第17話 ヴンダール迷宮 第2層 ⑥
休息所を挟んでも、第2層の景色はこれといって変わることはなかった。
どこまでも続く長い柱廊があり、やっとのことで突き当りに差し掛かったかと思うと折り返して、また延々と柱廊が続く。それを何度か繰り返すと次の階層へ下る階段が表れるのだが。
幸いなことに、それほど遠くまで行かずとも、カレンシアは見つかることとなった。
休息所を出てすぐ、ちょうど柱廊の壁際に続く小部屋群が途切れた場所に、彼女はひとり、ぽつんと突っ立っていたんだ。
「あ、皆さんお揃いで、どうされました?」
物憂げな表情で壁を見つめていたカレンシアは、おれたちの存在に気付くなり、不思議そうに首を傾げた。
人の心配も知らず、全く呑気なもんだ。おれはダルムントに目配せした。ダルムントは眉を上げて、カレンシアに詰め寄る。
「こんなところで何をやってる。いつまでたっても戻らないから、心配したんだぞ」
いっそう唸るような低い声でダルムントが咎めると、カレンシアはおれやニーナの表情を交互に確かめ、何かに気付いたようにばつの悪い顔をした。
「ご、ごめんなさい……」
「形だけの謝罪で済むと思うな」
ダルムントが更にすごむ。
カレンシアは泣きそうな顔でうつむき、唇を噛んだ。そろそろ止め時か……おれはダルムントの肩を叩いた。
「もういいだろ? 何もなかったんだから、そのくらいにしといてやれ」
「むう……まだ若干言い足りないが、リーダーがそういうなら……」
ダルムントが振り返りながら、おれに演技の採点をしてもらおうと目を細めた。
本人はうまくやったと思ってるようだから口に出す気はないが、あれだけ凄んだ割には、引き下がり方があっさりしすぎて不自然だった。これじゃせいぜい60点ってところか。
「カレンシア、大丈夫か? どこも怪我してないか」
「はい……すぐに戻らなくて、申し訳ありませんでした」
「今回のことはもういいんだ。でも、次から単独行動するときは、おれの許可を取ってからにしてくれよ。なんてったって、おれたち『馬の骨』のメンバーは、生死を共にするって意味じゃ家族も同然なんだからな」
おれはカレンシアに手を差し伸べた。これで少しは、勝手な行動を控えてくれるようになればいいんだが……。
「家族、ですか……わ、私……」
カレンシアは唇に手を当て、ほんの少しだけ、考え込むように瞳を閉じると、頭を振った。
「わ、わかりました……これからも、よろしくお願いします」
そして、ローブの裾に隠れがちな手をおずおずと伸ばし、おれの手を握った。白磁のように艶やかな指先から、微かな鼓動を感じる。
「そういうの、もういいから。さっさと戻って寝なおしたいんだけど」
ときめきも束の間、一部始終を見ていたニーナが、とうとう舌打ちと共に文句を垂れはじめた。せっかくの良い雰囲気も、これで台無し。
「はいはい、分かってる」
おれは名残惜しむように、手からカレンシアの指を滑らせると、踵を返した。
ニーナがすかさずおれの背中を、早く早くと押し、それを見たダルムントが床に下ろしていた荷物を担ぎ直す。その中で、カレンシアだけが、その場から動けずにいた。
「おい、どうしたんだ? さっさと休息所に戻るぞ」
カレンシアは手招きするおれと、彼女の背後にある壁を交互に見つめ、思い切ったように声を上げた。
「ま、待ってください!」
おれたちは顔を見合わせて、歩を止める。
「なんだってんだ、いったい」
「実は、この壁の先から、声がするんです、さっきから、ずっと、それで……私、ここで……」
要領が得ない。壁の中から声がするってことか? そんなもの、おれには聞こえなかったが……。
「気のせいじゃないか? 疲れてるんだろ、さあ戻ろう」
嫌な感じがする。おれはカレンシアの傍まで戻ると、無理矢理にでも連れて行こうと手を引いた。
だが、カレンシアは諦めきれないのか「ここ、ここですよ、この先……」と腕を伸ばし、指先でそっと壁に触れた。
――その時だった。
青白い輝きとともに、壁一面に浮き上がる魔法陣。
突如として現れた巨大で伝統的な円型の魔法式に、おれは思わず立ちすくんだ。
「なにこれ……」ニーナもぽかんと口を開ける。
「リーダー!」ダルムントが緊張と共に荷物を放り投げた。
「いやいや、こんなのおれにもさっぱりだ!」
この場にイリーニャ派の紋章魔術を学んだことのある物好きが居れば、あるいはこの魔法陣の意味もわかったのかもしれない。だがあいにくここに居るのは、ネブリウムス派の落ちこぼれと、記憶喪失の魔術師だけ。
そんなどうしようもない状況でも、確かなことがひとつだけあった。
それは――この迷宮内で、前触れもなく探索者に降り注ぐものは、総じて碌でもないことばかりだってこと。
「全員離れろ!」おれは叫んだ。
案の定、魔方陣から発せられた青白い光は、おれの四肢を侵食しながら感覚さえも奪っていた。
「くそ! なんだってんだ!」
せめてもの救いは、ニーナやダルムントには何も変化が起きてないってことだが……だったらおれとの違いは何だ? 魔法陣との距離? それともエーテルの感応度? それなら、カレンシアは――。
おれは咄嗟にカレンシアを突き飛ばした。
直後、眩しいくらいの光に包まれ、前が見えなくなる。ニーナやダルムントがごちゃごちゃ周りで叫んでいる中、おれ自身も必死で魔法陣から遠ざかろうと、感覚のない四肢を振り回すが……もうダメそうだな、こりゃあ。
「3から始める! マルスに祈りを!」
おれはやぶれかぶれで言った。せめて最後は、この文句で覚悟を決めたかった。
「ふたつ! 恐れぬ者にエーテルの加護を!」
遠くからニーナの声が聞こえる。ありがたいことに、聴覚だけはまだ、微かに残ってるみたいだ。
「ひとつを過ぎた、何か言い残すことは」
ダルムントもおれの思惑を察して応えてくれた。
場合によっちゃこれが遺言になるかもしれないんだ。誰の心にも残らないような、クソほど下らない台詞を吐こう。
おれがそんな風に考えているときだった。
「発光!」
カレンシアの良く通る高い声が、確信めいた予感と共に、おれの暗がりを切り裂こうとしていた。
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