第18話 ヴンダール迷宮 第2層 ⑦

「ロドリックさん! ねえ、ロドリックさんってば!」


 その声は、まるでどこか遠くに置き忘れてきた過去の燃え滓を、もう一度かき集めて灯し直そうとするように、繰り返し、繰り返しおれの名前を呼び続けていた。


「起きてください! ロドリックさん」


 手を伸ばせば届きそうな気もしていた。何か大事な出来事に、忘れてしまった約束に、あの朝に、指先が引っかかるような感触が続き――しかし、あと一歩のところで、張り詰めた弦がほどけるかの如く、記憶は遠ざかっていく。でもこれは、いつものことだ。


「うるせえな……」おれは顔を上げた。


 薄っすら開いた瞼の先に、柔らかそうな金髪が揺れている。それを見て、おれは大きくため息を吐いた。


「気が付きました? 大丈夫ですか?」


「大丈夫なわけないだろ、くそったれ……」


 おれはカレンシアを押しのけながら立ち上がると、周囲を見渡した。


「ここ、どこだ?」


 全く見覚えのない場所だった……。


「さあ……私も気が付いたら、この場所に居たので」


「ニーナとダルムントは?」


「わかりません」


「なんだってこんなことに?」


「わかりません……」


 カレンシアも不安なのだろう、目尻をこすりながらうつむいた。


「迷宮ってのは、わかんないことだらけだな」


 おかげで何度潜っても新鮮さを保ち続ける。恋愛と違ってな。おれはニーナの顔を思い浮かべそうになって――雑念を振り払うように状況整理に努めた。


 おれたちが居たのは四方を真っ白な石レンガで組まれた部屋だった。広さは丁度9人制ハルパストゥムのコートと同じくらいか、それより少し広いくらい。

 部屋の中央には幅広の台座らしきものが置いてあり、その周辺に散らばったガラスの破片が、おそらくカレンシアが使ったであろう、『発光』の光を反射させてキラキラと輝いていた。


 そしてここからは、おれたちにとって不利な状況を描写していく。


 まず、出入口らしいものは部屋のどこにも見当たらないってこと。どうやらおれたちはこの部屋に閉じ込められてしまったらしい。

 しかも先客まで居るようだ。部屋の奥、壁に寄りかかるように佇む大きな影が、ギシリと音をたて、僅かに動く。


「カレンシア、おれの後ろに……」


 おれはカレンシアを庇い立つと、剣を抜いた。当たり前のことだが友好的な相手ではなかった。


「は、はい……」


 部屋の奥に立っていたのは、探索者泣かせの厄介な相手。

 形は人型(これには一考の余地あり)、大きさは2メートル強、材質は……おそらく鉄だろう。殺意に溢れるゴツゴツとした体が、カレンシアの発光魔術を反射して鈍い光を放っていた。


「あれ、危ないものなんですか?」


 カレンシアがおれの肩越しに呟いた。


「ゴーレムだ」おれは言った。


 ゴーレムは遥か昔、エゲル紀を生きた古代人によって作られた人工生物だと言われている。

 体を構成している材質は土や石、はたまた鉱石など個体によって様々だが、どいつにも共通しているのはコアと呼ばれる動力源が、体のどこかに埋め込まれているということ。そして製作者は全員、泥酔した状態でゴーレムを作ったに違いないということだ。人を模したというには、あまりに歪で大雑把な造形がその証拠。


 しかし、見てくれに目を瞑れば、それ以外の性能はどれも一級品だった。

 魔術耐性に優れ、材質によっては物理攻撃にも強い上、体のどこかにあるコアを破壊しない限り、延々と再生し続けるという厄介な能力も兼ね備えている。


 目の前のアイアンゴーレムの攻略難度は、数あるゴーレム種の中でもちょうど真ん中くらい。それでも、普通の武器では傷を付けることすら難しい相手だ。この状況で勝てるかどうかは……能力的に相性のいいおれですら、運次第ってところだな。


 おれはゴーレムが周囲のエーテルを吸い上げながら動き出すのを、じっと見据えていた。エーテルが収束する一点にコアがあるはずだった。だが正確な場所を特定するには高度なエーテル視の能力が必要となる。おれの目では、そこまで深く繊細なエーテルの機微は感じ取れない。こいつの体を掻っ捌いて、直接中身を確認する他ないだろう。


「私、何かやれそうなことありますか?」


 緊張の走るおれの横顔を見てなのか、カレンシアが言った。


「おれの雄姿を、その目に焼き付けてろ!」


 おれは気を使わせまいとそう言ったあと、カレンシアの手を引き、部屋の中央にある台座を挟んでゴーレムから逃げ回った。



 もう一度言う、逃げ回ったんだ。

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