第48話 ヴンダール迷宮 第3層 泉の広場 ①
夢っていうのは本当に不思議なもんで、普段は全くと言っていいほど関わり合いのない人物が、さも古くからの友人だったかのように振舞ったり。幼い頃に一度だけ行っただけの場所が、何故かよく見知った場所になっていたり。その全てが自分の頭の中だけで起こっているにもかかわらず、必ずしも望んだ展開にはならなかったり
――いや、それは知らず知らずのうちに望んでいることなのか。
まあいい、とにかく、それだけ奇妙な状況の中にいても、夢と気付かず、人は眠り続けられるのなら。
もしかすると今だって、夢の中なのかもしれないな。
普段ならそんな考え、一笑に付すおれだったが……今回に限ってはそうもいかなかった。それだけ耐え難い現実と、向き合わなければならなかったからだ。
※※※
「気分はどう?」
おれが目を開けて、まず始めに写ったのは女だった。少女の面影をまだ微かに残した若い娘。まっすぐ肩に落ちる暗い赤毛と、同じ色をしたローブが印象的だ。おれはどういうことか、この女に見覚えがあった。だが頭に靄が掛かったように思考が混濁して、まるで葡萄酒をたらふく飲んで迎えた朝みたいに、頭が重くて思い出せない。
「控えめに言っても、最悪だ」
「じゃあ、どこか痛むところはある?」
「ああ、主に全身」
おれは軋む体を起こしながら言った。
周囲を見渡す。冷たい石レンガで囲まれた空間に椅子や机が乱雑に置かれていた。ここは……確か第3層の休息所だったはず。
――そうだ、確かおれは、迷宮探索の途中で――西区域の探索は終わったから、今日は南区域に行くつもりだったんだ。おれは段々と思考の靄が取れ掛かってきているのを感じていた。
「あんた、有名な魔術師のくせに、魔力の回復遅いのね」
そして、クソ生意気なメスガキの、失礼すぎる発言のおかげで、おれはドライアドと戦ってこの女と、もう一人の男を助け出してやったこと、そのあと魔力欠乏症で意識を失ったことを思い出した。
「言っとくがおれは魔術師じゃあない。それより、おれの連れはどこだ?」
こいつが無事だということは、あれから問題なくここまで辿り着けたのだろう。にもかかわらず、仲間の姿が見当たらないのが少し気がかりだ。
「え? ああ……ニーナさんたちなら、祭壇で治療してるけど……」
歯切れの悪い返答だった。治療って、誰の治療だ? 怪我をしていたのはお前だけだっただろ? どうも嫌な予感がした。おれは自分の目で確かめるべく立ち上がる。
「まだ辛そう。手でも貸そうか?」
「結構だ。自分で歩ける」
簡易祭壇は休息所の一番奥にあった。おれは女の手を払うと、ふらつく膝を手で押さえながら、治療師と被治療者のプライバシー保護のために掛けられた垂幕を捲る。
「おい、ニーナ! 大丈夫か?」
中に入りながら、おれは間髪入れずに声をかけた。
華奢な首にかかったおくれ髪、肩口から覗く白い肌。祭壇の前に跪く、その後ろ姿はおれに、とてつもない安心感を与えてくれる。
なのになぜ、ニーナはおれに言葉を返そうとしない。
「嘘だろ……どうなってんだ」
おれはその光景を見て、ニーナの隣で膝を付いてしまった。
ニーナは囁くような甘い声で、わき目も振らず一心不乱に祈り続けていた。何度も見てきたから分かるが、ここまでくると助かるかどうかは半々ってところだ。それほど酷い状態だった。
だが、何がどうなってこの状況を生んだのか。おれには全く理解できなかった。
ドライアドには勝ったはずだ……無力化したのをしっかり確認した。なのに、なぜ……。おれは祭壇に横たわる身体を呆然と見つめながら、人数が足りないことに気付いた。
そういえば、カレンシアが居ない。それに、もう一人助けたはずの男も。あいつら、どこ行った?
「カレン――」
おれは思わず叫びそうになって、口を閉じた。
今ニーナの邪魔をして、これ以上集中力を乱すわけにはいかなかった。
ここを離れるのは心苦しいが、おれが眠っている間に起こったことを、他に知ってそうな奴を当たるしかない。
おれは祭壇を後にする前に、ニーナと一緒に、少しの間だけ祈ることにした。おれの祈りなんて何の意味もないだろうが、なにもせず背を向ける気にはなれなかった。
「あとのことは任せて、今は静かに眠れ」
おれは、両腕の大部分を失って眠るダルムントと、彼を救うために祈り続けるニーナのために目を閉じた。
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