第49話 ヴンダール迷宮 第3層 泉の広場 ②

 祈りの時間は決して長いとは言えなかったし、ニーナのように神にすら届くほど強い想いが込められているとも言い難かった。

 長く感傷に浸っていたい気持ちはもちろんおれにもあった。しかし、ここに居てダルムントにしてやれることは殆どないってのも事実だ。なにより、おれにはすぐ確かめねばならないことがあった。


 深呼吸して無理にでも気持ちに整理をつけると、おれは祭壇を後にした。


 垂幕の外では女が陰鬱な顔で立っていた。こうやってみると、おれの頬を引っぱたいたときとは別人みたいにしおらしくなってるな。


「ダルムントさん……どうだった?」


「どうもこうもない、お前も見たんだろ」


 女は唇を強く噛みしめて俯いた。


「それより、お前のほうこそ、もう大丈夫なのか?」


 ダルムントもそうだが、おれの知る限りこの女も中々の大怪我を追っていたはずだ。


「ニーナさんに治療してもらった。ダルムントさんは、ダメかもしれないからって、止血だけして、先に私を……」


「そうか……」


 心を殺してでも命を選別しなければいけない立場にあったニーナの気持ちが、おれには痛いほどよくわかった。だからこそ今、彼女は脇目も振らず必死でダルムントを救おうとしているのだろう。


「私、ユーリも助けられずに、ダルムントさんまで……私が、足ばかり引っ張って」


 女の目から流れる大粒の涙が、頬を伝ってポタポタと床を濡らす。大半の男はそうだと思うが、女の涙ってやつはいつだって対処に困るもんだ。しかもガキのは特に。


「心配するな、ニーナはああ見えても司祭級の治療師だ。きっとなんとかしてくれる」


 おれは静かな嗚咽が止むまで慰め続けるしかなかった。本当は根掘り葉掘り、おれが寝ている間に何があったのか詰問するつもりだったのに、全く情緒不安定で困ったガキだ。


「ユーリは、私の、唯一残った肉親なの」


 嗚咽の隙間から、女が絞り出すように小さな声で呟いた。


「そうか、今までお兄さんと二人で、大変だったな」


「弟よ」


「ああ、失礼……」


「私、帝都の魔術学院に通ってたの、でも去年、お父さんとお母さんが、事故で亡くなったって、連絡が入って」


 おれは相槌を打ちながら黙って聞いていた。

 助けが欲しいときの女の説明ってのは、いつも支離滅裂で突拍子もない。過去や未来や事実や、時にはただの想像や思い込みが、ごちゃ混ぜになって降り注ぐ。30と数年かけておれが学んだことは、相手の気が済むまでまずは黙って聞くしかないってことだ。何があったのか状況だけを端的に述べろなんて口を挟んじまったら、それこそ話は終わらなくなる。


「私、すぐに実家に帰ったんだけど、お父さんとお母さんが死んで、奴隷もみんな居なくなっちゃって、農園も私とユーリだけじゃ維持できないからって、手放すしかなくて」


「そうか、大変だったな。ところで自己紹介がまだだったよな、おれはロドリック。君は?」


「シェーリよ。それでね、私、ユーリと一緒に、帝都でどうにかして食べていこうって思ったんだけど」


 クソ、自己紹介でひとまず話に区切りを付けようと思ったのに、まだ続くのかこの身の上話。


「ユーリがパルミニアで探索者になりたいって言いだして、それで二人でここまで来たの。最初の内は全然お金なんて稼げなかったけど、この頃ようやくちょっとは生活できるようになってきたの。なのに、こんなことになるなんて」


「ドライアドに襲われたのか?」


「うん、ガルム討伐のギルドレイドに参加して、そのあとちょっとの間は、魔獣も出ないって聞いたから。普段は行けない第3層に行ってみようって二人で決めて、ちゃんとベテランの人から、ドライアドのことも教えてもらったから、花園では何もしなかったのに」


「花を摘んだんじゃないのか?」


「摘んでないよ! 私たち何もしてないもん!」


 女改めシェーリは感情的に言い放った。


 花を摘んでないのに、ドライアドに襲われただと? おれは以前、第2層の休息所でドライアドに襲われて、命からがら逃げてきたってパーティーと話しをしたことを思い出していた。

 もしそれが真実だとしたら……あの時、2度目のドライアドとの戦闘の最中、カレンシアに荷物を捨てさせたことは、何の意味もなかったということか? だとしたら……。


「もしかして、おれが気絶したあとも、何度かドライアドに襲われたのか……?」


「私、倒れてるところを、ニーナさんに起こされて、危ないから逃げようって言われて」


「他の奴らはどうした?」


「だって、とにかく必死で、腕も痛かったし、血がいっぱいでてたから」


 よく見てなかったってことか。おれはシェーリがまた泣き出したのを機に、断片的に手に入った情報を整理することにした。

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