栄光と苦難

第86話 エピローグ ①

 寂しげに佇む宿木の幹には、おれがここに来た一番の目的があった。

 風にそよぐ麦穂のような金髪、少し幼さを感じさせる大きな瞳に、すらっと通る鼻筋――おれは最初に出会ったときの姿からは想像もできないほど、げっそりとこけた彼女の頬を撫でる。意識を失っていはいるようだが、まだ呼吸はあった。


 急にこみ上げてくる懐かしさが、胸を締め付けた。既視感か? 似たようなことが前にもあったような。でも悪い気分じゃなかった。


 おれはカレンシアに巻き付く蔓を解くと抱きかかえた。そしてある種の達成感のようなものを頼りに、彼女を抱く腕の力を強めたり、あるいは緩めたりした。


「その子が噂のカレンシア? 随分とご執心だこと」


 カレンシアを背負いアイラ達の元に戻ると、さっそくからかうような冷やかしを浴びせられた。


「そんなんじゃない。ただ、見捨てるわけにはいかなかったってだけだ」


 ふうん、そう。アイラはまだ何か言いたそうだったが、それ以上の追及はしてこなかった。


「それより、そっちはどうだ? さすがにこいつら全員を運んで帰るってのは勘弁願いたいんだが」


 おれは気持ちよさそうに寝っ転がる三人を見下ろしながら言った。


「ダルムントと、もうひとりの小男ならじき目を覚ますわ。でも魔術師の娘さんのほうは時間が掛かるね。魔力欠乏症を起こしてるみたい」


「そいつなら別にいい。ダルムントに持ってもらおう」


 むしろシェーリが今目を覚まさないのは好都合だった。なぜなら幹の裏にもユーリの姿は見えなかったからだ。この部屋に弟が居ないと知ればシェーリは確実に発狂するだろう、そうなるくらいなら眠っていてもらったほうが面倒が少なくて済む。しかし、死体も見つからないってのは予想外だった。


「リーダー、それにアイラも……どういうことだ?」


 アイラにユーリという男のことを相談するべきか考えていると、唸り声と共にダルムントが目を覚ました。


「おはようダルムント、久しぶりだね」


「アイラも相変わらずのようだな」


 差し出されたアイラの手を掴み、ダルムントが体を起こす。


「カノキスが新しく手配した魔術師、アイラのことだったらしいぞ」


 おれがここまでの経緯と共に説明すると、ダルムントは頷きながら言った。


「アイラが戻ってきてくれたのなら安心だ。リーダーが寂しがってたぞ」


「ほんとに?」照れくさそうにおれを見て笑うアイラ。


 後はダッカが目を覚ますのを待つだけだった。その間、宿木の処遇についておれたちは話し合うことにした。


「私はすぐに切り倒したほうがいいと思うな」


 アイラの意見でほぼ決まりだった。


 地上であればドライアドが新しい実をつけるのは、次のブラッドムーンまで待たなければならないが、迷宮では何があるか分からない。このまま放置して帰るよりは、今片付けておいたほうがいいだろう。


 ダッカの目覚めがもう少し遅かったら、そうなるはずだった。


「おいお前ら! 何やってんだ!」


 飛び起きたダッカが駆け寄ってきたのは、おれとダルムントが宿木に向かって獲物を振り上げたそのときだった。


「正気か! やめろ馬鹿、やめろって!」


 すぐさま駆け寄り、おれとダルムントの獲物を下ろさせるダッカ。


「今切っちまってどうすんだ! どうやってこれを地上まで運ぶつもりなんだ?」


「後日ビギナーでも雇うか、ギルドにでも依頼して運んでもらえばいい」


「そんなのいつになるか分かんねえだろうが! ドライアドの宿木ってのは鮮度が大事なんだ。切ったらなるべくすぐ持ち帰って売らないと、値段が下がっちまうだろ」


 こいつの言うとおり、手元に入る金はそりゃ多い方がいいに決まってる。しかし次来た時にまた実をつけていたらどうする? また戦う羽目になるぞ。

 おれはもう今年いっぱいくらいはドライアドを見たくなかった。しかしダッカは宿木を庇って喚き散らし続ける。


「そこまで言うなら、もう好きにしたら?」


 アイラも面倒臭くなったのか肩をすくめると、部屋の出口側に向かって歩き始めた。


「どうなっても知らんからな」


 おれもカレンシアを背負ってアイラの後に続く。シェーリはダルムントに担いでもらうことになった。


「ちょっと待て、持てる分だけ持って帰るから」


 そう言うとダッカは、背嚢からいらない物資を捨ててスペースを作ると、宿木の枝を何本か追って詰め込み始めた。

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