第34話 カピナ商業施設 ③

 おれはしぶしぶ財布を開いた。カレンシアと迷宮を彷徨ってる間に稼いだ分が、まだ多少余っていたから、まあなんとかなるだろう。


「だ、大丈夫ですよ。私、自分で出しますから」


「いいの、今日はロドリックの奢りだから、気にしないで」


 聞き捨てならない一言だった。しかしカレンシアの手前、この場で文句を垂れるわけにもいかない。おれは黙って金を払うことにした。


「新しい女ができて、随分気前が良くなったな」


 キルケがおれから渡された銀貨を手の中でこねくり回しながら、意地悪そうに口角を上げる。


 天涯孤独のクソジジイは黙ってろ。そう言いたい気持ちをぐっとこらえておれが店を出ようとしたとき、杖と中着を受け取ったカレンシアが、カウンターの上に置かれていた木箱に入っていた、筒のようなものを見て声を上げた。


「あの、これってなんですか?」


 ただのゴミだ。おれがそう言ってカレンシアを店から連れ出そうとするが、キルケが急に声を荒げた。


「なんだ、これに興味があるのか! ちょっと、ちょっと待て、おい」


 椅子から立ち上がり、カウンターに身を乗り出しておれのマントの裾を掴む。ジジイのくせになかなか機敏な動きだ。


「なんだよ、もうこれ以上は買わないぞ」


「いいから、話だけでも聞いていけ! こりゃすごい発明品なんだぞ! これがあればパルミニアで毎月のように起きる火事を前にして、魔術師や警備隊が駆けつけるまで指を加えて見ているだけの能無しにならずに済むんだ!」


 キルケが口角泡を飛ばしながら捲し立てる。おれはキルケらしくないその声色に押され、立ち竦むしかなかった。


「わかったよ、わかったから落ち着けって……」


「いいから黙って聞け! この筒の先端には穴が開いていてだな、あらかじめ水を溜めておいたアンフォラにこの筒の先端を付けて、末端のレバーを引くと筒に水が溜まるんだ、その状態で筒の先端を火点に向けて、今度はレバーを思いっきり押し込む! そうすると火点に向けて水が飛び出すって仕組みだ!」


 そう言いながら、キルケは必死に筒の後方に取り付けられたレバーを押したり引いたりして見せた。


「飛距離はなんと10メートル以上! もちろんやせ細った奴隷や女の力でも5メートル以上は飛ばせる! この筒を一家に一台置いとくだけで、おそらくこの都市で起こる火事のほとんどを、小火の段階で消すことができるんだ!」


 キルケは筒をおれの前に突き出しながらわめき散らす。飛んできたジジイの唾が時折おれの頬を濡らすたび、どうしようもなく不快な気持ちにさせられた。


 しかも、こんな状況を招いた張本人であるカレンシアは、ニーナに連れられていつの間にか店を出ていたもんだから、余計に腹立たしくなった。

 廊下から遠巻きに、憐れむような視線を向ける二人の姿を見て、おれは自分の心の中で何かが煮えくり返るのを感じた。


「そんなクソの役にも立たないゴミ、タダだって言われてもお断りだ」


 おれはキルケの手から筒を奪い取ると、店の奥に向かって放り投げた。


「何をする! これはおれの息子の発明品だぞ!」


 こいつ、息子なんて居たのか? まさか所帯持ち? どうしてこんな偏屈ジジイが? 考えれば考えるほど、この世界の理不尽さが許せなくなってくる。


「お前の息子も、お前そっくりのパープー野郎だな! こんな下らないもの作ってる暇があったら、ちょっとは店番でもやらせてみたらどうだ?」


 おれは木箱に残った残りの筒も、全部ひっくり返してカウンターにぶちまけてやった。


「なんだとこの負け犬のクソザコ守銭奴が!」


 筒を拾い集めながら、神々の名においておれを呪ってやると騒ぎ立てるキルケを後にして、おれは唾を吐きながら店を出ることになった。


 廊下に出て、少し歩き、他人の振りをしようと余計に遠ざかっていたニーナとカレンシアをつかまえる。


「考えうる限り、最低の結末だったわね」


「それっていつものことだろ」


 悪びれる様子もないおれの態度を前にして、ニーナがガッカリしたようにため息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る