第80話 ヴンダール迷宮 第3層 ドライアド ③

 宿木まではあと10メートル弱、それに対しておれたちに残された放水筒はあと一つ。絶体絶命の状況だったが、まだやれることは残っている。おれはダッカの腕から最後の放水筒を奪い取ると、出来るだけ申し訳なさそうに呟いた。


「悪いな、こんなつもりじゃなかったんだ」


「何を言ってる……おい、それどうするつもりなんだ」


 おれが今からやろうとしていることを察したのか、絶望の表情を浮かべるダッカとシェーリ。おれはダルムントの背中を3回叩き、放水筒を抱えたままダルムントの脇からひとり飛び出した。3回は計画変更の合図、そしてこれはダッカとシェーリには伝えていないことだった。


 おれの決意を汲んだダルムントが体を屈め、亀のように頭上に大盾を構えてその中に閉じこもった。その後方では魚醤とダルムントという盾を失ったダッカとシェーリが、早速ドライアドから襲われ悲鳴をあげていた。


 おれは構わず宿木を目指した。ダルムントは防御に徹すれば魚醤なしでもなんとかなるだろうし、ダッカとシェーリのことは最初から死んでもいい人材として割り切っている。


 あいつらを囮にして後方のドライアドを分断し、おれがその隙に一人で宿木を目指す。それがもう一つの計画だった。


 おれは魚醤が入った最後の放水筒を手に、宿木への距離をどんどん詰めていった。

 当然ドライアドも黙っちゃいない。魚醤で死ぬのを覚悟で特攻を仕掛けてきた数匹のドライアドが蔓を伸ばし、おれの胸当ての隙間からあばらを打ち、頬を引き裂いた。


 ドライアドのほうは当然ながら魚醤を浴びてすぐに息絶えたが、おれも手痛いダメージを負ってしまった。

 しかも絶好の機会を得たとばかりに、別の方向から追撃を入れてくる数匹のドライアド。どうやら膝をついて一休みすることも許してくれないようだ。


 おれは紙一重でそれらを避け、宿木に向かって放水筒のレバーを一気に押し上げる。


 放水筒から噴射された魚醤は放物線を描きながら、宿木を庇い立つように広がった蔓の壁にぶち当たる。見る見るうちに蔓の壁は萎れ、あっという間に奥に鎮座する宿木が剥き出しになった。


「カレンシア!」


 おれは叫んだ。


 既に幹に縛られているカレンシアの鼓動が、感じ取れる距離まで近づくことが出来ていた。カレンシアはまだ起きない。しかし生きている。あとほんの数歩で手すら届く。


 ダッカとシェーリの悲鳴はいつのまにか聞こえなくなっていた。もう殺されてしまったのだろうか。不思議と罪悪感は沸いてこなかった。今はただ目の前で眠る彼女が、またおれの手の中に戻ってくるという喜びで、胸が焼けそうなくらい熱を持っていた。


  そのせいか、おれは肝心なものを見落としていた。恋は盲目とはよく言ったものだ。周囲のエーテルはずっとおれに、危険を知らせようとしていたのに。


 後方で起こっている異変に気づき、振り返った時には何もかも遅かった。


 障壁を張ったシェーリ、庇い立つダッカ、その傍らには焼け焦げたドライアドが1匹横たわっていて、更に奥には花を咲かせたドライアドが勝利を確信して笑みを浮かべていた。


 状況を理解するより先に、おれは波紋状に広がるドライアドの固有魔術によって、なす術もなく気を失った。

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