第21話 ヴンダール迷宮 第2層 ⑩

 台座がなんらかの損傷を受けていることは、一目見てわかった。

 やや傾いた盤面に嵌めこまれたガラス板はそのほとんどが砕けていたし、表面に積もった埃は、この場所が破棄された年月を物語っていた。


 おれはマントの端で埃を浚う。台座自体の材質は、どこか魔法銀を髣髴とさせる質感と滑らかさを持ち、埃の奥からは、やや青みがかった白色が覗いていた。おれはマントを払うと、顎に手を当てて考え込んだ。


 最も気に掛かるのは、おれから見て台座の奥側にある1つの窪みだった。形は円形、大きさはこぶし大。ふと思い出すのは、王都のレオニクス闘技場をカヌルスの丘から見下ろしたときの光景だった。窪みの表面に付いた傷が、ちょうど舞台を取り囲む観客席にどことなく似ていた。


 ――ん? まてよ。違和感を感じたおれは、台座に乗り出し顔を近づけてみる。

 窪みに付いた傷は、よく見るとやけに規則性があるように見えた。それに偶発的に付いたにしては幾何的すぎる節もある。


 おれはカレンシアが十分離れた場所に居ることを確認した上で、魔力を込めた指先を窪みに這わせてみる。


 ――うんともすんとも言わないが、おれにはこれが紋章魔術を用いた、何らかの魔術装置であるという確信が芽生えていた。


「カレンシア、ちょっとこっちに来てくれ」


 おれは危険を承知で、カレンシアにも見てもらうことにした。


「何かわかったんですか?」


 カレンシアが紐解いていたエーテルから手を放し、顔を上げた。


「この台座、君の目で深く視てもらえるか? 何か仕掛けられてる気がする」


 もちろん魔術的な視点での話だ。もしおれたちがこの部屋へ移動するきっかけになった紋章魔術と、この窪みに刻まれた傷が同一の魔術師による製作物であるなら、共通したギミックを持っていてもおかしくない。うまくいけば、脱出のための糸口を掴めるかもしれない。


「わかりました。やってみます!」


 おれの期待はカレンシアの瞳が色濃く染まり、内なる魔力がほとばしるにつれ高まっていった。

 そしてエーテルに導かれるように、カレンシアが台座に手を伸ばした瞬間、いい意味でも悪い意味でも裏切られることとなった。


「わ! ロドリックさん!」


 カレンシアが小さな悲鳴と共に手を引っ込める。


「やっぱり、これも紋章魔術の一種だったか……」


 おれは青白い光を発する窪みの表面を、まじまじと見つめながら呟いた。


「これ、どうします? どうすればいいですか!」


「慌てんな、大丈夫だ。どちらにせよ、今さら焦ったってどうしようもないだろ」


 おれはカレンシアを宥めながら問いかけた。


「それより、体に異変はないか?」


「ええ、私は、特に……」


 カレンシアはおずおずと手足を広げる。


「それは良かった」


 わかりやすい異変でもあったほうが、脱出の糸口を掴みやすいという点では尚良かったが――さすがに、そこまで都合よく事が運ぶわけないか。

 ただ……ひとつ頭に引っかかるのは、先ほどのことといい、今回のことといい、カレンシアがこの紋章魔術発動の引き金であることに、単純な魔力量だけでない何か別の要因を感じざるを得ないということだった。


「これ、どういう装置なんでしょう?」


「さあ、見当もつかん」


 台座の盤上に嵌めこまれたガラスにも何か図形が映し出されているようだった。しかし、どこもかしこも割れているせいで、ろくに読み取れやしない。


「この窪みに、何か置くんじゃないでしょうか?」


「そんな単純な装置とは思えないけどな」


「うーん……」


 カレンシアが唸った。


 これだから素人は……考えもなしに適当なことばっかり言いやがって。仮にそうだとして、いったい何を置くっていうんだ。おれは顔をあげた。


 ネプトゥヌス像もといゴーレムが、愚かな愚民を見下すかのように、台座の脇で佇んでいた。


 いや、まさかな……。


 おれは自分の突拍子もない思いつきを、どこか自嘲的な心持ちで受け止めながらも、ゴーレムの傍らに立ち、剣を逆手に持ちかえた。


「どうしたんですか?」


 つぶらな瞳で首をかしげるカレンシア。


「いや、ちょっと試したいことがあって……」


 言いながらおれは、ゴーレムの肩口に、勢いよく剣の柄を叩きつけた。


 ――1回、2回、3回――


 先ほど装剣技で付けた切創から亀裂が伸び、そして4回目の打撃で、ゴーレムの腕が付け根からガシャンと床に落ちた。もちろん目当ての物も一緒にだ。


 おれは中心から真っ二つになっているそれを継ぎ合わせ、台座の窪みに乗せてみる。偶然にも、窪みとそれの大きさはぴったりだった。


「それ! ゴーレムのコアってやつですか?」


「ああ、そうだ。おれの陳腐な想像力じゃあ、このくらいしか思いつかなかった」


 実際、何も起こらなかったのだから、本当に陳腐としか言いようがない。窪みに納まったまま、待てども待てども、一向に変化のないゴーレムコアを前にして、おれは大きなため息を吐いた。


「もしかしたら、ちゃんと嵌ってないだけなのかもしれませんよ……」


 おれを気遣ったのか、カレンシアがゴーレムコアを嵌め直そうと手を伸ばす。

 ここまでくれば、大体の奴なら予想できることだろうが、ここでもやはり、彼女が鍵だった。


 ――台座から発せられる光がいっそう強く輝いたかと思うと、窪みに嵌めたゴーレムコアに、細かい紋章が浮かび上がった。


「わわ! なんか動き出しましたよ!」


「まじかよ……」


 普段はめっぽう当たらないおれの勘が当たっちまうなんて、この先に何か良からぬ出来事でも待ち受けてるんじゃないだろうかと――この上更に勘ぐってしまう。

 しかも、このことは同時に、この台座がゴーレムコアを作るための装置かもしれないという、おれの推測を裏付けようとしていた。


 一つ誤算があるとすれば、壊れたコアを修繕してくれる機能までは、備わっていなかったということか。

 いや……それ以前に、おれが自身の持つツキの悪さを、信じ切れていなかったのが原因か。


「あ、あれ……なんか、嫌な感じが……」


 突然、台座の青白い光は、警告とも取れる甲高い音と共に、真っ赤な光に変化した。

 おれとカレンシアが茫然と、その光景を眺めている間にも、音は鳴り続け、光は赤と黄色の間を何度も行ったり来たりした。


 そして、ゴーレムコアに映し出された文字が消えるのと同時に、台座の光はすべて消えた。ついでに耳障りな音も鳴り止んだ。


「止まり――ましたね……」


「ああ、くそったれなことにな」


 それ以降は、カレンシアが触れても、おれが剣の柄でぶっ叩いても、台座が反応することはなかった。


 おれはゴーレムコアを腰のポーチに入れると、その場に寝転んだ。

 あと、おれに出来ることって言ったら、眠ることくらいしか、残されていなかったからだ。

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