第79話 ヴンダール迷宮 第3層 ドライアド ②
戦いは唐突に始まった。
ドライアドはおれたちが花園に足を踏み入れるや否や、待ち構えていたかのように攻撃を仕掛けてきた。
これにはおれも面食らった。ドライアドは宿木を守るという特性上、相手の出方を見てから行動を取ることの多い防御型の妖精種であるため、出会い頭に攻撃を受けることはまずないと考えていたからだ。
油断していた。とまでは言わないが、なんとなく高を括っていたおれたちに、ドライアドの真っ赤な口腔から発せられた叫び声が、耐え難い鳴動となって襲い掛かかる。
予め耳栓をしていたダルムントは、ふらつきながらもなんとか持ちこたえた。魔術耐性があるシェーリも問題ない、意外なことにダッカも顔をしかめるだけで済んでいた。
おれたちは顔を見合わせると、すぐさま筒のレバーを引き、臭い魚醤をドライアドに向かって放射した。
上質な魚醤ってのは水で薄めたりしない分、濃度もすごいが臭いも凄まじい。一瞬で辺りはつんと刺すような据えた臭いと、腐った魚の臭いに包まれた。
もちろん効果は絶大だ。シェーリは吐いたし、おれたちを囲むように近づいてきた数匹のドライアドは、真っ黒な魚醤を頭から引っかぶった途端に、悲痛な叫び声をあげて地面に転がった。
盾のほうも効果は上々だった。放水筒を使用するおれたちを庇い立ち、ブナの木材を張り付けた大盾を構えるダルムントだったが、今のところ1発だけドライアドの蔓が飛んできた以外に、攻撃らしい攻撃を受けていなかった。
「いい感じだ。ダルムント、少しずつ前進してくれ」
おれは空になった放水筒を投げ捨て、新しいのを背嚢から引き抜きながらダルムントの背中を2度叩く。シェーリとダッカも放水筒で魚醤を飛ばしながらぴったりついてくる。
当然ながら部屋の中央付近まで進んだ時には、ドライアドから四方を囲まれる形になった。おれたちは当初の作戦どおり密集隊形を取り、周囲を分担して魚醤を噴射しながら進んだ。ここまでくるのに倒したドライアドは4匹、しかし周囲にはまだ10体以上残っていた。
「クソ! あっちいけ!」
後方を担当しているダッカが4本目の放水筒に手をかけた。
「おい、使いすぎだ! 宿木に近づくまでに魚醤が切れたら終わりだぞ」
残りの放水筒は約半分。ドライアドは着かず離れずの距離を保ち、魚醤が尽きるのを待っているように見えた。おれたちがこのまま宿木に辿り着くのが先か、魚醤が尽きるのが先か……ダルムントの背中越しに時おり見えるカレンシアの姿は、吹けば消えそうなほど小さく、力なくうなだれていた。
「ペースを上げよう、このままじゃ間に合わない」
おれはダルムントの背中を更に2度叩いた。このころにはダルムントの盾には、酔っぱらって家から閉め出された亭主が、妻と子供の名前を叫びながら扉を叩く程度には攻撃が繰り出されていた。
太い蔓が盾を打ち、鈍い音と同時にブナの木片が時おり飛び散っていた。すべての亭主がこれほどの力で扉を叩くことが出来たなら、おそらく家族の間に壁は必要なくなるし、浴びるほど飲んだ居酒屋の帰り道で妻への言い訳を考える必要もなくなる。
「そろそろ前に集中しろ、本格的なのが来るぞ」
ダルムントが花園に入って初めて口を開いた。耳栓で自分の声が聞こえないからか、やけに音量がでかい。おれはシェーリとダッカに後方と側面を任せると、ダルムントの忠告に従い、雨のように魚醤を前方にばらまいた。おかげで前方からのドライアドの攻撃は止んだが、今まで3人で分担していた後方側面が手薄になってしまったせいか、魚醤の消費量が一気に跳ね上がった。
「しつこいんだよ! とっとと離れ――」
宿木まで残り数メートルに迫ったとき、ダッカの怒号が急に途切れた。
そして何かが壊れる音と悲鳴が続く。
何かまずいことが起こったってのは想像に容易かった。
「大丈夫か!」
おれは振り返る。
ダッカは無事だった。しかし、奴の持っていた放水筒はドライアドの伸ばした蔓によって粉々に粉砕されていた。
「やっちまった! もったいねえな!」
ダッカが毒づきながら、ダルムントの背嚢から放水筒を取ったとき、おれたちは気づいてしまった。
それが最後の一本だということに。
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