第75話 黒い帳 ②

 居酒屋としては稼ぎ時の時間帯にも関わらず、店主は不在のようだった。


 以前来た時とは違い客は多く、一見すると満席のようにも見えるが、そこは工夫次第でなんとでもなるのが一般的な居酒屋のいいところだ。


 おれは忌まわしき探索ギルドの腕章をつけ、ブーツの音を高く鳴らしながら店内を歩き回った。わざとらしくため息をつき、頭を掻きむしり、ときおり客が食っている皿を覗き込む。すると食後酒を楽しんでいた数人の客が、嫌そうな顔をして店を出て行った。こうなってしまえば後は早い。このままでは店主の留守を守り切れないと悟った店員が、テーブルの上を片付けすぐさまおれたちを席に案内する。


「なんだか急かしてしまったみたいで悪いな」


「本当にそう思ってるなら、さっさと注文して、食って、帰ってください」


「支払いをしろとは言わないんだな」


「どうせ手持ちなんてないでしょう。店長はどう思ってるか知りませんが、ここは探索者向けの店じゃないんですから、あんまり他の人に迷惑かけないでくださいよ」


「わかってるよ」


 おれとニーナはいつも頼んでいるメニューに加え、目下大好評の魚醤をふんだんに使った料理を一品注文した。よく見ると、どの席にも魚醤を入れた瓶が備え付けられている。最近じゃどの店も魚醤を使いまくるせいで、街中がまるで港町のように腐った魚の匂いに包まれていた。いったいコルネリウスはどれほどの量の魚醤を誤発注してしまったのか。


「そういえば、店主は休みなのか?」


 おれは蝋板を片手にキッチンへ戻ろうとする店員を呼び止めた。


「いいえ、ちょっと前にコルネリウス様のところに料理を届けに行ったんです。もうそろそろ戻ってくると思いますが」


「相変わらず気に入られてるみたいだな」


 もしかしてここに来るまでに聞こえていた宴会の音は、コルネリウスが開いた催しものだったのかもしれない。おれは他の席からの注文に急き立てられる店員を解き放ってやると、食事が来るまでの時間をニーナと楽しむことにした。


「ここの飯が食いたかったんだろ? 席が空いてて良かったな」


「無理やり空けただけのくせに」


 ニーナは呆れて怒る気も起きないのか、力なく笑った。


「それで、気分転換の成果はでた?」


「今のところは何も。せめてドライアドの『花の歌』を防げる程度の魔術師が居ればなんとかなりそうなんだが……君が所属してる治療師組合のツテで斡旋できないかな?」


「残念だけど、治療師組合でも貴方の名声は響き渡ってるの。最近じゃ貴方と組んでる私まで、同類扱いされて困ってるんだから」


「そりゃあ悪かったな。じゃあ後は、シェーリの障壁が『花の歌』を防げるほどの練度であることを祈るしかないみたいだ」


 その言葉にニーナが眉をひそめ、更なる議論の火蓋が切って落とされそうになったとき、テーブルに料理が運ばれた。

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