ドライアドと氷柱

第41話 ヴンダール迷宮 第3層 西区域

 ある者は「欲は身を失う」と言い、またある者は「求めよさらば与えられん」とも言った。


 もちろんおれは後者の意見に賛成だ。なぜなら既に失い続けてきたからだ。

 今まで失ってきたものを、コツコツ堅実に取り戻していくには人生ってのはあまりにも短すぎるし、思い切ってすべてを諦め、歯がゆい思いをしながら生きていくには、人生はあまりにも長すぎる。

 コイン投げにおいて、コインの裏表が出る確率が常に均衡してくるように、不幸と幸福についても同じことが言えるのならば、おれの場合そろそろ億万長者にでもならないと、人生において均衡が保てないはずだ。


 何かと問題の多いギルドレイド直後の迷宮に降り立ち、積極的に探索を進めているのもその考えが原動力。


 ただ一つ、おれに致命的な間違いがあったとすれば――それは、イカサマ師の存在を考慮に入れてなかったこと。


 ※※※


「坦々たるもんだな」


 ダルムントが呟いた。


 2日間続いたギルドレイドが終了した翌日、おれたちはすっかり平和になった第3層の探索を続けていた。どこの通路も発光魔術で隅々まで暴かれ、忙しなく行き来するギルド職員の姿や、呑気に談笑している探索者たちを照らし出す。


 ギルドレイドのような大規模な掃討作戦が行われた後はいつもこうだった。道中までのほとんどの魔獣が狩りつくされてしまうため、当該層まで一時的に観光地化し、普段は第1層や2層で燻っているビギナーどもが、大挙して下層まで押し寄せる。

 はっきり言って煩わしいことこの上ないが、それでも探索を進めるにはもってこいの1日だ。邪魔する魔獣や妖精種がいないうちに、おれたちは前回断念した第3層の西区画を探索することにした。


 前にも説明したかもしれないが、この第3層は貯水湖を中心として、東西南北4つのエリアに分かれている。それぞれの区画に気になるオブジェクトなどはあるが、ギルドで聞いた話では、ガルムの巣穴はどうやらこの西区画に集中していたらしい。


「でも、なんか煙たいわね」


 ニーナが口を塞ぎながら言った。


「大方どっかのアホが、ゴミを地上まで持って帰るのを面倒臭がって、近くで焼いてるんだろ」


 おれは答えた。通路の周囲には、破けた布切れや革袋の切れ端など、ガルムの巣の残骸らしきものの他に、食い散らかしたパンくずや、折れて使い物にならなくなった棍棒の柄なども転がっていた。しかもそれらを物色して金目の物を漁る底辺探索者の姿もちらほらと。


「それでも、ガルムに纏わりつかれながら探索するよりはマシだろう」


 嫌な顔するおれに、ダルムントが大きな口をあけて笑った。犬嫌いのダルムントには、前回の探索はよほどストレスになったのだろう、その反動で今日はすこぶる機嫌が良かった。対照的にカレンシアは浮かない顔だ。


「どうした? 顔色が優れないみたいだが」


「あ、いえ、大丈夫です」


 カレンシアは杖を両手で握り締めたまま首を振った。

 どうも肩に力が入りすぎているように見えた。こうなったのはちょうど貯水湖に差し掛かったときからだろうか。


 観光客気分の探索者がリヴァイアサンに食べられた、というような会話を、すれ違ったパーティーから耳に挟んだのが原因かもしれない。


「心配しなくても、今日は好戦的な魔物に鉢合わすことはない」


 たぶん。おれはカレンシアと目を合わせて肩をすくめた。もう第3層だというのに、今日は彼女以外の全員がどことなくリラックスしていた。

 なにしろここまで1匹たりとも魔獣に遭遇してない。遭遇したのは、ギルド職員と、素人みたいな探索者ばかりだ。今日はこいつらがうろうろできるくらいには平和だってことだろう。おかげでおれたちの足取りもいつもより軽くなっていた。


「カレンシア、この先だ」


 おれは通路の先に、淡い光を発する小部屋を見とめて指さした。


 部屋の中にあったのは、ちょうどダルムントと同じくらいの高さの石碑。人工的な四角柱の形状をしており、さらりとした質感の表面には、見たこともない文字で文章らしきものが書かれている。この部屋が西区域の終点だった。


「ちょっと道を空けてくれ」


 おれは石碑の周りに群がって、物珍しそうに観察したり、メモを取ったり、イチャイチャしたりしているビギナー崩れどもを押しのけて、石碑の前にカレンシアを立たせた。


「どうだ? これを見て、何か感じるか?」


 未だ解明されていない謎の石碑だ。当然ながらおれは、色よい返事が返ってくるのを期待していた。そうでなくとも、前みたいに、部屋中の壁に魔法陣が現れるんじゃないかと、心のどこかで待ち構えていたのかもしれない。もちろん万が一のときにそなえてニーナとダルムントは部屋の外で待ってもらっているし、おれも今回は異変を察知したらすぐ部屋の外へ逃げるつもりでいた。


「よく、わかりません」


 だが、返ってきたのは思ったようなものではなかった。


「本当か? よく見てみろ。なんて書いてあるのか、読めたりしないか?」


「ごめんなさい……」


 カレンシアは首を横に振った。


「いや、謝ることはない……何もないならいいんだ」


 そうしている間にも、周りの探索者たちが早くどけだの、順番を守れだのとわめきたてる。


「とりあえず、戻るか」


 おれは来た時と同じように、探索者の群れを掻き分けて部屋の外へ出る。


「どうだった?」


 ニーナが部屋からでてきたおれたちを見とめて駆け寄ってくる。


「この石碑は関係なかったみたいだ」


「そう……」


「今日は一旦、休息所に戻ろう」


 カレンシアの顔色も相変わらず悪いし、今の時間から別の区画を探索するのは時間的にも厳しい。


「うん……」


 きっと、今日は第3層の休息所も人が多いだろう。それを分かってか、ニーナの顔も憂鬱に染まった。おれもあてがはずれてがっかりだし、調子いいのはダルムントだけだな。

 おれは腹いせに、ダルムントの足をひっかけて転ばせると、ふざけて走って逃げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る