第22話 ヴンダール迷宮 第2層 ⑪

 おれの知り合いの雄弁家が自分の結婚式に寝過ごして、仲介の場で苦し紛れに語った言葉を引用するならこうだ。


 〝人々は眠らなければならない。瞼を閉じて、意識を沈めて、還らなくてはならないのだ。神々の待つ、未だ遠き隠世に〟


 彼がそのあと、多額の慰謝料を払ったという事実はさておくとして、魔術に多少なりとも明るいおれからすれば、神々と魔力、そして魔力と睡眠の関係を端的に表したこの言葉は、独りよがりの悪詩として掃いて捨てるには惜しいものがあった。


 さて、前置きが長くなってしまったが、つまるところ何が言いたかったのかというと、おれがたっぷり5時間ほど眠っていた理由は不貞腐れていたからじゃなく、魔力を完全に回復させて、当初の予定通り〝壁抜き〟を用いて脱出するつもりだったってことだ。


 ※※※


「お役に立てなくて、申し訳ありません」


 僅かばかりの携帯食と水を分け合いながらの、束の間の団欒だった。

 カレンシアはいつまでたっても食事に手を付けようとはせず、部屋に仕掛けられた魔術の解析が叶わなかったことを、ひたすら謝り続けていた。


「気にするなって、本当ならゴーレムに勝てないと踏んだとき、こうするつもりだったんだ」おれは言った。


「違うんです、元々は、私が勝手に、皆さんと離れて……私が勝手なこと、したせいだから」


 カレンシアの頬を涙が伝う。悲観的な雰囲気にはしたくなかった。叶う望みも掴み損ねてしまいそうになるからだ。おれは革袋に乗った杏のコンポートを、彼女の口に無理やり詰め込むと、背中をそっと撫でた。


「泣くなよ、まだどうなるかなんて決まったわけじゃないだろ」


 そして彼女の不安を少しでも取り除くため、なるべく軽い口調で続けた。


「それに、壁を抜いた先がどこに続いているのか、大体の目星は付いてるんだ。さっき言った注意点ってのは、あくまで最悪の事態を想定してのことだ。心に留めておく程度でいい」


 おれは壁抜きをすると決めてから、カレンシアに教えた最悪の事態における3つの注意点のことを思い返した。本来なら不安を煽るようなことは言うべきじゃなかったが、それでもここの地層が第4層以降だったときのことを考えると、この3つの決まり事だけは絶対に守ってもらう必要があった。じゃないと、壁抜きをしたところで、部屋を出た瞬間、即全滅ってこともありえる。


「本当ですか? それって、この部屋に関する手がかりを掴んだってことですか?」


「いや、基礎的な魔術理論からの見地だ。あくまで推測だがな」


 おれは杏を自分の口に放り込み、首をかしげるカレンシアの口にも放り込みながら説明を開始した。


「地上では朝陽と共に、ほぼすべての魔術効果がリセットされるが、迷宮内では残り続ける。このことは少し前に説明したよな」


「はい……」


「これは朝陽を司るエーテルが、なんらかの理由で迷宮に届かないことが原因だとされているが、それでも魔術効果が永久に留まり続けることはない。属性変化に使用した分のエーテルはもちろんのこと、『発光』のようなエーテルの属性変化を伴わない魔術も、少しずつ自然減衰していってしまう」


「たしか、『発光』は3日から5日間程度で消えるんですよね」


「ああ、そしてそれは『発光』だけじゃない、紋章魔術も同じだ。図形を描く際に込められた魔力、すなわち魔術発動のトリガーとなるエーテルも、時間と共に減衰し、いずれは消滅する。迷宮を作った張本人なら多少のズルは許されるとしても、数百年単位の減衰に対応するためには、その魔法陣の大きさに似合わない、かなり小規模な出力の魔術にする必要があるはずだ」


「はあ……」


 既に話についていけないといった表情のカレンシア。おれは結論だけを述べることにした。


「つまり、ここはおれたちが元居た場所から、十数メートルも離れていない可能性があるってことだ」


 かなり楽観的な推測に過ぎないが……もちろん、それは口には出さないでおく。


「そうなんですね……」


 いまひとつ話が掴めないためか、それともおれの論理の破綻に気付いたからか、カレンシアの反応は、まだ芳しいものではなかった。


「とにかく、黙っておれに全部任せとけってことだ! 最初に会ったとき言っただろ、おれは迷宮探索のプロフェッショナルなんだ、どんな状況でも必ず君の願いを守って見せる!」


 おれは得意げな顔で胸を叩いた。どんなにそれっぽい理由を語ったって、最後に人心を動かすのは結局心意気だ。現に、カレンシアもおれの勢いに押されて「はい!」なんて頷きながら、返事をせざるを得なくなっている。


「おうし、そんじゃあ行くぞ」


 鉄は熱いうちに打てとも言うし、カレンシアの士気が僅かでも残っているうちに、さっさと出発することにした。


 革袋の上には、杏のコンポートが幾ばくか残っている。おれは片付けついでに、それをすべて、カレンシアと二人で分け合った。


「いくつか残しておかなくていいんですか?」


 カレンシアが手に持ったまま、不思議そうに尋ねる。


「ああ、全部食っちまおう」


 なんてったって、あの世までは持っていけないんだ。

 それなら今、全部食っちまったほうが、死に際の憂いが減るだろ?

 

 もちろんこれも、口には出さないでおく。

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