第69話 ヴンダール迷宮 第3層 花園 ⑦
宿木のこともニーナのことも、何ひとつとして解決していなかったが変わらず朝はきた。
もちろん迷宮内では朝陽に瞼を撫でられて起きるなんて望めやしないから、ダルムントの無骨な声で目を覚ます。
「リーダー、朝だぞ……」
おれの腕の中で眠るニーナを見て、夜に何があったのかを悟ったダルムントが労うようにおれの肩を叩いた。
「もうそんな時間か」
おれはダルムントの持つエーテル時計に目をやりながら身体を起こす。とてもいい気分と言える寝覚めではなかったが、それでも続いて起きたニーナが昨日の続きをやり出さないだけマシだった。
「こんな状況だってのに、お前ら昨晩は随分仲が良かったな」
しかし、一足先に出発の準備を始めていたダッカが、パンを頬張りながら下卑た笑みを浮かべる。白けた雰囲気だ。ニーナは何も言わなかったが、おれはそれが逆に怖くなって必要以上にダッカに凄んだ。
「黙ってろゴミクズ、別にカノキスからはお前を生かして帰れとは言われてないんだぞ」
「わ、悪かったよ……そんなに怒るこたねえだろ、ちょっとした冗談じゃねえか」
おれに痛めつけられたのを思い出したのか、ダッカが怯えて遠ざかる。おれたちは2、3口で食べ終わるような簡単な食事を口に放り込りこんだあと、荷物をまとめ、花園へ向かって出発した。
花園へ続く暗渠の前に差し掛かったとき、1匹のワーラットが〝タラスクス〟を突っつき回しているのを見つけた。意に介さず眠そうにしているタラスクスだったが、おれたちの接近に気付くとのそのそと甲羅を動かし水路の中に逃げていった。遊び相手を失ったワーラットもそそくさと去っていく。
「もうワーラットが沸いてきやがったのか! このネズミども殺しても殺してもすぐ沸いてきやがる。早いうちに宿木への道を見つけないと、気ままに歩き回ることすら難しくなるぞ」
ダッカが唾を飛ばしながら文句を言う。確かにこいつの言うとおり、この調子でワーラットが増えればそれを追ってガルムも第4層から上がってくる。そうなれば宿木どころじゃない。おれは自然と急ぎ足になる。
暗渠は相変わらず狭くて、ジメジメしていて、壁には気色悪い生物が大量に張り付いていて、つまり昨日となんら変化はなかった。しかし、暗渠を抜けた先の景色はそうではなかった。先導するダッカが足を止め、おれたちもそれに倣う。
「どうした?」
「どっかのポンコツ魔術師に点けていただいた明かりが消えてやがる」
ダッカは暗渠を抜けた先、発光魔術の切れた真っ暗な通路を指しながら言った。
「あれ? おかしいな、もっと持つと思ったんだけど……」
シェーリがばつの悪そうな顔で首をかしげる。おれの記憶が正しければ、シェーリがこの通路で発光魔術を使ったのは昨日のことだった。
発光には使い手の個性が反映される。シェーリの使う発光は、淡くて頼りなくも見える光だが、それでもさすがに1日と持たずに消えるってのは考えられない。現に、暗渠の中で使った発光はまだ切れていなかった。
「もっかい使うね」
「いや待て、何もするな」
発光魔術をかけ直すため杖を構えたシェーリを、おれは咄嗟に制した。
「え? どうしたの?」
「魔術は、使うな」
おれは暗がりを見つめながら、情報を整理する。
発光魔術が他の箇所と比べて消えやすいということは、そこだけエーテルの流動性が高いということの裏返しでもある。エーテルが滞留しやすい迷宮内において流動性が高まる理由として考えられるのは、周囲でエーテルが大量消費されたか、又は隠世への扉が開かれたかの2点だ。
後者だとしたらお手上げだ。なぜならおれ自身、今までの人生で扉が開いた瞬間を見たことがないからだ。ただ、教本の中で語られた出来事が真実だとするなら、隠世の扉が開けば世界崩壊のカウントダウンが始まるということだから、結局おれみたいなちっぽけな人間にはどうすることもできない。
しかし前者だとすれば話は別だ。エーテルが大量消費される状況はいくつか考えられるが、どれも魔術か魔術師絡みのものでしかない。
どう転んでもろくでもないってことには変わりないが、何かが起こりそうな予感がしてならなかった。それに、さっきから感じるこの甘い香り……思い出した、数年前におれがこの場所を見つけた時と同じ感覚だ。
「おれ一人で行く」おれは言った。
「は? さっきからどうしたの? 急に魔術を使うなって言ったり、一人で行くって言ったり」
シェーリが顔をしかめる。
「予感がするんだ。エーテルの囁きだ。もしかしたら明かりが原因かもしれない。発光魔術が干渉して、宿木への道を閉ざしていたのかも」
「あんたもしかして、隠世に足突っ込んだことがあるの?」
「いいだろその話は。とにかく、偵察だけならおれ一人のほうがいい、夜目も利くし。何よりお前らを連れていくと足手まといになるからな」
もちろんおれの、この発言にはシェーリだけじゃない、ニーナもダッカも反対の立場を取った。そんな状況に助け船を出してくれたのはダルムントだった。
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