第36話 カッシウス大浴場 ②

「ねえ、ロドリック」


「うん?」


「カレンシアのこと、どうするつもりなの?」


 待ち時間が長すぎるせいで、込み入った話題にまでニーナが踏み込もうとしていた。この話題になると、おれはどこかしらで嘘を付かざるを得なくなる。


「最初にいったろ。第3層で記憶が戻る手がかりを探すって」


 おれは言った。本当は記憶なんて戻らなくてもいいと思い始めているが、そのことを今ニーナに伝えるつもりはなかった。


「今のところ順調に進んでるようね。それで、この後もずっと記憶が戻らなかったらどうするの?」


「そのときは、そのときだ。どうせアイラの代わりに、使える魔術師を見つけなきゃいけなかったんだ。カレンシアがずっとおれたちのパーティーに居てくれるなら、それはそれでいいだろ」


「どうかしら……」


「何か不満なのか?」


「不満ってわけじゃないけど……もし、アイラが戻ってくるって言ったら、その時はどうするの?」


「男と一緒に故郷へ帰ったんだろ? もうここへ戻ってくることなんてないさ」


「でも、例えばだけど、それが全部嘘で、本当は私たちに言えない面倒事を片付けるため、一人でどこかへ行ったのだとしたら?」


「おい、それってどういうことだ? これは仮定の話なのか? それとも――」


「他意はないわ、あくまで例えばってだけ」


 真剣に問いただそうと向かい合ったおれを遮るように、ニーナは念押しして口を閉ざす。


「遅くなってごめんなさい」


 一瞬張り詰めた空気を溶かしたのは、遅れて玄関から現れたカレンシアだった。おれは仕方なく、表情を緩めてカレンシアを出迎えた。


「気にするな、杖の調子はどうだ?」


「ニーナさんにもらったオリーブオイルで磨きました。ピカピカになりましたよ!」


 その凶悪な胸からは想像もできないほど、子供っぽい笑みを浮かべて舞い上がるカレンシア。


「良かったじゃない、それじゃあ行きましょ」


 ニーナは立ちあがってお尻をぱんぱんと叩くと、おれのことを一瞥して歩き出した。

 すっかり問いただす機会を失ってしまったおれは、悶々とした気持ちを封じ込めてそれについていく。


 カッシウス大浴場はパルミニアの北東部、位置的には新市街の端っこだ。おれたちの宿舎からだと、歩いてだいたい20分くらいか。蒸し返そうと思えばいくらでもアイラの話題を放り投げることは出来たが、カレンシアの手前、なぜかそんな気分にはなれなかった。


 他愛もない話をしながら、ギルド本部方面とは逆方向に大通りを進み、城壁を抜け、壁沿いにアーリオ丘の方向へ歩いているうちに煩わしい気持ちは風化していく。


「もしかして、あれですか?」


 アーリオ丘へ差し掛かり、民家の数がまばらになっていくにつれ、初見のカレンシアが丘の麓に鎮座する巨大な建屋を指さして、説明しがいのあるリアクションを取ってくれた。


「そう、あれがカッシウス大浴場だ。迷宮が発見されたことにより建造中止になった競技場の代わりに、カッシウス・ヴンダールが大金をつぎ込んで作らせた。かなり無理して建造を急いだにもかかわらず……完成を見る前に、奴はくたばっちまったがな」


「なんだか、悲しいですね」


 もし、あの夜おれがパルミニアに残っていれば、カッシウスは死なずに済んだのだろうか? 彼が生きていればヴンダール迷宮の探索事業は今と違った形になっていて、ともあればおれの人生も、今とは全く違う方角へ進んでいたのかもな。


 そんな想像が脳裏をよぎり、少し感傷的になっていたせいだろうか。透き通るようなヘーゼルの瞳に、思わず心を見透かされたような気がして、おれは咳ばらいをした。


「別に、どうでもいいさ。どうせほっといても、すぐ死ぬ年齢だったんだ」


 叶いもしない未来を吐き捨てながら、偉大な死者の名を冠する大浴場の巨大なアーチ門をくぐり、その先にある階段を上る。


 低い階段を上った先には玄関ホールがあり、入口には入浴料金を徴収する係とは別に、汚らしい浮浪者や不審人物が入り込んだりしないよう、見張りをしている警備係が数人いる。


 何故だが分からないが、いつもおれはここで引き留められ、身分が証明できる物の掲示を求められるため、今日はちゃんと印章指輪をはめてきた。手をかざし、警備員の懐疑的な視線を掻い潜りながら3人分の料金を払って中庭へ向かう。


「そうだ、一応言っておくが魔術の使用が許可されているのは、競技場横の第2アトリウムだけだから気を付けろよ。あとは――」


 おれは中庭の使用に関するいくつかの細かなルールなどを説明しながら、3人で第2アトリウムへ向かった。

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