第26話 ヴンダール迷宮 第3層 ①
「カレンシア、右に1匹!」
「はい!」
後方で戦況を注視しているニーナからの指示を受け、カレンシアがその方向にエーテルを走らせる。
「点火!」
活力に満ちた詠唱が響き、虚空が歪むと、それまで静けささえ感じられた暗がりの奥から、突如として燃え盛る火球が現れた。
あれから1週間が経っていた。記憶力と学習能力に難のあるおれたちは、あれほどの苦難を味わったにもかかわらず、性懲りもなく迷宮に戻っては、まだ稼いでもないコインの枚数を数えて悦に入る毎日を送っていた。
今は第3層に入ったばかりの場所、北側区域を探索している最中、面倒な相手とやりあっているところだ。
もちろんカレンシアも一緒に連れてきた。記憶は未だに戻らないようだが、あれ以来、彼女の魔術の上達は目を見張るものがあり、既に『発光』だけではなく『点火』や『障壁』といった基礎魔術まで習得していた。
しかし実戦での成果は……必ずしも魔術の腕前につり合うものとは限らないのが如何ともし難いところだ。
「ごめんなさい、また外しちゃいました……」
カレンシアの放った炎は、素早く動き回る目標を捉えることが出来ず、現れたときと同じように虚空の狭間へと消えてしまった。
「いいさ、ここはおれとダルムントに任せて、ニーナと一緒に下がってろ」
そう、いくらエーテルのとの親和性が高かろうとも、魔術のセンスがあろうとも、ここは錬金術師が使うヘンテコな台座の上でもなければ、占い師が持つひび割れた水晶玉の中でもない。
動き回る相手に魔術を命中させる能力――それは魔術というよりも、弓を射ることに似ていると、かつておれたちのパーティーを支えたアイラという大魔術師は言った。カレンシアにもそういう鍛錬をさせたほうがいいのかもしれない。あの黒い魔術に頼らない戦い方を続けていくのならな……。
おれは正面で吠えたてる2匹をダルムントに任せると、ニーナとカレンシアを標的に、回りこもうとする威勢のいいやつの始末に腰を据えた。当然ながら、おれにとってはこの手合いを始末するのに、魔術なんてもんは必要ない。
おれは小ぶりのナイフを一本、ベルトから引き抜くと、対象の動きを先読みして、進行方向を塞ぐように投げつけた。それと同時に思い切り床を踏みしめる。
対象がナイフを避けるため身を翻し動きを止めたところを、おれは大きく飛び出しながら腕を伸ばし、手に持った剣の切先で突き刺した。
脇腹に剣を突き刺されながらも、喉の奥から唸りを漏らし暴れ狂う獲物を、体ごと壁際まで押し込む。そして覆いかぶさるように倒れこんだら、ブーツの側面に隠したナイフで滅多刺しにする。
ダルムントとじゃれ合っていた奴らも、その光景を前に不利を悟ったのか、尻尾を巻いて逃げ出した。
「追わなくていいぞ」
おれは息をしなくなったそいつから、討伐証代わりの尻尾を切り取りながら言った。
「ああ……」
ダルムントが、逃げていく黒い犬のような生物の背中を眺め、うんざりした様子で盾を置く。
「あまり好き嫌いで仕事をするほうではないのだが……こうも『ガルム』ばかりだと、張り合いがないな」
張り合いはともかく、『ガルム』が嫌いだという点ではおれもダルムントと同意見だった。この黒い狼のような姿形をした魔獣は、討伐代金が少ない上に負けそうになるとすぐ逃げる。全く旨味のない相手だ。普段はこの第3層まで上がってくることはない奴らなんだが……。
「第3層に入ってから、もう3回目。このままじゃまともに探索なんてできないわよ」
ニーナがエーテル時計をかざしながら言った。時計の針はもう第1夜警時を指している。おれは頭を抱えた。
「前来た時は、こんなんじゃなかったんだけどな」
「前って、もしかして私を助けてくれたときですか?」
カレンシアが不思議そうにおれの瞳を覗き込んだ。
「ああ、そうだ。2週間ちょっと前のことだっけな」
「えっと――じゃあその時は、まだ第3層にガルムは居なかったってことですか?」
「いいや、だが少なくとも、ここで1日探索しても1回遭遇するかどうかって程度の数だった。こいつらは本来、第4層の一角で慎ましく暮らしている魔獣に過ぎないんだ。第3層まで上がってくることなんて、滅多にあることじゃあない。もしかすると……下の層で何かあったのかもな」
ともあれ、せっかくここまで来たんだ。すぐ帰るのは勿体ない。第3層にはカレンシアの記憶に関するヒントが落ちているかもしれないし、何より今日はまだ1匹も『タラスクス』を狩れていない。おれはパーティーのリーダーとして告げた。
「魔力にはまだ余裕があるし、もう少し続けよう」
しかし、結局この日の収穫は期待したようにはいかなかった。
おれたちは夜明け前ギリギリ、滑り込むようにして第3層の休息所へ駆け込むと、ちょっとした擦り傷なんかをニーナに治療してもらった後、いったいガルムを何匹狩れば来週の生活レベルを落とさずに暮らせるのか、各々考えながら眠りにつくことになった。
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