第39話 カッシウス大浴場 ⑤

  緒戦は当然ながら、おれの圧倒的不利で始まった。


 周囲のエーテル支配率は約9対1。もちろんおれが1のほうだ。当面のところ、おれが魔術生成に使用できるエーテルはこの1割だけってことになる。しかもカレンシアみたいに、戦いの途中でエーテルを奪い返して勝負をひっくり返すほどの魔力もおれにはない。まあ、どのみち相手と魔力比べをするつもりなんて、こっちには毛ほどもないけどな。


「今やめるなら、命だけは助けてやってもいいぜ」


 拍子抜けした男が、普通の魔術師なら白旗を上げるであろう状況を前にして、なんと慈悲深いことか! おれに命乞いのチャンスをくれた。


「この技を見てから言え、若造」


 おれはせっかくのチャンスを棒に振り、杖を持っていない方の手で印を刻むと、気合の入った声と共に手を前に突き出した。


 怯んだ男は咄嗟に『障壁』を張る。

 鏡面のようにぴんと張り詰めたエーテルが、男を中心に円を描く。


 かなりの練度だが……思ったとおりだ。おれはその姿を見てニヤリと口角を上げた。


 今のやり取りで分かったことはふたつ。


 ひとつは、この男はタクチェクタ派の魔術に関して知識が浅いということ。

 もしかすると、タクチェクタ派の魔術師と戦うのはおろか、見るのも初めてなのかもしれない。魔術発動の際、片手が塞がるというクソみたいなデメリットを甘受してまで、歴史も実績も浅いタクチェクタ派を学んだ甲斐があった。

 誰にも手の内を知られていない、それは戦いにおいて、とてつもないアドバンテージになる。


 そしてふたつめだが、これが今回の攻略の要になるのは間違いない。

 この男の取った行動……

 未知の事象を前にして、攻撃よりも防御を優先するのは魔術師として当然の選択だが、この状況において、その一手はあまりにも〝魔術師的〟すぎるように映った。


 攻撃的な性格に相容れない防御第一主義。口うるさい師の元で、長い間、厳しい矯正を受けてきたのだろう。こういう奴は魔術師としての在りように固執するあまり、融通が利きにくいと相場が決まっている。おれは魔術を発動させながら言った。


「初めて見た流派にびびっちまったか? かわいそうに。先手は譲ってやるから、思う存分、詠唱していいぞ」

 

そう、おれが手印で構築した魔術は『障壁』だ。少ないエーテルと魔力で発動できる薄っぺらいやつ。触れば弾けそうな、油膜みたいな柔らかいエーテルが、歪んだ球体となっておれを包む。


「よっぽど死にてえらしいな……いいぜ、望み通り消し炭にしてやる、そのふざけた障壁ごとな」


 男はまんまと挑発に乗って詠唱を始めた。


 これでいいんだ。おれは急速に男の方向へ吸い寄せられていく大量のエーテルを前に、怖気づきそうな心を、遠くで泣きながら祈るニーナとカレンシアを拠り所に奮い立たせた。


 詠唱省略した『点火』ですら、おれの手札じゃ防ぐ手立てがないんだ。それなら下手に小さい『点火』を連発されるより、詠唱付きの大技を使ってもらったほうが都合がいい。


「――灯る花々の――イービスより呪いの火を捧げん――」


 そろそろ魔術が完成する。おれは心を落ち着かせ、杖を左手に持ち替え準備を始めた。

 男の瞳がこれまでにないほど真っ赤に染まる。

 吸い寄せられていたエーテルが、一斉に動きを止めた。

 その直後、男から魔力が迸る。


「火焔!」


 男が杖を振りかざすと同時に、おれは足裏にひりつくような熱を感じて飛び退いた。


 さっきまでおれが居た場所に、アルヴニカに生えてるセコイアの幹のように太く、そして雲まで届きそうなほど巨大な火柱が、生き物のように轟いていた。当然ながらおれの張っていた『障壁』は、一瞬のうちに溶け去った。


 感心するのは後だ、おれは空きっぱなしの口を閉じると、すぐさまベルトの裏に隠していたナイフを投げつけた。


 魔術師は自分の張った『障壁』から出ない。自分の信じた魔術を裏切らないためにも……それゆえに、魔術師の中には『障壁』が破壊されるとき、あえて心中を選ぶ者も少なくない。


 そんなアホ臭い価値観を利用して、おれは敢えて『障壁』から飛び出すことで男の大技を躱すことに成功した。しかも反撃方法は投げナイフ。もはや魔術ですらない。魔術師としての矜持はおろか、信じる者にだけ恩恵を与えるという魔術の道理にすら反する行為だ。


 男は予想だにしなかったおれの行動に度肝を抜かれつつも、長年の習慣により、もはや反射の域にまで突入した『障壁』を展開させる。


 だがナイフはエーテルから作られたものではない、まぎれもなく現世で生まれた物質を継ぎ合わせて作った真実の賜物だ。(つまり何の変哲もないナイフってこと)

 通常の『障壁』では防げない。エーテルを継ぎ合わせただけの『障壁』で防げるのは、エーテルとそこから生まれる魔術だけに過ぎない。


 ナイフは浅い放物線を描きながら、男の脇腹辺りに向かって飛んでいく。それを見て、男が顔をしかめるのが分かった。


 今更になって、おれが〝魔術師〟ではなく、ただ魔術を知っているだけの〝人間〟だと気付いても遅いんだ。


 刃が、男の障壁を貫いた。しかし男は動けない。なぜなら、自分の張った『障壁』を〝信じなければ〟ならないから。

 本当に、愚かな奴らだ。魔術師って生き物は。

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