第46話 ヴンダール迷宮 第3層 南区域 ⑤

 ドライアドはおれたちの動きに応じて、蔓で作った壁の大きさや位置を調整しながら、常に壁の裏に隠れるような立ち位置を維持していた。


 おれはダルムントに目配せすると、右側から回り込むように動き、ドライアドの注意を分散させようと試みる。しかし、仲間同士離れすぎると各個撃破されかねないため、無茶な位置取りは出来ない。


「ほらほら! こっちだ!」


 それを分かってか、ダルムントが盾と手斧を打ち付け、耳障りな音を立てながらドライアドとの距離を詰め始めた。わかりやすい挑発だが、数歩近づいたところで、ふいに壁の隙間から一本の蔓が飛び出し、ダルムントの胴体を打った。一瞬よろめくも、すぐに体勢を立て直し、しっかりとした足取りで後ずさるダルムント。


 チャンスだった。ドライアドがダルムントに気を取られたのを見て、おれは一気に距離を詰める。接近に気付き、急いでおれの目の前に蔓の壁を移動させようとするドライアド。その目と鼻の先をニーナの矢がかすめていった。驚きで一瞬だけドライアドの手が止まる。当たればなおのこと良かったが、まあ気を逸らせただけでも及第点としよう。


 おれはうまいこと蔓の壁の内側に体を滑り込ませると、ドライアドの美しい乳房と肉薄した。

 体勢的にもっとも斬りやすいのは胴体だった。しかし、おれは自然と剣を肩口に担ぎ、ドライアドの首元に狙いを定めていた。男なら誰だって躊躇うもんだろ? こんな美しい女体に傷を付けるなんて。


 そしてこの迷いこそが悪手だった。偶然だったのか、それともドライアドの狙いどおりだったのかは知らないが、担いだ剣の切先がちょうど、絡み合う蔓の壁からほつれるように飛び出していた一本の蔓の間に引っかかってしまったのだ。


 おれは慌てて剣を引き抜き、もう一度ドライアドに振りかぶろうと向き直るが、その瞬間、ドライアドが伸ばした蔓に薙ぎ払われた。

 吹き飛ばされたおれは、床に体をしたたかぶつけながらもなんとか起き上がる。

 ダメージ自体は大したことなかった。肋骨にちょっとヒビがかもしれないが動けないほどではない。だがそれよりも問題なのは、折角ドライアドとの接近戦に持ち込むことが出来たのに、3メートルほど吹き飛ばされちまった挙句、ドライアドの周囲に急激にエーテルが吸い寄せられようとしていることだった。


「カレンシア!」


 おれは部屋の出口付近に陣取っているカレンシアに、合図を送った。

 間髪入れずに床を叩く乾いた音が部屋に一度だけ響く。

 ドライアドに吸い寄せられていたエーテルは一部を除いて、その動きをピタリと止める。


「障壁――」


 そしてカレンシアの声に呼応するように、今度は彼女の方に向かって一気に吸い寄せられていく。


 エーテルの取り合いはひとまずこれでカレンシアの勝ちだ。後は不完全ながら発生が始まったドライアドの魔術を、カレンシアの簡易障壁でどれほど抑えられるかにかかっている。


「来るぞ! 早く作れ!」


 返事はなかったが、カレンシアの操る『障壁』が、ドライアドを取り囲むように球体を象ったのを見て、おれはその出来の良さに思わず歓声を上げた。

 これだけ力強く成った『障壁』であれば、たとえ簡易障壁でもドライアドの魔術を封じ込められるはずだ。


 そして見込みどおり、ドライアドの髪飾りから発生した魔術はカレンシアの障壁に触れると同時に、光の粒子となって隠世の底に消えた。


「でかした!」


 おれは完全に無防備となったドライアドに駆け寄ると、首元に刃を押し当て引き抜く。


 美しい顔がぼとりと音を立てて、石畳の上に転がった。


 ドライアドの顔は苦悶の表情を浮かべながら、見る見るうちに皺くちゃになり、残った体も干からびたように縮んでいった。死んだことでドライアドにかかっていた魔術が解け、その真の姿が曝け出されたのだ。


「ふう、何とかなったな」


 おれは一房の枝と赤黒い果実に変貌したドライアドを拾い上げながら息をついた。宿主である老樹に実った果実、そしてそれを孕んだ枝こそがドライアドの正体だった。


「そもそも貴方がしくじらなければ、こんなに冷や冷やすることもなかったと思うけど」


 ニーナが傷ついて床に倒れこんでいた男女を介抱しながら小言を述べた。

 悪かったな。おれは肩をすくめると、カレンシアとダルムントを労いながらついていく。


「容体はどうだ?」


 ニーナに次いで医療に通じるところのあるダルムントが、唸っているニーナに声をかけた。


「男の方は大丈夫、ほっといても目を覚ますわ。でも、女の子の方は……急がないと危ないかも、出血が酷いわ。ダルムント、リュックから包帯だして」


 ダルムントはニーナの指示に従いテキパキ動く。もちろんおれはあたふたしながらそれを見てるだけだ。


「どっちとも若いな」


 おれは応急処置を終え、二人並べられた男女の寝顔を眺めながら言った。


 こいつらが新参者であるのは明らかだったが、それにしては妙に見覚えがあった。どっか大手のクランに所属する小間使いか何かだろうか、それで会合のときに見かけでもしたか?


「その様子じゃ、気付いてないみたいね」


 首をかしげるおれに対し、ニーナが呆れた表情で言った。


「どういうことだ?」


「この二人、前に貴方とカレンシアが迷宮で行方不明になったとき、救助に協力するって言ってくれた姉弟よ」


「ああ……そういうこと、どおりで見覚えがあると思った」


 おれは姉弟のことを思い出すと同時に、ふと姉の方に頬を引っぱたかれたのを思い出して、不愉快な気分が湧き上がってきた。


「こいつら、本当に助ける必要あるか?」


「もう乗りかかった船でしょ。応急処置は済んだけど、早く祭壇に行かないと危ないわよ」


「はいはい」


 おれは生返事で女のほうを担ぐと、ダルムントに目配せした。おれは女を、ダルムントは男を担ぐ。公平かつ、両者にとって利益のある選択だ。


「私も手伝います!」


 カレンシアが横から手を出した。やめてくれ、折角の御褒美を奪うつもりか? おれは女の尻に添えた手をもぞもぞ動かしながら、ダルムントを手伝ってやるように言いつける。


「助けは必要ない」


 ダルムントは丁重に断っていたが、考えていることはおそらくおれと同じだろう。


 だが、おれたちは分かっていなかった。


 彼らを助けようと言い出したカレンシアが抱えた負い目を、そして手空きのカレンシアが、代わりに手に持ってしまった物を……完全に見落としてしまっていたのだ。

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