第38話 カッシウス大浴場 ④

「まあ、そう簡単にはいかないよな」


 予想どおり、火球は宙を舞う串にかすりもせず、壁に向かって真っすぐ飛んで行った。


「どうすればいいんですかね……」


 もうすっかり見慣れた光景に、カレンシアはがっくり肩を落とす。


「分かりやすい解決策としては、目標の移動を先読みして魔術を放つとか、火球の弾速を上げるとか」


 飛ばす炎自体をでかくするって解決方法もあるが、現状それは却下だ。比較的狭い場所での戦闘が多くなる迷宮内では不向きだからな。


「とりあえず、いろいろ試してみるか。まずは軌道を先読みして、火球を置くように打ってみよう」


 幸い時間もカレンシアの魔力量も、練習するには十分過ぎるほどある。


「いいか? もっかい投げるぞ」


 おれたちが串に『点火』を当てる練習を再開しようとしたとき、新たな客が、この第2アトリウムに入ってきたことに気付いた。


「ここが魔術用の運動場か、まあまあの造りだな」


「僻地の浴場にしては、マシって程度だろ」


 客は杖を持った2人の若い男の魔術師と、荷物持ちの奴隷が一人。

 見たことのない奴らだが、口ぶりからして帝都辺りから、パルミニアへ来たばかりの人間か?


「ニーナ、カレンシア、もうちょっとこっちに移動しよう」


 おれたちは若い魔術師たちの邪魔にならないよう、第2アトリウムの奥へ移動し、練習を再開した。


 しかし、旅先で浮かれた観光客気分の若い魔術師には、この行動は逆効果だったのかもしれない。男たちは第2アトリウムの隅っこで練習するおれたちを指さし、揶揄するような声を上げた。


「ほらレブ、言ったとおりだろ、田舎のしょぼい遺跡都市なんて、大した魔術師はいないって」


「マジか、これじゃ魔術学院に入りたての子供のほうが、まだマシな『点火』を使うぜ」


 おれたちの姿を見ながら笑う二人。

 ニーナが何も言わず、男たちから出来るだけ距離を取ろうとおれに近づく。


「ロドリックさん……」


 カレンシアもその表情に不安を滲ませる。


「相手にするな、魔術に集中しろ」


 おれは串を投げた。だが乱れた心ではエーテルを完全に捉えることなどできない。カレンシアの小さな炎は、串に当たるどころか数メートルも飛ばずに消えてしまった。

 それを見て大笑いする二人。


「おい、お嬢さん、俺らが手取り足取り教えてやろうか? 代金はそのでかい胸で払えばいいだろ」


「相手にするな、続けろ、カレンシア」


 おれは狼狽えるカレンシアに喝をいれた。大一番での精神力は、小手先の技術よりずっと必要になるものだった。


 だが、そんなおれとカレンシアをあざ笑うかのように、男たちはわざとらしく『点火』の練習を始める。

 もちろん二人の『点火』に弾道なんてものは存在しない。目標とした虚空に突然現れる、高度な技術を駆使した『点火』だった。特にレブと呼ばれる細身の男の使う『点火』の完成度は高かった。そこだけ見ればアイラにも引けを取らない練度だ。


「カレンシアもう少しこっちに移動しよう、ニーナもおいで」


 おれたちは互いに十分な距離が確保できる位置取りをしたつもりだったが、奴らの『点火』は、少しずつこちらに迫ってきているような節があった。


 おれはカレンシアとの距離を詰め、ニーナも更に近くに呼び寄せて、なるべく相手の邪魔にならないよう練習を続ける。しかし、いくらおれたちが隅っこに寄っても、奴らの『点火』との距離が縮まることはなかった。


 最終的には第2アトリウムの9割はそいつらが占有し、おれたちは壁際の隅っこで立ち竦む形となった。ニーナもカレンシアも怯え切っている。こうなっては練習どころではなかった。


「そろそろ風呂に入るか」


 喧嘩を売られてるってことは、誰しもとっくに気付いていたが、ばつの悪そうなおれの表情を読み取って、カレンシアとニーナも文句を言わず頷いてくれた。


「ふたりとも、おれのすぐ後ろをついてこい」


 おれたちは出口に向かって、壁沿いを静かに歩く。この第2アトリウムの出入口は1か所だけ、多少なりとも奴らに近づく必要がある。挑発がこれ以上エスカレートしなければいいが……とも思ったが。案の定、出口まであと半分ほどに迫ったところで、おれの進行方向に、脅すような炎が現れ、空気を燃やし、足を止める。


「今のは惜しかったなあ」


「おーい、おっさん怯えてるぞ」


 男たちの嘲笑を背に、おれは気を取り直して歩き始める。


 だが出口まであと数歩に迫ったとき、とうとう細身の男が放った『点火』が、おれの後ろ髪を僅かに焼いた。


「ちょっとあんたたち! いい加減に――」


 ニーナが震える心を必死で抑えて声を張り上げる。


「いいんだニーナ、ちょうど髪を短くしたいと思ってたところだし、まあ、ちょうど良かった」


 おれは毛先がチリチリになった後ろ髪を掻きながら、怒れるニーナを諫める。


 もう少しの我慢だ。おれが前へ向き直り、出口を前に気を緩めたときだった。

 背中で小さな悲鳴が聞こえた。


「この女、治療師じゃないか?」


 男の内の一人、短髪でガタイのいいほうが、ニーナの細腕を掴んでいた。


「ちょうど良かったな、ツラもいいし、俺たちのクランで飼ってやろうぜ」


 ニーナの体を舐め回すように目を細める男たち。信じられないような光景に、おれは体中の血が冷え切っていくのを感じた。


「触んないで!」


 ニーナが腕を振りほどこうともがく。


「いいじゃねえか、治療師は好き者が多いんだろ? あんなおっさんより俺らのほうがよっぽど楽しませてやれるぜ」


 短髪の男がニーナの腰に手を回そうと伸ばす。


「誰があんたなんか――」


 しかし、ニーナがその手を払おうとするより先に、おれの拳が男の顔面をぶん殴っていた。

 クソ! やっちまった……しかし、後悔している心とは裏腹に、体は更なる怒りに任せて、膝からその場に崩れ落ちる短髪の男の顔を、ダメ押しにもう一発、つま先で蹴り飛ばしていた。おれのバカ!


「てめえ!」


 もう一人の細身の男が、杖を振りかざす。確かこっちがレブで、『点火』の練度が高い方だったな。おれの経験上『点火』が得意な人間は、好戦的なサディストが多い。


 おれは目の前のエーテルが微かに揺れるのを見て、咄嗟に上半身をのけぞらせる。

 予想どおりだ。初手は顔を狙ってくると思ってた。

 おれは細身の男が放った『点火』を躱すと、ニーナとカレンシアに向かって叫んだ。


「ニーナは下がってろ、カレンシア! 杖を貸せ!」


 ただ一つ、予想と違ったのは男の『点火』の再装填速度が、アイラよりも遥かに早かったってことだ。


 いつの間にか顕現していた2発目の点火が肩口を掠める。


 おれは焼け付く痛みに耐えながら手で肩を押さえ火を握り消すと、杖を受け取り、細身の男と対峙する。


 この状態から真っ向勝負を選ぶ相手と対峙した経験がなかったのか、男は一瞬ぎょっとした顔を見せるも、唾を飲み込み強がった。


「やってくれたなおっさん、俺たちが誰だか分かってるのか?」


「運動場でのマナーも知らない、田舎出の魔術師だろ?」


「笑えるぜ、あくまでやり合おうってことか? いいぜおっさん、お前をぶっ飛ばした後、目の前でそこの女を嬲り者にしてやるよ」


「そんときは是非おれも混ぜてくれ」


 おれはカレンシアに目配せすると、杖先で地面をコツンと打った。


 相手も1拍遅れて同様の行動。


 さあ、典型的な魔術戦闘における緒戦、エーテル支配戦の始まりだ。

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