第52話 果実の行方 ①

 ニーナは宣言どおり日の出までにダルムントの治療を終わらせたが、おれは結局どこへも行けなかった。

 垂れ幕を挟んでニーナの静かな祈りを聞きながら、本当にこれで良かったのか自問する。もちろん答えは出ない。


 シェーリは泣き疲れたのか、今は床に敷いたマントの上で眠っていた。最初の方こそ、ひとりでも弟を探しに行くと喚き散らしていたが、一度地上に戻って体制を立て直したら、必ず弟の捜索を手伝うことを約束すると、ようやく落ち着いてくれた。


 本来ならこんなガキ、構わず放っておくのがおれの主義なんだが、なぜか今日だけは見捨てることができなかった。それに加えて守るかどうかわからない約束までしてしまって……今日のおれは、本当にどうかしてる。


「起きろ、そろそろ出発するぞ」


 ダルムントの腕は完全に元に戻ったが、意識はそう簡単に戻りそうになかった。ニーナと話し合い、一刻も早く地上へ戻ることにしたおれは、寝ているシェーリを叩き起こす。


「ユーリ……?」


 寝ぼけておれを弟と間違ったのか、シェーリの素の表情が垣間見えた。甘える子猫が見せるような仕草に似ていたが、それもほんの一瞬で消えてしまった。現実とはそれほどまでに非情だ。


「地上に帰るぞ、荷物を持て」


 疲れ切ったニーナに持たせるわけにはいかない、おれはシェーリに荷物を投げ渡すと、ダルムントを背負って休息所の扉を開けた。


 黙って荷物を拾い集め、のそのそ歩きだすシェーリと、申し訳なさそうに付いてくるニーナ。念のため先頭はシェーリに歩かせる。おれの中で一番死んでもいいやつだ。

 だが幸か不幸か、いざ諦めて地上へ戻ると決めた途端、打って変わって帰路はドライアドどころかネズミ1匹出やしない、静かで安全な道のりとなった。


 そしておれたちは、第3層を出発して2日目の早朝、地上へ戻ることができた。


「確認させていただきます。ドライアドの枝と果実が、それぞれ4つずつですね。討伐報酬は今お渡しするとして、現物のほうはどうなさいますか?」


「ドライアドの枝はここで現金に換えてくれ、果実は他にツテがあるからそっちで売る」


「分かりました。では清算が終わるまでアトリウム内でお待ちください」


 ギルドの受付で、戦利品の申告を済ませるおれたちを前にして、受付嬢のサーラはダルムントが意識不明であることや、行きと帰りで人数が違うことに関して、特に詮索するような真似はしなかった。ただカウンターの奥から持ってきた現金と共に、行方不明届や捜索願など、数枚の書類をさりげなく手渡してくるだけだ。

 こういう時、彼女の察しの良いところは本当に助かる。今は誰とも話をしたい気分じゃなかった。


「おまたせ、こっちは終わったわ」


 必要書類を別の窓口に提出し、シェーリと共に中庭のベンチに座って、朝の澄んだ青空を眺めていると、医務室に行っていたニーナが戻ってきた。


「おつかれ。ダルムント、どうだった?」


「相変わらずよ。意識は戻らないまま」


「そうか……」


 命にかかわるほどの大怪我をした場合、治療によって外傷が完治しても、意識が戻らないというケースは、少なからずあることだった。

 そして、そのまま衰弱死するのが半分、意識を取り戻すのが半分ほど。

 ああ見えて俗欲の強いダルムントのことだ。魂が死を受け入れ、現世に二度と戻ってこないなんてことはありえないだろうが……今回のように治療が遅れてしまうと、後遺症が残る可能性もある。


「そっちはどう? カレンシアとユーリの捜索願、どういう条件にした?」


「連れ戻した奴には、確認が取れ次第500セステル。発見に繋がった有力情報の提供者には100セステル。依頼者はアイラの名前を使わせてもらった、おれの名前だと皆敬遠するだろうしな」


「そうね、それがいいわ……」


 言いながら、ニーナはやるせない表情で目を伏せる。


 考えていることは良くわかる。きっとアイラが居れば、こんなことにはならなかった。そんなことを思っているのだろう。おれも、そんな風に後悔することが、全くないとは言い切れない。だがおれは、それでも前を見るぞ。下を向くのは死ぬ時だけでいい、前のめりになって、地面に突っ伏して死ぬときだけだ。


「これから、ドライアドに関して出来るだけ情報を集めてみる。お前も気づいたことがあったら連絡しろ」


 始業の鐘が街に鳴り響き、人波が押し寄せる前に今日のところは解散することにした。その別れ際、ギルドのアトリウムで、まだ気持ちの整理が付かずに泣き続けるシェーリに対して慰めのつもりで話しかけたが、あまりいい返事は得られなかった。


「貴方が責任を感じる必要はないわ、全部私の、我がままのせいだから」


 去っていくシェーリの、寂しい後姿を見届けながら、ニーナがぼそりと呟いた。


「別に、なんとも思っちゃいないさ」おれは言った。


 今までも、このくらいのピンチなら何度もあった。死にかけたことも数え切れないし、失った仲間も一人や二人じゃない。もちろん〝失わせた〟ことだって数えきれない。


 だが、どうしてなんだ? どうして今回はこれほどまでに感傷的になっちまう? この胸の内で燻る焦燥感は、まさかカレンシア――また、君のせいなのか?


 清算を済ませて金を受け取っているときも、医務室へと続く廊下を歩いている最中も、ずっと頭の中を巡っていた。


 なあアイラ。聡明な君なら分かったかもしれない。


 一体おれは……何を失くした?

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