第43話 ヴンダール迷宮 第3層 南区域 ②

 ここで何が起こっているのかは、すぐに分かった。

 通路に漂うエーテルが放つ、甘ったるい香りと、それに交じる血の臭い。そして、やけに間隔の離れた弱々しい発光魔術の明かりが、いつの間にか観光客気分に呑まれて緊張感を欠いていたおれに、本来の迷宮の姿を思い出させてくれた。


 おれはゆっくり息を吐きながら体の力を抜くと、気配を消して臭いの元を辿って歩く。

 でこぼこした石レンガ状の壁に手を伝いながら、分かれ道を右に折れ、その先の曲がり角に背を預けた。


確かこの先は、今じゃあ空っぽの部屋が一室あるだけの行き止まりだったはずだが……。


 おれは念のためいつでも魔術を発動できるよう準備して、壁の影からそっと部屋を覗き込んだ。


 都合のいいことに、部屋にはもう扉は付いていなかった。花の彫刻が彫られた、質素ながらも造りの良い扉だったし、大方どっかの探索者が略奪していったのだろう。

 そいつにそのつもりがあったのかは知らないが、おれは下手に近づかずとも部屋の中を確認できたことを感謝していた。


 部屋の中に居たのは、案の定〝ドライアド〟と呼ばれる妖精種だった。美しい女性の姿形をした妖精種で(しかも全裸)長く生きた老樹に宿るとされている。


 対峙するのは男女の二人組。おそらくビギナーか、それに毛が生えた程度の探索者だろう。既に一人は戦線から離脱して、肩口から血を流しながら壁に寄りかかっていた。対するドライアドは、今のところまだ無傷に見える。


 おれは何も見なかったことにして、その場を後にした。


 来た時と同じように、忍び足で後ずさる。分かれ道まで戻ってきたところで、水路の方から近づいてくる足音に気が付いた。


「どんな感じ?」


 ニーナだった。後ろにはカレンシア、ダルムントも居る。


「馬鹿、声を落とせ」


 おれはニーナの口に指をあてた。


 すこし頬を膨らまし「わかってるわよ」と手を払うニーナ。


「それで、何があったの?」


「ドライアドだよ、この奥に居た。それより、なんで来たんだ。待ってろって言っただろ」


「あんなナメクジとヒルだらけの場所で? 冗談でしょ」


 後ろでそわそわしているカレンシアも、そうだそうだと頷いた。本当にどうしようもないな……この女どもは。


「もういい、取り合えず、休息所まで戻るぞ」


「え、またあそこを通るんですか……」


 カレンシアが顔をしかめた。


「こうなっちまったもんは仕方ないだろ。巻き込まれないうちに逃げたほうがいい」


「巻き込まれるって、もしかして、誰か戦闘中なんですか?」


「ああ、おそらく何も事情を知らないビギナーが、花園の花を摘んでドライアドに襲われてる。あの調子じゃもう長く持たない。ドライアドが移動する前に、おれたちも動くぞ」


 以前休憩所で会ったパーティーの話が、南区域に足を踏み入れたときから、ずっと頭に引っかかっていた。あいつら確か、花を摘んでもいないのに、ドライアドに襲われたって言ってたな……それが本当のことだとしたら、ここも危険だ。


「助けてあげましょう」


 は? 何だって? 今おれ、聞き間違えたか?


 胸の前で杖を握り締め、おれの目をじっと見つめてくるカレンシアを前に、おれは取り合えず、聞こえなかった振りで話を進めてみた。


「南区域の探索は明日にして、今日は午後から東区域を見て回ろう」


「そんなの! そんなのダメです!」


 カレンシアが帰ろうとするおれのズボンを、ぐいっと掴んだ。どうやら聞き間違いではなかったらしい。


「おい放せ! ってか静かにしろっ、声がでかいんだよ!」


 振りほどきながら、カレンシアの暴挙を制止する。


「す、すみません。でも……なんで助けてあげないんですか? 同じ探索者なんですよ」


「なんでって……金にならないからだよ。おれたちゃ慈善事業してるわけじゃないんだ」


「でも、私のことは助けてくださったんですよね?」


「そ、そう……だけど……」


 実は助けてもらったのはこっちのほうで、記憶がないのをいいことに、体よく利用しているだけという側面もあるだなんて、この場で口が裂けても言えなかった。


「ならその方たちも、助けてあげてください」


 カレンシアがおれの手を握って懇願する。その手を今度はニーナが抑えた。


「カレンシア、ドライアドは決して弱い魔獣じゃないわ。その相手から誰かを助けてあげるってことは、私たちもそれなりにリスクを背負うってことになる。ロドリックの言うとおり、私たちは慈善事業家じゃない、何の見返りもなしにリスクは負えない。あなたの時には一応救助手当っていう見返りがあったわ。結果的に得られなかったけどね」


 おれはニーナの言葉にうんうんと頷いた。敵になると面倒だが、味方だとここまで心強い相手もいない。それにしても、この間迷宮で数日間行方不明になってから、ニーナがやけに慎重というか、過保護な気がするな。


「そ、それなら、その方たちを助けても、救助手当という見返りがあるんじゃないんですか?」


「ビギナーを助けても、基本的には救助手当は貰えない。ギルドの特別保険制度に加入してない限りね。ロドリック、識別札はあった?」


「確認できる範囲では身に着けてなかった。正真正銘、ただのビギナーだな」


「そう」ニーナはカレンシアに向き直った。


「残念だけど、諦めて帰りましょ」


 しかしニーナから諭されても諦めきれないカレンシアは、助けを求めるようにダルムントのほうを向いた。


「俺は、リーダーの意見に賛成だ」


 なんども言うが、ダルムントは原則としておれに逆らわない。これで3対1。前時代的な民主主義的多数決に則ればおれの勝ちだ。少なくともこのパーティーは満場一致システムは採用してない。


「それなら私ひとりでも行きます、今までありがとうございました」


 どうやらこいつもニーナと一緒で、多数決の重みを理解できないタイプの人間らしい。


 全く困ったもんだ。引き止める隙も与えず、カレンシアは奥へとずんずん進んでいく。


 おれはうんざりしながらも、剣を取るしかなかった。

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