第64話 ヴンダール迷宮 第3層 花園 ②
「『揃い靴』が止まった! きっとこの壁の向こう側に宿木があるんだ! ロドリック! 早くやってくれ、お前なら迷宮の壁を壊せるんだろ?」
ダッカが興奮気味に叫ぶ。
「どうだろうな……」
おれは言った。
はっきり言って全く気乗りしない。この壁の向こうに宿木がある? そんなわけがないことを、おれはここの誰よりもよく知っているからだ。
「まだ疑ってるのか? このアーティファクトの魔法則を調べたのはカノキスだぞ、今さら何を疑う必要がある」
「はいはい、そうだな」
これ以上ダッカに説明するより、一度やって見せた方がいいかもしれない。おれは『装剣技』を発動させると、ダッカが示した部分に剣を深々と突き刺し、壁に円状の切り込みを入れて蹴り飛ばす。
しかし、壁はびくともしなかった。
「どうなってんだ……この先じゃないのか?」
ダッカが壁に顔を張りつけながら、手で切れ目を撫でまわしたり、持ってきたハンマーで叩いたりを繰り返した。
「やめろ、無駄だ」
「ここで間違いないはずなんだ! もう一度、もう一度やってみよう!」
縋るようにこちらを見るダッカ、おれはかぶりを振った。
「お前が思いつきそうなことは、すべて試した後なんだ。特にこの部屋に関してはな」
そう言いながら、おれは自分が初めて第3層に降り立ったときのことを思い出していた。
まだ輝かしい未来と希望、そして同じくらいの恐怖と好奇心を信じて、迷宮を攻略していたときの自分の姿を。
※※※
その頃はまだ、このヴンダール迷宮は民間開放されていなかった。
おれは予期せぬ形で市街地に姿を現した迷宮、のちにヴンダール迷宮と名付けられた〝遺跡〟を内々に調査するべく、ジルダリア王国側から派遣された使節団のひとりだった。
どこの〝遺跡〟にも共通して言えることだが、調査の初動は各国の政治的決着を待たずして行われることが多いため、現場は大いに混乱し、無駄な犠牲も後を絶たない。
ヴンダール迷宮もその例にもれず、紆余曲折あった末、迷宮探索は越権的ともいえる現場裁量により、帝国側の調査団と、かねてから領有権を主張していた北方連合側、そしてあくまで使節団として探索に横槍を入れ始めたジルダリア王国側の、3か国が協力体制をとる異例の合同調査で進められることとなった。
そんな烏合の衆とも言える合同調査団も、第2層の調査が終わるころには数々の文化的違いや歴史的対立を乗り越え(お互い対立するのに疲れ切ったと言った方がいいかもしれない)一定の協力体制を確立することに成功していた。
その合同調査団が初めてぶち当たった関門こそが、この第3層だった。
「それが理由だったのね、貴方がデイウスに〝バンシーみたいな声でしゃべるな〟って罵ったのは」
おれはその日、当時帝国側の調査員であったアイラらと共に、第3層の探索を行っていた。
アイラはこの時から変わらず、迷宮内でもあまり緊張感を周囲に感じさせない女だった。おれのたまに出る王国訛りを過剰に真似しては笑い、その割にふとしたときに澄ました表情を見せる不思議な魅力を持つ女魔術師。
おれはそんな彼女とは対照的に、初めて降り立つ第3層に柄にもなくビビっていたってことは内緒だ。
「おれからすれば君も同罪だ。大体なんだ? 今や国力も文化もジルダリアの方が上なのに、いつまで帝国は宗主国気取りを続けるつもりなんだか」
「私は別に馬鹿してるつもりなんてないよ。むしろ貴方はとても魅力的に見えるけどね、喋り方とか、特に」
堪え切れず、またクスクスと笑うアイラ。
「そういうのはもっと、場所と時間を考えて言えよ。ついでに最後まで笑いは堪えとけ」
「ごめんごめん、でもそろそろ周りが辟易してるようだから、続きは帰ってからにしよう。探索中はあまり私語を交わすもんじゃないよ、田舎出のロドリック」
アイラは眉をしかめる周囲の人間に配慮して、まるで節度を越えようとしているおれを諫めているかのような口調で言った。ついでにわざとらしく上官に、人心の管理ってのは難しいもんですねえ、なんて分かったような口すら叩きやがる。
だいたい周りの奴らも奴らで、またロドリックが悪さしてんのか? なんて言い出したもんだから、おれはもういちいち言い返す気にすらならなかった。そもそもいつも話しかけてくるのはアイラからなのに、どうしておれが悪いみたいな雰囲気で終わるんだ? 不思議でならなかった。
でも、こうやって何度アイラに辛酸を舐めさせられても、おれは彼女のことを嫌いにはなれなかった。
それはエキゾチックで艶やかな黒髪だったり、ふっくりと魅力的な唇のせいだったり――理由はいくつかあるだろうが、その中でも最も大きな要因だと言えるのは……彼女がこの迷宮内で、いつも頼りになる存在だからってことだ。
そして、アイラの頼りがいのある姿は、その日の午後遅い時間に到着した、貯水湖でいかんなく発揮されることとなる。
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