第83話 ヴンダール迷宮 第3層 ドライアド ⑥
「ルキウス起きて」
その声は妙に懐かしく感じた。ベッドのシーツを引き剥がし、嫌がるおれを笑いながら引っ張り出すのは、彼女の毎朝の日課みたいなもんなのに、何故だかその笑顔を見るのは長く叶わなかったことのような気がして。
「なあに? 変な顔して、もしかして嫌な夢でも見てた?」
「かもしれない、なんだか長い夢を見ていた気がする」
おれはシアの手を引っ張って、シーツごとベッドに抱き寄せた。
「寂しがり屋さん、そんなんじゃ来週から思いやられるわ」
「来週ってなんだっけ?」
「来週から帝国へ行くんでしょ? 使節団の一員として」
「ああ……」
それは王国が誇る無能の血族から生まれた寵児、テオドール王から直々に頼まれた面倒事。あまりにも乗り気じゃないせいですっかり忘れていた。
「帝国じゃない。正確に言えば属州のパルミニアって都市だ」
「一緒でしょ。でも意外だったわ、貴方は帝国のこと嫌いなんだと思ってた」
「もちろん大嫌いさ、捕虜として帝都に2年間拘束されたときからずっと」
「じゃあなんで断らなかったの?」
「テオドールの〝頼み〟を断ると後が面倒だ。それに捕虜になってたときヴンダールには結構世話になったしな」
「ホントは?」
シアが意地悪な笑みを浮かべながらおれに詰め寄った。彼女はいつも、おれのことはすべてお見通しだった。
「新規の遺跡が発見されるのは10年ぶりだ。発見されたばかりの遺跡ってのはそこらじゅうお宝だらけなんだ。こっそり掠め取って、ひと財産稼いでやろうと思ってね」
おれは強欲で金に汚い属州総督のようにニヤリとわざとらしい笑みを浮かべた。
「お手本みたいな回答ね。それで、どのくらいで帰ってこれそうなの?」
「長くても半年程度さ、軍団に入って戦争にいくよりはマシだろ」
「貴方のことだから、1年はかかりそうね」
「毎週手紙を出すよ、それにひと月に一回は休暇を取って帰ってくる」
「私もついていこうかしら」
「おれとしてはそれでも構わないが、君の父上が許さないだろう」
「父の話はやめて」
シアはうんざりした顔で首を振って、唇でおれの口を塞いだ。
それから二人でじっくり愛を確かめ合ったあと、各々がベッドの上で自堕落な時間を過ごそうと、瞼を閉じかけたときだった。
「ねえロドリック」
シアが滅多に呼ばないおれの3番目の名前を呼んだ。たまにシアからその名で呼ばれると、まだ友人だったころのことを思い出してむずかゆくなる。
「なんだい?」
おれは寝返りを打って彼女のほうを向いた。
突如、耐え難い頭痛に襲われ、気を失いそうになる。
助けを求めるように手を伸ばすも、空を切る。どういうことだ? 目を開くと、今しがた隣で横になっていたはずのシアが、忽然と姿を消していた。
「ロドリック!」
何かが変だった。声だけがどこからか聞こえる。でもどこから?
おれは起き上がって周囲を見渡す。揺れるカーテン、辿る香水の香り。頭はまだ割れるように痛む。
「早く起きて!」
声がまた頭の中に響く、おれは叫んだ「黙ってろ!」
酷く混乱していたせいってのもある。頭痛のせいで思考が、いつも以上にまとまっていなかった。ここはどこだ? どうしておれはここに? そもそもおれは、今誰と話していたんだ?
気が付けば崩れ行く壁、床、そして周囲の景色。みっともなく慌てふためくおれの名を、まだ誰かが呼び続けていた。
「頼むから黙っててくれ!」
おれは叫んだ。最後に残ったベッドが深淵に落ち、シーツと共におれも引きずり込まれる。それと同時にこの世界から現実感が消え失せた。
「ロドリック、起きて!」
しかし、その中でもひとつ、彼女の声だけは確固たる輪郭を引いて、おれの心を呼び止めようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます