第53話 果実の行方 ②
「おれはそろそろ行くが、そっちはどうする?」
ベッドの上で、浅い寝息を立てているダルムントを見下ろしながらおれは言った。時刻はちょうど正午。2度目の鐘が鳴り響き、医務室の職員が昼食を取るため交代したところだった。
「私は、もうちょっとだけここに居る」
「大丈夫か? 昨日からほとんど眠ってないだろ?」
「うん、でもあと少しだけだから」
ニーナは目のクマを指で擦りながら、寂しそうな笑みを浮かべた。
ダルムントの意識が戻らないのは、少なからず自分の責任でもあると感じているんだろう。
おれは、体調を気遣うような言葉を2、3言かけてニーナの肩を揉むと、彼女が泣きそうになるまえに医務室をあとにした。
そして正面ラウンジの掲示板に、まだ目当ての依頼書が張り付けてあるのを確認してギルド本部の外へ出る。ギルドの受付で果実だけ現金に換えなかったのは、この依頼を覚えていたのが理由だ。
行先は旧市街にある『シドラの果実』という居酒屋。前にも行ったが羊や牛が好みそうな葉っぱの盛り合わせが看板メニューの下らない店だ。昼間も一応営業していて、簡単なシチューや卵料理なんかを出している。
「繁盛してるみたいだな」
おれは閑散とした店内を見回しながら、厨房で仕込みをやってる店主に向かって声をかけた。
「誰かと思えばお前さんか。ふん、皮肉のつもりだろうが、生憎今は準備中だ」
店主は葱を斬る手をそのままに、口だけで応えた。
「こんな書き入れ時にか?」
「ああ、今からコルネリウスのところに料理を届けなくちゃいかんのでな」
「コルネリウス? もしかしてコルネリウス・テリウス?」
「ああ、そうだ。我らが偉大なるパトローヌスの」
パトローヌス――これは庶民にとっての金ヅルを指す称号だ。帝国はこういう一部のパトローヌスと、それに群がる自由民(高潔なる乞食とも呼ぶ)そんで役立たずの奴隷どもという三つの社会階層で成り立っている。
だがパトローヌスでもあり、新進気鋭の市議員でもあるコルネリウスが、こんなチンケな店の料理を食うなんて、意外だな……いや、まさか――
「奴隷用ってことか?」
おれはつい口に出してしまった。嘘を付けない性格ってのは困ったもんだ。店主も思わず作業を止めて顔を上げる。
「おい! 相変わらず失礼な男だな! 素直に俺の料理の腕が、見初められたのだとは思わんのかね」
「人の好みにケチをつけるわけじゃないが……おれがコルネリウスと同じくらいの金持ちだとしたら。北方諸国の深い森の中で三日三晩彷徨ったあとでも、この店の料理を口にするのは、まだ少し躊躇いが残るな。もう二日くらい森を彷徨って、もっとまともな店を探そうとするかもしれん」
おれの冗談に店主は、もういい黙ってくれ。と深くため息を吐き、包丁をまな板の上に突き立てた。
「この間、お前らに出した卵料理、覚えてるか?」
「ああ、魚醤に漬け込んだあれだな」
「それが他の客にもすこぶる評判が良くてな。どこからかコルネリウスの耳にも入ったらしく、今日の正午過ぎに屋敷に持ってきてくれと頼まれたんだ」
「そりゃ良かったじゃないか。でかい取引先だ。うまく行けばもっといい店を、大通り沿いに出せるかもしれないぞ」
「そうだ、だからこうやって朝から店を閉じて、卵料理をメインに添えたコース料理を用意してるんだ。つまりな、玄関をこじ開けて勝手に店に入ってくるクソ野郎の相手なんかしてる場合じゃないってこと。さっさとこの間のツケを払って帰ってくれ。そして願わくば二度と顔を出すな」
辛辣な言葉に、おれは深く傷つき肩をすくめた。
「そこまで言うことないだろ。これを取ってくるのは本当に苦労したんだぞ」
おれはリュックの中から油紙に包んだ果実をおもむろに取り出すと、キッチンに置いた。ここからが本題だ。
「嘘だろ、これ、ドライアドの果実か!」
「今日はこれを届けにきたんだ。探索ギルドに依頼、出してただろ? はたして、この間のツケで足りる額かな?」
おれはニヤリと笑みを浮かべた。
「もちろんツケはチャラにしてやる。これがあれば、コルネリウスの肥えきった舌を唸らせることができるはずだからな。しかし……」
店主は驚きと、やや疑義が混じったような怪訝な目でおれを見た。
「まさか、お前が持ってくるとは思わなかったよ……」
「もしかして、狩猟ギルドにも頼んでたか?」
「いや、そうじゃない。だが他に近々、大量に手に入るかもしれないって言ってきた探索者が居てな。てっきりそいつが持ってきてくれるもんだとばかり」
ドライアドの果実が大量に手に入るだと? 狩猟ギルドの奴がそれを言うならわからんでもないが、探索者がそれを言うってことは、もちろん入手先はヴンダール迷宮ということになる。
地上と違って宿木の場所が判明していない迷宮内では、果実の入手はおびき寄せたドライアドを殺して手に入れるしかない。それも大量となると……そんな危険な稼ぎ方ができるクラン、数えるほどしかないはずだが。
「いったい誰だ?」
おれは素直に尋ねてみた。
「は? なんでお前に教えなきゃならん」
はいはい、そう来ると思ったよ。こうやって素直さを失っていった人間の結果が今のおれってことだな。
「なあ頼むよ、商売敵に挨拶しておきたいんだ」
「その〝挨拶〟とやらが、俺にどういうメリットを与えてくれる? 果実の提供元が沢山あるのは、俺にとってなんら悪いことではないはずだが」
「どうしてもだめか?」
「ああ」
「今日持ってきた果実をタダでやると言っても?」
店主は考え込むように、キッチンの上に並べられたドライアドの果実を凝視すると、ニヤリと笑みをこぼした。
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