第70話 ヴンダール迷宮 第3層 花園 ⑧

 ダルムントの仲裁を得たおれは、反対する他の仲間たちを説得し、なんとか条件付の単独行動を許された。


「危ないと思ったらすぐに戻って来て」とニーナ。


「わかってる」


「時間になっても戻らなかったら、私たちも行くからね」


「はいはい」


 おれは仲間たちの期待に満ちた眼差しを背中で受けながら(実際は呆れてものも言えなかっただけかもしれない)通路を直進すると、何かに導かれるように突き当りを左へ進んだ。行先はもちろん花園だ。


 進むにつれて強くなっていく予感、そして暗闇に馴染んでいく視界。

 おれは目をこすった。明かりひとつない暗闇の中で、石畳の継ぎ目や剣の柄に彫ってあるまじない文字まで正確に見とおせると言ったら嘘になるが、それでも暗闇に慣れたときのおれの夜目は、ちょっとした業物相手なら切り結べるほどの視力は発揮できるはずだった。


 だが花園へとつながるアーチ型にくりぬかれた入口の先からは、何の情報も得られなかった。まるで、没食子で作った黒インクを塗りたくったような黒だ。通路を覆っている暗闇とは、明らかに性質が異なっている。


 おれはこの先に足を踏み入れるべきかどうか迷っていた。ニーナとの約束を守るのであれば引き返す以外の選択肢はない。

 しかし男女の約束なんてものは、破った回数を数えるための計数機としての存在意義しかないという意見もあるし、その計数は離婚調停の際、裁判官に渡す賄賂の額を決めるための指標でしかないという主張もある。


 それにもう一つ、この先へ進むための動機を後押しするものとして、この暗闇と似た効果を発揮するアーティファクトをおれは知っているという事実があった。


 そのアーティファクトは光を遮断することによって、外部から絶対に盗み見されないプライベートな空間を演出するとされるアーティファクトで、今もまだクラウディウス・ラプタが妻と同居中なら、彼の屋敷の中庭辺りに転がっているはずだろう。


 この花園を覆っている暗闇も、似たような魔法則により展開されている可能性が高い。だとすれば、ただ外から見えないだけで拘束力はないはずだ。中に入ってやばかったらすぐ逃げればいい。おれは頭に鳴り響く警鐘に気付いていはいたが、それ以上にこの先にカレンシアが居るのではないかという期待に背中を押され、一歩踏み出した。


 花園の中は意外にも目が眩むほどの光に満ちていた。暗闇に慣れていた目が一瞬眩む。手のひらで庇いながら開いた視界にまず飛び込んできたものは、予想以上の光景だった。


 部屋の大きさは花園と同じ、18人制のハルパストゥムコートくらいの大きさだが、おれが知っている花園とは異なる点がいくつかあった。


 まず床には石畳ではなく土が盛られ、その地面には一面に草が生い茂っていた。チガヤ、クローバー、ナズナ、スギナ、他にもたくさんだ。

 そして部屋の中央にあったのは花ではなく、部屋中に青々とした枝を伸ばした巨大な樹。たわわに実った血のように真っ赤な果実は、間違いなくドライアドの宿木によるものだった。


 迷宮の中にこれほど色づいた青々しさが満ちていることに驚きを隠せなかったが、しかし、それ以上におれの心を釘付けにするものがあった。


 それは、巨木の幹に蔓で何重にも縛り付けられた。カレンシアの姿だった。


 げっそりとしたカレンシアの周囲を数匹のドライアドが囲っている。

 おれは咄嗟に、近くの朽ちかけた柱の影に身を隠した。高鳴る鼓動を抑えて深呼吸すると、もう一度、アーチの淵に顔を擦りつけながら、恐る恐る覗き込む。

 縛り付けられたカレンシアの、青白く痩せ細った体が微かに上下しているのが見えて、胸が締め付けられそうになった。

 そうであってほしいと願っていたが、まさか、本当に生き延びていてくれたとは……。


 よく見るとカレンシアの足元には革袋が転がっており、その中から食い散らかしたナッツの殻や水入れが覗かせていた。もしものために持たせておいた携行食が役に立ったみたいだが、手足を縛られた状態でどうやったのか。


 その答えはすぐに分かった。

 朦朧とした表情で地面を見つめていたカレンシアが、ひび割れた唇を動かして、何かを呟いた直後だった。寄り集まったエーテルが、見えない手となり風となり、地面に落ちていた革袋を宙に持ち上げたのだ。


 全く、魔術師って奴らは便利なもんだ。そしてその中でもカレンシアは、やはり別格だ。見た目こそやつれて弱りきっていたが、纏っているエーテルはまだ力強く揺らめいていた。


 この調子じゃ、おそらく『点火』やデイウス戦で見せた黒い魔術のほうも試した後だろう、そしてドライアドから手痛いしっぺ返しを食らって、今の状況に落ち着いたと……。


 口元でいくら傾けても、一滴すら中身の出ない水入れを放り捨てて、がっくりと頭を垂れるカレンシアを見つめながら、おれは今すぐにでも助け出してやりたい気持ちをぐっと堪えて、状況を整理する。


 おれの位置から確認できるだけでも、ドライアドは3匹。木の裏に1匹いたとしたら合計4匹だ。おまけに宿木に実っている果実は一見しただけでも10は下らない。おれ一人でやるにはかなり荷が重い、少なくとも2回、ないし3回程度は博打を打つ必要があるだろう。それに全部勝ったとしても、五体満足で立っていられる確率は半々ってところか。


 今助けることは、不可能に近いな……。


 となると、重要なのはどうして今まで花が咲いてただけの花園に、突如として宿木が出現したのか、その条件を整理することだ。


 発光魔術を使わなかったのが条件か?

 しかしそれなら今までギルドになんの報告も上がってこなかったのが不可解だ。探索者の中にはパーティーに魔術師が居ないやつらも多い、そんな奴らはアーティファクトやそれよりもっと原始的に松明なんかを使って探索することもある。

 発光を使わなければ宿木を見つけられるなんて単純なギミック、何年も見つからない訳がない。だとしたら、いままで報告が上がらなかった理由はなんだ?


 その疑問にもっともらしい答えを思い浮かぶより先に、おれは自分が置かれた絶対絶命の状況に気付いてしまった。

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