第51話 ヴンダール迷宮 第3層 泉の広場 ④

 ――偽物だ。ここには居ない――


 ダルムントの言伝は、ニーナにとっては意味不明な内容に過ぎなかっただろうが、おれにとってはこれからの進退を検討するに十分過ぎる重みを持っていた。


 ダルムントがこれほどの大怪我を負ってなお、たった一人でも戻ってきた理由は、おれにこのことを伝えるためだったのだろうか。

 だが偽物とはいったいなんのことだ? ドライアドが偽物で、宿木はこの層には存在しないってことを伝えたいのか? それとも全くおれの見当違いで、伝えたかったことはもっと別のところにあるのだろうか。


「それで、これからどうするつもりなの?」


 おれの表情からただならぬ気配を感じ取ったのか、ニーナが不安げな様子で言った。


「そうだな……」


 ダルムントは重体、カレンシアは行方不明、おれの魔力はまだ全快には程遠く、使えそうなのはこのシェーリとかいう3流魔術師だけ……どう考えても、これは詰んでるな。


「私は、ユーリを助けに行きたいです!」


 だがすっかりスレちまったおれと違って、シェーリはまだ諦めていないようだ。

 おれにはタメ口のくせに、なぜかニーナには敬語を使ってるってのが気に掛かったが(気に障ったのほうが正しいか?)そこは言及しないでおこう。


「相手は妖精種だぞ、自殺願望でもあるのか?」おれは言った。


「ユーリが居なくなるのは、死ぬより辛いの」


 〝死ぬより辛い〟素晴らしい姉弟愛だ。反吐が出る。

 だが……なぜかその言葉はおれの胸の奥でぐるぐる回って、いらぬ焦燥感ばかりを与えていた。今となってはもう思い出すこともできないが、昔おれも同じような道を歩いてここに辿り着いたのかもしれない。どちらにせよ、それはもう振り返っても見えない場所での出来事だが。


「そこまで言うなら止めはしないさ、運が良ければ天国で弟と会えるかもしれないしな」


「天国じゃない」


 シェーリがおれを睨みつけながら答えた。


「第3層に行くって決めたとき、一応ドライアドのことも調べてきたの。ドライアドは獲物を捕らえると、生きたまま宿主の木の根元に運んで、ゆっくり生命力を奪うらしいわ。だからユーリもまだ生きてる可能性が高いし、その習性を利用してわざとドライアドに捕まれば、私も宿木の元へ行ける。ユーリを助けられるの」


 そんなことか……おれはため息を吐いた。確かに今シェーリが言った方法は、ドライアドの宿木の場所を特定するための、最も古典的な手段ではあるが、リスクが高すぎて最近では地上でも滅多に使用されることはない。この迷宮内ではなおさらのことだ。


「おすすめしないやり方だな。今までその方法を試さなかった探索者が居ないとでも? 誰一人として戻ってこなかったんだぞ」


「じゃあどうすればいいの! 貴方の仲間だって捕まってるのよ。どうしてそんな冷静でいられるの?」


 どうしてだろうな。でも本当におれが冷静だったのなら、お前のことをこうやって引き止めはしないと思うが……だとすれば、いったいおれは、どこで正気を失っちまったのだろうか。


「ニーナ、ダルムントの治療、どのくらい掛かりそうだ?」


 自分でもわかっちゃいる。それがどれだけ愚かな考えかってこと。でも、カレンシア……なぜか彼女のことを思うと、シェーリの抱えてる悲しみの意味を、思い出せるような気がしていた。


「リック、まさか貴方、今から探しに行くって言いたいわけ?」


 ニーナがおれの袖を掴んだ。


「そのまさかだって言ったら?」


「絶対に止めるわ」


 ニーナが手の力を強める。


「じゃあ、カレンシアはどうする?」


「どうするって、貴方こそどうしたいの? カレンシアと私たちどっちが大事なの?」


「別にどちらか一方を選ばなきゃならない状況じゃないだろ。君がダルムントの治療をしてる間に、おれはこの生意気なメスガキと、カレンシアたちを助けてくる。二手に分かれるってだけの話だ」


 だが彼女は呆れたように首を振った。


「ダルムントの腕をすべて再生させるのには、最低でも6時間は掛かるの。日の出までに間に合わなかったら、負った傷が確定されて、もう祈りでは治せなくなる」


「大丈夫、君なら間に合う」


「ええ、もちろん間に合わせるわ。邪魔が入らなければの話だけどね」


 ニーナは目頭に浮いた涙を拭いながら続けた。


「でも、これから日の出までの間、ずっとここの簡易祭壇を独占なんて、私一人で出来ると思う? 他に傷を負ったパーティーが来たら、たった一人で祈ってる私を、いつまでも放って置いてくれるとでも言うの? 貴方が一番分かってるはずでしょ? 探索者の一番の敵は、同じ探索者だって。それに治療が終わったとしても、ダルムントの意識が戻るとは限らないわ……貴方に何かあったら、私だけじゃ地上に戻れない。それでも行くの?」


 ニーナは手で顔を覆いながら捲し立てた。おれは何も言い返せなくなった。


「お願い……祈ってる私の膝の上で、貴方が居眠りしてるだけで、大抵の探索者は避けて通ろうとするの」


「おれは嫌われ者だからな」


「いいじゃないそれでも、私とダルムントは、貴方がどうあっても、貴方を信じてるんだから」


 おれはシェーリを見た。こいつもこいつで、懇願するような瞳をおれに向け続けている。


 死ぬより辛い。その言葉を聞いたときに一瞬だけ心に吹き荒れた慟哭は、ここにきて先ほどまでの勢いを失っていた。それでも彼女のことを思い浮かべると、胸の奥が少しだけ痛む。


 こんなときおれはつくづく思うんだ。この稼業を続けるってことが、表向きに見える煌びやかな栄光とは裏腹に、どれほどの苦難にまみれてるかってことを。

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