第16話 ヴンダール迷宮 第2層 ⑤

「リーダー、起きろ。問題発生だ」


 ダルムントの低い声で、おれは眠りから引き戻された。


「なんだ……もう時間か?」


 重い瞼をこすりながら、大きく伸びをして立ち上がる。なんだかダルムントの顔が、いつもにも増して険しく見えた。


「違う、問題が起こったんだ。カレンシアが用便に出たまま戻らない、探しに行かなければ」


 その言葉に、おれは耳を疑った。


「どういうことだ? 便所ならそこにあるだろ」


 部屋の隅に垂幕で覆われた場所がある。そこに汲み取り式の便所が設置されていたはずだが。


「カレンシアがもよおした時には先客が居た。だから休息所の外ですることにしたようだ。止めたんだが、どうしても我慢できないと言うんでな」


「なぜその時に起こしてくれなかった? 誰かが側にいてやらないと、何かあったらどうするんだ」


 おれはダルムントの判断を非難しながら、他人事のようにすやすや眠るニーナのケツを叩いた。


「そうなるだろうと思って、カレンシアに止められた。恥ずかしいから誰にも付いてきて欲しくないと」


 だからといって単独行動を許すなんて……危険すぎるにもほどがあるだろ。おれは唇を噛んだ。


「どっちへ行った?」


「奥だ。来た方の道は、さっきまで泣いていたパーティーが、出ていったばかりだったからな」


「下り階段側か……どのくらい経った?」


「10分ほど」


「よし、トイレに行っただけなら、そんなに遠くまで行ってないはずだ。すぐ探しにいくぞ」


「ちょっと待って、私も行く」


 おれとダルムントが荷物を持って、休息所を出ようとしたとき、ニーナが髪を手櫛で整えながら追いかけてきた。


「すぐ戻るから、ここで待っていてもいいぞ」おれは言った。


 別にニーナが邪魔だというつもりはなかったが、正直なところダルムントと二人きりなら、かなり無茶な戦い方もできる。もちろんその分リスクは高くなるが、今は多少のリスクを取っても時間が惜しかった。


「嫌、ひとりだと……危ないから」


 ニーナは聞き逃してしまいそうなほど、小さな声で呟いた。


 しかし、その言葉におれは、ニーナへの大きな借りと、自分自身への大きな貸しを思い出して、救われようのない罪悪感に苛まれた。


 多くの治療師がそうであるように、ニーナも本来ならこんな弱小チームでは、ひっくり返っても抱えることのできない貴重な人材だ。そんな彼女を、おれみたいなボンクラが幾ばくかの報酬で連れ回せているのには理由がある。とても残酷な理由がな……。


 おれは纏わりついた過去を振り払うようにニーナを手招くと、休息所の外へ続く扉に手をかけた。

 今は人生を顧みるような時間もなければ余裕もない、懺悔ならこの稼業を終えた後でいくらでもしてやる。


「約束、忘れてないからね」


 ニーナはそう呟きながら、おれの真後ろ、カレンシアが加わる以前の定位置に納まった。


「そうだろうと思ったよ」


 おれは扉を開け放つ。約束? 適当に返事してみたが、いったい何の話をしてるのか。おれにはもう、さっぱり思い出せなかった。

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