を横に振っている。ダッカはなにが起こっているのか理解が追い付かないようで「え? え? お前ら痴話喧嘩で殺し合いすんのか?」と挙動不審になっていた。


 もはや打つ手なしだった。アイラの魔術はおれの障壁では絶対に防げない。唯一可能性があるとすれば装剣技で切ることだが、それもカレンシアを背負ったままでは無理だ。だからといってカレンシアを下ろしてしまえば、アイラの氷柱に貫かれて彼女は殺されるだろう。どうする?


「落ち着けよ。話し合おう」


「その必要はないよ。リックこそ、思い出して。私が導いてきた道は、いつも正しい道だったでしょ?」


「そうとも限らない、正しさなんて、おれの生まれた国じゃ上司や国王が変わる度にコロコロ替わる不確定なものだった」


「それでも確かなものはあるよ。私はそれを守るために、今も生き続けてるの」


 アイラは一歩も譲歩する気はないようだ。おれは覚悟を決めてカレンシアを足元に下ろした。おれごと貫く必要がなくなって安心したのか、アイラが表情を少し緩める。


 その直後だった。氷柱がカレンシアめがけて一直線に飛んできた。


 このタイミングかよ、本当にいい性格してるぜ。


 おれは装剣技を発動させながら、カレンシアを跨いで前に飛び出す。


 アイラの氷柱がいかに高密度高威力の魔術だろうと、この現世に存在する限り、絶対におれの装剣技で斬ることが可能なはずだ。氷柱を切り落としたら、そのままアイラに肉薄して接近戦に持ち込む。アイラは魔術師にしては身のこなしは軽い方だが、それでも対魔術師専門の訓練を受けて育ったおれに及ぶものではない。勝ち目は薄いが、アイラはおれには必ず手心を加えるはずだ。絶対に敵わない相手じゃない。


 しかし、おれの計画は最初の一手から頓挫することになる。


「そう来ると思ってたよ」


 アイラの氷柱はおれの剣が届く直前で二つに砕け、綺麗に再生成されながら、おれの左右を通り過ぎて行った。


「カレンシア!」


 振り向きながら、見るんじゃなかったと、後悔するような光景が目の前に広がった。

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