第78話 ヴンダール迷宮 第3層 ドライアド ①

 強敵に挑むのなら、夜明けまでの時間は長ければ長いほどいい。

 日が昇るまでの一日間で負った傷を、すべて無かったことにしてくれる治療師の存在は、おれたちの仕事を快適にしてくれたのか、それとも勤務時間を伸ばしたことで、より過酷なものにしてしまったのか。その意見は割れるところだろう。


 街中が眠りにつくころ出発したおれたちは、昇降装置で第4層のキャンプに降りると、そこから塔の門を開いて第3層へ入った。本来なら浅層へ行くのに昇降装置は使わない主義なんだが、今夜は荷物も多いし特別だ。


 第3層の泉の広場で時間調整ついでに休憩をとっている間、男連中で協力して運んだ装置を念入りに点検する。


「この筒が秘密兵器だなんてね」


 筒に取り付けられたレバーの嚙み合わせを確認していたおれの後ろで、ニーナが感慨深そうに呟いた。


「おれがこの放水用の筒を全部買うと言ったとき、キルケは泣きながら喜んでいたよ」


「サービスしてくれた?」


「いや、感謝はされたが、20本分の金はきっちりとられた」


「後から私が払うわ」


「成功したら参加者全員から徴収するつもりだ。もちろんカレンシアとユーリからもな」


 懲りないおれに、ニーナは肩をすくめて苦笑した。しかし、ユーリの名前を出してしまったせいで隣に居たシェーリは感傷的になってしまったようだ。


「ユーリ、大丈夫かな……」


 独り言のように呟くが、おれは何も言えなかった。宿木に縛り付けられていたカレンシアを見つけたとき、ユーリは近くに居なかった。宿木の裏側でカレンシアと同じように縛られていたのだとしても、あれだけの騒ぎを起こしてなお、何も反応がないということはどちらにせよ無事ではないのかもしれない……。


「よし、そろそろ、行くか」


 嫌な空気にならないうちに、おれは立ち上がった。

 死地へ、とまでは誰も言わなかった。だが誰もがそれを頭の片隅で意識しているはずだ。ドライアドは妖精種の中でも与しやすい部類に入るだろうが、それでも容易い敵ではない。


「日の出まで、あと22時間切ってるからね。治療の時間も逆算するなら、10時間以内には決着をつけなきゃだめよ」


 ニーナが時計を見ながら言った。


「ああ、失敗したときの対応は話し合ったとおりで頼む。君は自分のことを第一に考えてくれ」


「わかってる。大丈夫よ、待つのは得意だから」ニーナは寂しそうに頷いた。


 今回彼女には花園の外で待っていてもらうつもりだった。作戦が失敗したときの保険だ。この間の一件から察するに、ドライアドはあの部屋を出てまでおれたちを追う気はないようだから、外に居れば多少の安全は確保できるはずだ。


「リーダー、こっちはもういいぞ」


 おれはニーナに触れようと伸ばしかけた手を引っ込めた。


 キルケの店で買った放水筒をまとめて、ダルムントが背負い直していた。筒の中にはもう魚醤が詰め込まれているためかなりの重量だ。ダッカはダルムントの半分も背負ってないのにもうバランスを崩しかけているし、おれは見栄を張ってダッカより多く受け持ったせいで背嚢の紐が肩に食い込んで痛かった。しかしダルムントは文句ひとつ言わずに歩き続けた。


「いつも大変な役回りばかりで悪いな」


「全く問題ない。それより、狙い間違って俺に魚醤をぶっかけるのは勘弁してくれよ」


「終わったら公衆浴場にでも連れてってやる」


「それならカッシウス浴場で頼む。あそこの垢すり屋はリーダーに顔立ちが似ていて、俺の好みのタイプなんだ」


 ダルムントのきつい冗談に、おれは苦笑いするしかなかった。


 しかしカッシウス浴場か……。


 今思えば、あそこで帝都から来た魔術師二人をぶちのめしてしまったところから、今回の件は始まったのか。


 おれの選択はいつも、栄光と苦難が朝と夜のように交互に訪れる。今だってカノキスが派遣した魔術師を待つべきだったのか、それとも探索ギルドでもう少し粘ってフリーの仲間を募るべきだったのか、迷いと後悔は尽きないままこの日を迎えることになってしまった。


 塩を除草剤に使うってのは聞いたことあるが、魚醤をドライアドにぶっかけて討伐するなんて話は聞いたことがない。時間的余裕がなく試行することもできないため不確定要素はどうしても取り除けないが、今更引き下がるわけにはいかない。おれに出来ることは、今明らかになっている事実と現象を手札に最善手を模索する以外になかった。


「心配するな。大丈夫、きっとうまく行く」


 ダルムントがおれの肩を叩いた。

 知らず知らずのうちに、おれもかなり力んでいたらしい。

 らしくないな。おれは大きく息を吸い込むと、両手で自分の頬を叩いて、休息所の扉を開けた。



 ※※※



 カノキスがギルドを通じて人払いをしているせいか、南区域の花園方面にはおれたち以外に探索者の姿は見当たらなかった。その割に魔獣の気配も感じられない。気味の悪さは感じるが、今のおれたちにとっては好都合なことだ。順調に進み、暗渠を抜けるとまたあの香りが立ち込めた。


「この感じ、宿木が居るほうの花園だ」


 おれの言葉に、全員が息を呑む。ランプに火を灯し、僅かな明かりを頼りに暗闇を進む。

 通路の突き当り、花園の入口はこの間と同じように闇に閉ざされていた。ランプを掲げても入口から中を垣間見ることはできない特殊な暗闇だ。


「3から始める、マルスに祈れ」おれは言った。


 これはおれたちが死地に足を踏み入れるときの、ルーチンワークみたいなもんだ。始めたのはアイラ。でも彼女が居なくなってもこれだけは続けることにした。偶然でも出会ったおれたちの、絆の証みたいなもんだから。


「二つ、恐れぬ者にエーテルの加護を」


 ニーナが愛する息子を送り出す、母のような祈りで告げた。辺りにヴェステの蝶が舞う。司祭級の祈りを初めて見たのか、シェーリが周囲のエーテルを見てごくりと唾を呑んだ。


「一つを過ぎた。獅子が最後に残した言葉は?」


 ダルムントがおれを見た。最後の言葉はいつもカレンシアの役目だった。今は居ないが、これから会いに行く。


 おれは少しだけ長いまばたきのあと、柄にもなく感傷的になっちまった自分を鼻で笑ってやった。


 締めの一言は取っておいてやろう。鼻にかかったような、あの甘い声の持ち主に。

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