第73話 ヴンダール迷宮 第3層 花園 ⑪
幸か不幸か追手はなく、おれたちは無事泉の広場に辿り着くことができた。
広場ではニーナがシェーリの手を借りて、治療儀式の準備を行っているところだった。おれの姿を認めるなり、酷いケガね、と呆れた様子で呟く。
「ちょっと、羽目を外し過ぎちまった」
「いい加減大人になったら?」
しかし、どうせこんなことだろうと予想はしていたのか、ニーナはそれ以上何も言うことなく粛々と儀式を執り行った。おれは瓔珞模様の施された大理石の祭壇に横たわり天井を眺めた。壁にはヴェステ神を象った石像が、その奥にはヴェステ神が記したとされる巻物の写本が天井から吊るされていた。おれはそれらから目を閉ざし、今更痛みだしてきた腕や肋骨から気を逸らそうと努力する。
「それでどうだった? 宿木見つかったんでしょ? ユーリは居た? ケガとかしてなかった?」
目を閉じると、ニーナの祈り声に交じって、垂れ幕の向こうに居るシェーリとダッカの話し声が聞き取れた。
「宿木は確かにあった、それもかなりデカいやつが。しかも幹に人が縛り付けられてた」
「ユーリね? 無事だった?」
「俺がその部屋に居たのは一瞬だけだったから、それがユーリかどうかまでは……」
「きっとユーリよ! それで、生きてたんでしょ?」
「まあ、多分、生きてたんじゃねえか……」
「はっきりしてよ! このクズ!」
癇癪を起した女の金切り声と、ぺちぺち何かを叩く音、その直後ダルムントが宥める様子が聞き取れた。
「いてえなあ……俺もぎりぎりだったんだよ。ドライアドがすぐそこまで迫ってたし、ロドリックも動けるような状態じゃなかったし……しかも、部屋もいつもの感じじゃなかった。位置的には確かに花園だったのに、床は草だらけで、花があったところには見たこともないくらいデカい宿木があった。何がどうなってんのか、俺だって混乱してんだ。ちょっとくらい考えさせてくれ」
ダッカは時々声を裏返しながらも、つらつらと愚痴を垂れる。シェーリのすすり泣く声。ダルムントが心のこもってない声で宥めている。これでようやく静かになった。
「はい、これで大丈夫」
いつの間にか眠っていたおれは、ニーナに肩を叩かれ目を覚ました。腕も肋骨も完治していた。辺境の地に代々伝わる奇跡か……全く便利なもんだ。ヴェステ神が様々な都市で巨大な神殿を作り、年々信徒を増やしている理由がわかる。
「どのくらい経った?」
「もう夜よ」
ニーナがエーテル時計を手に答える。おれはニーナの手を借りながら祭壇を下り、血が乾いて硬くなった服を着る。
垂れ幕を開くと、順番待ちをしていたであろう探索者の一団が、おれを睨みつけながら入れ替わりに祭壇へ入っていった。
「感じの悪い奴らだな、何かあったのか?」
肩をすくめるニーナに代わって答えてくれたのはダルムントだった。
「少しトラブルになった。祭壇の占有を咎められてな」
「治療の順番を代われと言われたのか、断ったのか?」
「こちらの方が重傷だと思った。向こうは目に見える負傷はそれほどでも無かったしな」
「じゃあなんでおれは睨まれた?」
「先ほどあの者たちの仲間の一人が意識を失った。臓腑が血を流していたのか、それとも頭を強く打ったのか、外見よりずっと重傷だったようだ」
「そうか、ついてなかったな」
おれはそれ以上何も聞かなかった。治療の準備が整ったのだろう。垂れ幕の奥から、すすり泣く声に交じって、拙い祈りの言葉が聞こえてきた。この治療師の練度じゃあ、助からない可能性が高そうだ。
「おい守銭奴! もう大丈夫なんだろ? 動けるならさっさと帰るぞ」
少し離れたところで帰り支度をしていたダッカが、感傷に浸るおれたちにしびれを切らして声を荒げた。
「待ってくれ。帰る前に確認したいことがある」
「なんだよ。早くカノキスに報告しに帰りたいんだ」
ダッカはおれの不穏な態度を警戒したのか、カノキスの名前を出しながらけん制する。
「なあダッカ、おれと組むって約束、まだ忘れてないよな」
「そりゃあ、互いの利益が一致している間は覚えてられるが」
「それなら話は早い。これはお前にとっても悪い話じゃあない」
おれはスツールに腰掛け、ダッカにも座るよう促した。
「全く、これ以上俺に何をさせようってんだ?」
ダッカはスツールを、おれから僅かに離して座った。いつでも逃げられるように片足を引いて構えている。
「カノキスに、宿木を見つけられなかったと嘘の報告をしてほしいんだ」
「へえ、奴を出し抜こうってか? でもカノキスの手配した魔術師はどうする? そいつもうまいこと抱きこもうってか?」
「いいや、宿木はおれたちだけでやるんだ。専門の魔術師が来るのを待ってたら、カレンシアやユーリは間に合わない」
ダッカが首を横に振る前に、おれはそうだろ? とシェーリに同意を求めた。
「もちろん、私はロドリックに賛成。ていうより元はと言えばあんたのせいでユーリは連れ去られたんだから、責任とって協力するのが大人でしょ?」
シェーリはダッカを責めたてた。自分より一回りも二回りも年下の娘に正論を吐かれるのは、大人としては惨めで腹立たしいことこの上ないだろう。ダッカは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「俺だって何とかしたいのは山々だ。でも現実的に、このメンツでドライアドの群れを相手にするのは不可能だろ。まだ宿木には大量の果実がなってたんだ。最悪その果実全部がドライアドに変わったっておかしくない。俺は金は欲しいが、命だって同じくらい大事なんだ。カノキスを出し抜くのは構わねえが、魔術師の到着は待つべきだ」
「ドライアドはおれが何とかする」おれは言った。
「どうするってんだ? 具体的には?」
「いい方法を考えるよ」
「なんだそりゃ、話になんねえな」
ダッカは肩をすくめた。
「確かに今すぐ名案は思い浮かばない。しかし、地上に戻ったら必ず、お前も納得するような作戦を考える」
「ふん、せいぜい期待しとくよ。それで、俺がカノキスを出し抜く見返りはもちろんあるんだろうな?」
「当然だ。まず宿木を売り捌いて得られる利益の半分はお前にやる。このままカノキスの小間使いを続けても、どうせ小金を握らされて、汚れ仕事ばかりやらされるだけだろ?」
「ギルドから貰える討伐報酬と、探索報酬はどうなる?」
「もちろんそれも山分けだ。それだけじゃない、ギルドからの討伐公告にも連名で名を連ねようじゃないか。あんたも一躍有名人だぞ、これで一流探索者の仲間入りだ」
これにはダッカも満更ではなかったようで「俺の名前が、公告碑に載るのか……」と鼻息を荒くした。
汚れ仕事や小間使いで金を稼ぐだけの3流探索者でも、心のどこかではあの石碑に名を刻み、人々の話題の種になることを夢見ているもんだ。こいつもその例外ではなかったってことか。
「決まりだな。地上へ戻ったらカノキスに嘘の報告を頼むぞ。宿木が見つからなかったのに戻ってきた理由は、おれの魔力が中々回復しなかったからってことにしよう。マルス神殿でおれが祈りと休息を取ったら、すぐに体勢を整えて探索を開始すると言えば、次の探索も怪しまれずに行えるはずだ。絶対に勘ぐられるなよ」
「任せとけ! お前のほうこそ、どうやってドライアドを倒すのか考えといてくれよ」
にやにやと浮き立つダッカ。対照的だったのはニーナだ。
またどっかのタイミングでひと悶着あるかもしれない。おれは今から出来ることをするために、帰りはニーナの荷物を持つことにした。
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