第55話 果実の行方 ④

 入店してきたのはひとりの男だった。おれより少し年上だろうか、無精髭を蓄えた冴えない面に似合わない、ぎらついた瞳が癇に障る。


 おれは追加注文をしようとする客を装って、店内を歩き回っている店員を目で追った。目的であるダッカという男が入店すれば、事前に金を握らせておいた店員が、それとなく教えてくれる手筈になっているが……どうだ? 今度こそ当たりだといいんだが。

 おれと目が合った店員は、入店してきた客を一瞥すると、おれの席に葡萄酒の追加を注ぎに来た。


「今の客です」


 そして耳元でそっと囁く。


 おれは喜びを押し殺し、店員に幾ばくかの銅貨を握らせ追っ払うと、改めてシェーリと向き合った。


「ようやく来たぞ。どうだ、見覚えはあるか?」


 おれはダッカの座った席を顎で指す。


 シェーリは唇に指を添えながら男の横顔を眺め、しばらく考え込んだあと、あっ! と声を上げた。


「おい、声を抑えろ」


 ダッカに聞かれたとは思えなかったが、おれたちは咄嗟に顔を反らして囁き合った。


「ごめん、でも、私思い出しちゃった」


「何を?」


「あの人、あの日、第3層でユーリに、薬をくれた人だ……」


「何の薬?」


「止血剤だって言ってた。探索者には必須だって……」


 確かに、簡易的な治療薬ってのは探索者には必須の消耗品だが。こいつらまさか、そんな必需品も持たずに迷宮に潜ってたのか。信じられんな……ビギナーの考え方ってのは。


「となるとますます怪しいな。その薬ってのは、今も部屋に置いてあるのか?」


 念のため貰った薬も確認して置きたかった。もしその薬に何かが仕込まれていたのなら、動かぬ証拠にもなる。


「無いわ。ユーリの荷物に入ってたから」


「そうか……」


 どうせそんなこったろうと思った。


「別にいいでしょ、そんなもん無くたって。それで、これからどうすんの?」


 決してシェーリの落ち度ではなかったが、おれから責められてるように感じたのだろう。理不尽な詰問に対して、反抗するような口調でシェーリが言った。


「もう少し、様子見するか」


 おれは、呑気に歯の隙間に挟まったすじ肉をこそげ取ろうとしている男を眺めながら、自分に言い聞かせるように呟いた。


 確かにこのダッカという男は怪しい。シェーリの発言を聞いて、ますますその思いは強くなった。だが証拠はない。直接に本人に問いただしたとしても、後ろめたい気持ちがあるなら認めはしないだろう。もちろん全くの無関係だとしても認めはしない。尻尾を出すまで付け回してもいいが、ドライアドに連れ去られたと思われるカレンシアのことを考えると、あまりゆっくり事を構えても居られない。


 先のことを考えて、おれが頭を抱えていると、業を煮やしたシェーリが突然立ち上がった。


「私、直接問いただしてくる!」


 勢いよく立ち上がったせいで足に当たったスツールが、後方の柱にガツンとぶつかり音を立てて床に転がった。それに気づいたダッカがふと顔を上げる。


 ああ……おれは両手で顔を覆った。本当に、連れてくるべきではなかった。

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