第85話 ヴンダール迷宮 第3層 ドライアド ⑧

「アイラ……何故、君がここに?」


 鼻をつまみながら、残った魚醤を踏まないようぴょこぴょこ飛びながら近づいてくる彼女の姿に、おれは驚きを隠せないまま言った。


「つれないなあ、貴方が私の助けを必要としてるって聞いたから、バカンスを切り上げて大急ぎで戻ってきたっていうのに」


「まさか、カノキスが新しく手配した魔術師ってのは……」


「ご名答、私だよ」


 おれの目の前に立ち、得意げに胸を張るアイラ。おれはどんな顔で彼女と向き合えばいいのか分からず、自然と目を逸らしていた。


「男と一緒に田舎へ引っ込んだんじゃなかったのか? 急に居なくなりやがって、どの面下げておれの前に現れた」


「あれえ? もしかして拗ねてるの? 今はここに居るんだから別にいいじゃない。それよりほら立って、次が来るよ」


 アイラはおれの肩に手を置いた。彼女の手は、魔術によって下がった室温よりもずっと冷たい。しかしその体温はいつもおれを守り、導いてくれたぬくもりだった。


「次って?」


 おれはアイラの目線を追って振り返った。

 そして、諦めが悪いのはなにもおれだけに限ったことではないと気が付いた。


「おれがやる、援護を頼む」


「そんなボロボロの状態で? 強がりはいいから貴方は下がってて」


 宿木から落ちる無数の果実が、続々と新たなドライアドに変異していく中、アイラはおれを押しのけ、詠唱を始めた。

 アイラの詠唱は早い。すぐさま周囲のエーテルが張り詰め、杖が鳴動を起こす。


 本日2度目の『氷柱』が、生まれたばかりのドライアドたちを容赦なく貫いた。


 十数匹のドライアドは、そのほとんどが甘い樹液を流しながら、さながら見せしめに殺される脱走奴隷のように、地面から串刺しにされ息絶えた。


 だが、1匹だけ無傷で生き残った奴がいた。


「妖精種って本当に厄介な生物だね」


 理由はすぐに分かった。氷柱に貫かれる直前、すべてのドライアドが1匹の仲間のために、持てるすべての蔓を集めて分厚い壁を作っていたのだ。


 十数匹分の蔓を編み込んで作った壁は、アイラの氷柱を辛うじて防ぎ、その奥から姿を現した最後の1匹が、静かに花を咲かせていた。

 こちらも本日2度目の『花の歌』だ。ドライアドを中心にエーテルが波紋のように広がっていく中、おれはどうすべきなのか判断が付かず、アイラの顔を窺った。


「やっと私を見たね」


 今日初めて、ちゃんと目が合って。アイラが嬉しそうに微笑んだ。


 杖が床を叩く音。


 次の瞬間、耳を付くような甲高い響きと共に、部屋中にまるで花のように咲き乱れた氷柱が粉々に砕け散った。


 氷柱は細雪のように小さく宙を舞う氷の結晶に変わり、部屋中をキラキラと彩る。


 アイラはそれらをエーテルと共にかき集め、自ら作った障壁に織り込むように細かく混ぜ込んでいった。


 通常の障壁に加え、氷に属性変化させたエーテルを均一に織り交ぜることで、魔術だけではなく物理的な攻撃にも対応できる高等魔術。おれなんかには到底真似できない芸当だった。

 もちろんこの属性系障壁は自身の先天属性に近ければ、よりエーテルとの親和性が高まる。極めればおれより薄い障壁で、フェニックスの灯火すら防げるというが、さすがにそこまでの魔術師にはお目にかかったことはない。しかし、ドライアドの『花の歌』程度ならどうだろう。


 アイラの『氷壁』は、ドライアドの『花の歌』に触れた途端、エーテルを凍り付かせた。ドライアドの魔術もそれに巻き込まれ、動きが変化する。

 アイラの魔術には、他の属性の二次性質に干渉するという特殊性がある。ドライアドの使う魔術は固有魔術であるため属性も二次性質も明らかになっていないが、おれの予想が正しければ、ドライアドの魔術はアイラと同じ冷性質に引きずり込まれるはずだ。


 『氷壁』に干渉を起こした『花の歌』は、予想どおりすべて凍り付き、そのまま障壁に取り込まれた。


 最後の抵抗を見せたドライアドは穏やかな表情で目を閉じる。

 髪冠に咲いた花は散り、同時にドライアドの命も散った。


 『花の歌』を使ったドライアドは皆、例外なく活動を停止する。いわば命と引き換えに使う魔術だ。そして、これで宿木の命運も尽きた。


「これで最後だったみたいだね」


 実をすべて落とし、青々とした葉だけになった宿木を見上げながらアイラが言った。


「礼を言った方がいいか?」


「それには及ばないよ。少なくとも今はまだ」


 意味深に微笑むアイラ。

 おれは「後ろの3人を起こしてやってくれ」と告げて、ひとり宿木へと近づいた。

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