第40話 カッシウス大浴場 ⑥

 言い表すならば、ごくごく小規模の塵旋風ってところか。


 雌雄は決した。おれがそう確信したとき、男の周りを囲った〝それ〟は、ナイフの軌道を反らし、宙に舞い上げ、おれと男の間に落下させた。


 完全にしてやられた。おそらくおれが考えていたよりもずっと、用心深くて良い師に巡り合っていたのだろう。こういう状況に備えて、『障壁』の裏にもう一種類、風に属性変換させた『風障壁』を仕込んでいたとは。

 エーテルは洞窟の壁にうつる〝影〟に過ぎないが〝現象〟として顕現すれば、それはたとえ影であろうと〝実体〟に干渉し得る。炎になれば物を焼けるし、風になればナイフだって弾き飛ばすだろう。


 しかし、がっかりするのは後回しだ。

 おれはとにかくこの場を離れようと、転がるように横っ飛びした。予想どおり、先ほどまで居た場所に、小さな炎が起こる。


「小賢しい真似しやがって、この恥知らずが! 魔術師としての誇りすら捨てたか」


 しかし、男は追撃の手を止めると、地団駄を踏んだ。


 こいつが仲間思いの人間で助かった。おれは足元で転がっているもう一人の男を、跨ぐようにして立ち上がると、できるだけ身を低く構えた。この立ち位置を維持している限り、男は巻き込みを恐れて、おれを攻撃できないはずだ。


「魔術師としての誇りだと? 下らない、お前らイカサマ師はそんな崇高な存在じゃあないだろ。そこらへんの妖精種に、毛が生えたようなもんだ」


 魔術師にとってはタブーともされる差別的な言葉に、男の顔つきが変わる。


 おれは杖を掲げた。

 男が周囲のエーテルを威圧するように従えさせるのとは対照的に、おれは語り掛けるように、なるべく少ない魔力で協力してくれそうなエーテルを探す。


 周囲のエーテルは、ほとんど男の息が掛かったものばかりで、おれのところに集まったのは、奴とは比べ物にならないほど少ない。しかし一矢報いるには十分だ。


 おれは手印を刻んで、ポケットから串を取り出す。

 男は訝しげな表情でそれを見ると、再度『障壁』を張った。こんな棒切れ一つにも防御姿勢をとるなんて、改めてこの男が、骨の髄まで魔術師なんだと痛感させられる。


 おれは魔術を発動させると、男の障壁に向かって串を投げた。


 べたべたするガルムソースがこびりついた串は、ゆっくり宙を舞って、先ほど投げたナイフと同じように、男の『障壁』に辿り着く。その先も同じだった。


 男の『障壁』を串が通り抜けると同時に、『風障壁』が発動し、男の体を旋風が包む。


 違うのはひとつ、ナイフよりも軽いはずの串は、何事もなかったかのように旋風を突き抜けると、男の頬にぺちんと優しく当たって地面に落ちたってことだ。


「どうして……?」


 軽々と障壁を突破されて唖然とする男から、支配を逃れたエーテルたちが一斉に散らばった。同時に地面に落ちた串からもエーテルが飛散し、かけていた『装剣技』が解除される。


 油断したな。おれの『装剣技』は一族だけに伝わる固有魔術の一つ、属性は未解明な上、効果は〝干渉阻害〟もちろん普通の手段じゃ防げない魔術だ。


 動揺した男は再度エーテルを集めようとするも、集中力を切らしてしまったのか、障壁を解除してしまった。おれはその隙に、男に向かって走る。


 男はハッと目を見開いた。そして、倒れている仲間の傍から、ようやく離れたおれを撃ち落とそうと、杖を構える。


 させるかよ。おれは走りながら、床に転がっていたナイフを拾い、男に投げつけた。先ほど貫通した串の恐怖が、男の脳裏に刻まれていたのだろう。男はとうとう『障壁』ではなく、身をかがめてそれを避けた。


 そう、これこそが魔術師の本質だ。いくら万能の力だ、神々の力だとほざいても、それを使う人間は万能でもなければ信心深くもない。

 信じきれなければ、魔術も手品に、金貨も銅に変わっちまう。そうだろ?


 雑に投げたナイフだったが、相手の攻撃を避けるという動作に慣れていない男には十分な脅威になったようだ。

 バランスを崩し転びかけた男に、おれは間髪入れず体当たりを入れる。床に倒れこみ、杖を離す男。おれも杖を放り投げる。


「さあ、お楽しみの時間だぜ、魔術師さんよ」


 馬乗りになったおれは、手始めに男の顔面を思いっきりぶん殴る。前歯が折れて嗚咽と共に口から飛び出した。


 そのまま2発――3発――4発――。


 5発目を入れようとしたところで、ニーナから腕を掴まれた。


「それ以上やったら死んじゃうわ」


 おれは手を止めた。男は腕をだらりと落とし、小刻みに痙攣していた。半開きになった口からは血と涎が溢れ、鼻は変な方向に曲がっている。反撃どころか、降参するための意識もなさそうだ。


「くそが……」


 おれは吐き捨てるように、立ち上がった。


「ロドリックさん! 大丈夫ですか!」


 勝敗が決したのを見て、カレンシアも駆け寄ってきた。おれの肩口の火傷を見て、つかず離れずの距離であたふたしている。


「大したことない、ほっときゃ治るさ。それより杖、ありがとう、傷はついてないはずなんだが、念のため確認してみてくれ」


 おれは床に転がした杖に視線やる。


「そんなこと、気にしなくても大丈夫です。ほら、武器屋のおじさんも言ってたじゃないですか、ドライアドの木から削り取ったって。ちょっとやそっとのことじゃ、折れるどころか、傷だってつきませんよ」


「そうだったな」


 商売人の売り口上を、信じ切ったように話すカレンシアの姿を見て、おれは思わず笑みをこぼしてしまった。マナー知らずの無法者に絡まれた苛立ちも、ほんの少しだが和らいだ気がする。いや、そりゃあさすがに気のせいだな。


「おし、じゃあ今から風呂でも入るか」


「ダメよ。今すぐギルド本部か、ヴェステ神殿に行くの」


 調子に乗りかけたおれの口を閉ざすように、ニーナがぴしゃりと言った。


「心配しすぎだ。こんなかすり傷に、わざわざ治癒の祈りを使うことはないだろ」


 だが、ニーナは腰に手を当て一歩も引く気配を見せない。助けを求めるようにカレンシアを見るも、どうやらこれに関しては彼女も同意見のようだ。


「分かったよ。くそったれ、本当に最悪の一日だな」


 おれは肩を落とした。男たちはまだ気絶しているようだが、このまま放っておいても大丈夫だろう。おれは第2アトリウムの隅っこで、静かに立っている奴隷を見た。


 奴隷といってもこいつはそこらの無能とは違う、魔術師の荷物持ちだ。こういうとき、どうすれば主人を助け出し、食いっぱぐれずに済むか分かっているはずだ。


 奴隷はおれと目が合うと、おずおずと会釈して、出入口を指し示した。喋れないのか? どちらにせよ、早く去ってくれってことに違いはなさそうだが。


「ほら、観念して早く行きましょう。そんなにお風呂に入りたいなら、私が家でお湯沸かして、身体拭いてあげるから」


 おれはニーナをまじまじと見つめた。それはそれで悪くないな。


 今日は一日、雨に打たれたり、人混みに揉まれたり、キルケにぼったくられたり、新参魔術師に絡まれたり、散々な一日だったが、最後はいいことが起きそうだ。

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