第74話 黒い帳 ①

 カーテンを揺らした心地良い風が、隣で寝ているニーナの髪を揺らし、おれの頬をくすぐった。

 おれはニーナを起こさないようにそっと体を起こすと窓の外を見た。ちょうど日が暮れるところだったようで、集合住宅の隙間へゆっくりと夜の帳が下りていくのが見えた。

 おれたちが地上へ戻ってきたときは早朝だった。そっからニーナと一緒に飯を食って早々に寝てしまったため、中途半端な時間に目を覚ましてしまったようだ。

 馬車の車輪の音、誰かの痴話喧嘩に交じって聞こえる宴会の楽器の音色を聞きながら、少しはすっきりした頭でこれからのことを考えてみる。


 宿木が現れる条件は、おそらく水路を抜けた先で魔術を使わないことだろう。いや、もしかしたら単にカレンシアが〝扉〟を開いただけかもしれないが……どちらにせよ彼女が望む限りおれはあの部屋に辿り着ける。そこは問題ではない。

 問題はドライアドの倒し方が思い浮かばないってことだ。宿木に実っていた果実はざっと見積もっても10個以上はあった。当然おれ一人でどうにかできる数じゃないし、ダッカやダルムント、シェーリが居てもそれは変わらないだろう。


 助っ人を頼む方法も考えた。だが生憎おれに命を預けてくれそうな好事家は、身内以外には居ないという事実を思い出してしまったし、そもそも分け前が減るのはおれとしても望むところじゃなかった。


 せめてこれが地上での戦いであれば、ドライアドがうんざりするまで宿木に向けて火矢を打ち込むなど、いくらでもやりようはあったんだが……地上で培ったドライアド戦の定石はどれも今回使えそうなものじゃなかった。

 逃げ場のない密室で、しかも人質も取られている。火を使うってのはまず却下だ。じゃあ他にどうすればいいのか。


 おれはベッドから立ち上がって服を着た。二つの月が家路につくあるいはこれから一杯ひっかけに行く人々を照らしていた。行き詰ったときには気分転換が必要だ。


「どこか行くの?」


 甘い声に振り返ると、いつの間に起きていたのかニーナが頬杖をつき物憂げな表情でおれを見ていた。


「悪い、起こしちまったか」


「ううん、いいの。それより今日はうちに泊まるんじゃなかったの?」


「ちょっと気分転換に、酒でも飲みに行こうと思ってな」


「だったら私も一緒に行く」


 断る理由もなかったが、女はちょっとゴミ捨てに行くだけでも周到な用意をする傾向がある。

 おれはニーナをベッドから抱き上げると、ケツを叩いて急かした。服を着せてやり、化粧をしている間に髪を梳かしてやる。


「こうやって二人きりで散歩するの、久しぶりな気がする」


「たまに誘っても、近頃の君は付き合いが悪いからな」


「それは貴方の誘い方が悪いのよ」


 夜の大通りを歩いていると、金持ち連中らを乗せた駕籠が数台、競うように坂道を駆け上がっていった。楽器の音が夜の大通りに微かに響いている。どこかの有力者が宴会を催しているのだろう。つまり今の奴らは遅刻組ってわけだ。それとも呼ばれてもないのに食事のおこぼれを貰おうとしている詐欺師か。


「ねえ、どこ行く?」


 ニーナが腕を絡めながら、嬉しそうにおれを見た。こんなに喜ぶニーナを見るのは久しぶりだった。いつもの幸が薄そうな顔のほうがおれの好みではあったが、たまには無邪気に笑う彼女を見るのも悪くはない。


「シドラの果実はどうだ?」


 それに、どうせならもう少し喜ばせてやろう。

 こんなので罪滅ぼしになるとは思ってないが、ダッカの件に関する礼も兼ねて、クソみたいな店主がやっているクソみたいな店に行くことにした。

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