第15話 ヴンダール迷宮 第2層 ④

「はい、これロドリックの分ね」


 おれが席に着くと、ニーナが油紙に包んだ簡単な食事を配ってくれた。


「大変だったわね」


「ああ、まあな」


「あの人たち、何があったの?」


「いやな、どうも第3層のドライアドにやられて、仲間を失ってしまったらしい」


 おれは本人たちに聞こえないよう、小声で答えた。


「そっか……」


 ニーナも思うところがあるのか、悲しげにまぶたを落とすと、手を会わせて言った。


「聖なる火の導きがあらんことを」


 おれたちも見よう見まねで続く。ニーナの祈りは神々に届くほど強い、きっと願いは叶うだろう。どこの誰だかは知らんが、神々の袂で穏やかに過ごすに違いない。


 10秒――20秒ほど、おれたちはそうしていただろうか。


「じゃあ、食事にしましょ」


 ニーナがそう言って手を叩いたのを合図に、各々が眼前の品に手を伸ばし始めた。


「シェフ、今日の食事は?」


 おれは明らかに豆であろう1品を、執拗に突っつきまわしながら尋ねてみる。


「本日のメニューは塩漬けのひよこ豆と固ゆで卵、そして蜂蜜水です」


 ニーナは笑いを堪えながら、わざとらしく、かしこまった口調で答えた。


 もちろんこれは、おれが豆を好きではないと分かった上での言動だ。

 はにかみながら、楽しそうにおれの反応を観察しているニーナを尻目に、おれはもそもそした豆っころを蜂蜜水で一気に流し込む。


「くそったれ、まるで『白銀宮』顔負けのメニューだな。まさか明日までこの豆を主力に営業を続ける、なんてこと言わないよな?」


「あなた次第よ」


 ニーナはそう言うと、おれがテーブルにこぼした豆を一粒拾って、嫌がるおれの口にねじ込んだ。


「お二人とも、仲がいいですね」


 じゃれあうおれとニーナの姿を見ながら、カレンシアが目を細めて言った。


「別に、ただの腐れ縁よ……」


 その腐れ縁が、お互いの気が向いたときにセックスするだけの関係だってことを指しているのか、それともそれ以上のものを示しているのか、はたまたもっと見当違いな方向を指していたのか。おれにはちっとも想像がつかなかったため、何も答えることができなかった。


 気まずい沈黙が、おれたちの間を流れる――いや、流れてないな。まるで滞留した水面みたいに、どこへも行かず留まってやがる。


「そんなことより、ここからの予定はどうする?」


 淀んだ沈黙の湖上に、助け船を出してくれたのはダルムントだった。下手くそな漕ぎ手だが、これに乗らない理由はない。


「そ、そうだな……日の出までは、まだ時間があるだろうし、いつもどおり本日中に第3層の休息所を目指そうと思ってる。もちろん、時間に余裕があればそこを拠点に探索を続けるし、無ければそのまま一泊して、次の日の出から本格的に始動する」


 それでいいだろ? おれは皆を見た。頷くダルムント、ニーナも特に声は上げなかった。問題があるとすれば……。


「どうだカレンシア、まだ歩けそうか?」


 おれは、いつの間にか船頭となっていたカレンシアの肩を、そっと揺らす。


「え? はい、どうしました?」


 カレンシアがはっと顔を上げた。


 彼女が一瞬だけ見せた表情から、微かに滲む疲労を前にして、おれはようやく自分がとんでもない思い違いをしていたことに気が付いた。

 魔術師にしては体力がある? 思いのほか実戦慣れしている? 何を言ってるんだ。彼女はただ、選択肢がなかっただけだ。記憶も寄る辺もなくした彼女にとって、おれたちに付いていく以外に、居場所を見いだす術なんかあったか? 


「やっぱり、一旦ここで、まとまった休憩をとろう」おれは言った。


「あっそう……じゃあ私は寝るから、先へ進む気になったら起こして」


 ニーナはどことなく不機嫌そうに、手に持ったエーテル時計をおれに投げると、毛布に包まり横になった。


 おれは時計を見る。針は正午過ぎを指していた。今の季節は日に日に夜明けが早くなっているから、有事の際の治療時間を考えると、最低でも第2夜警時までには第3層の休息所に到着しておかなければならない。


「カレンシア、3時間後に起こす。それまでひと眠りしてろ」


「は、はい……」


 急な展開に戸惑いながらも、襲い来る眠気に耐えられなかったのか、カレンシアはスツールを並べて横になると、あっという間に静かな寝息をたて始めた。


「妥当な判断だと思うぞ」


 ダルムントがニヤニヤしながら頷いた。


「何がだ」


「カレンシアのことだ」


「そりゃどっちのこと言ってんだ。ここで仮眠を取ったこと? それとも彼女を仲間として引き取ったことか?」


「どっちもだ」


 ふん、おれはエーテル時計をダルムントに投げつけると、剣を抱えて床に座り込んだ。


「おれもちょっと休む、後は頼んだぞダルムント」


「おう、きっかり3時間後だな」


 ゆっくり目を閉じて、少しだけ故郷や家族のことを思い出しながら、溶けていくように、おれは眠りについた。

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