第13話 ヴンダール迷宮 第2層 ②

「点火!」


 少女の面影を微かに残した、良く通る高い声が部屋に響いた直後、燃え盛る火球が1匹のワーラットを焼き尽くした。


 魔術を使ったのは4人組の中のひとり、まっすぐ肩に落ちる暗い赤毛と、同じ色をしたローブが印象的な女だった。肩には魔術師たちの最大派閥であるティティア派の印章が覗く。多くの新世代型の魔術師に共通して言えることだが、低魔力の割にエーテルのコントロール精度はなかなかのもんだ。


 それに比べて男3人はどうかというと、まあなんというか……酷いもんだった。中立的なコメントは出来そうもないので描写は省くとして、各々が1匹ずつ倒せればマシだろうってレベルだ。


 そんな感じだから、数で劣る探索者たちの隊列はあっという間に崩壊した。若い女魔術師は2発目の『点火』を発動させることは叶わず、ワーラットに追い立てられて悲痛な叫びをあげる。男たちも女魔術師を助けようと必死で剣を振り回すが、目の前の敵を凌ぐので精一杯の様子だ。


 もう1匹、2匹くらい減ったら加勢してもいいか……。


 そんなことを考えながら、ふとカレンシアの方を振り返った時だった。

 隣で震えていたはずの彼女が、翻ったローブの端と、どこか懐かしい残り香を置き去りに、柱の陰から飛び出して行ったのだ。


 鼓動は一瞬で高鳴り、全身の血が凍りついたように四肢を冷たくする。考えている暇などなかった。おれは剣を抜き、カレンシアを追いかけるように飛び出した。


「何勝手なことしてんだ!」


 いくら体力に自信があるといっても、所詮カレンシアは魔術師だ。おれは数歩ほどで追いつき、彼女の首根っこを掴んで地面に跪かせると叫んだ。


「ニーナはこのバカを抑えとけ! ダルムント! ひと暴れするぞ!」


 おれの声に、ダルムントが野太い雄たけびで応える。


 なんで急に飛び出したのか、カレンシアに詰問するのは後回しだ。ワーラットはおれたちを見ている。こうも目立っちまった以上、ここでやっちまうしかない。

 現に、若い女魔術師に覆いかぶさっていた数匹のワーラットが、おれたちに反応して標的を変え始めた。


 手始めに、一番近いおれ目掛けて助走をつけた1匹のワーラットが、勢いをそのままに飛び跳ねた。狙いはおそらくおれの首筋。ぬめりを帯びた牙の間から、よだれがだらりと糸を引くのが見えた。


 おれは上半身を捻ってその攻撃を躱し、同時に肘と手首の力だけで、飛び上がったワーラットの脇下に切先をねじ込んだ。続けて襲い掛かってきたもう1匹も、切り返した剣の柄で殴りつける。


 薄っすらと舞う血煙、そして床に崩れ落ちる2匹のワーラット。


 あっさり返り討ちにあった仲間の姿を見て、動きをピタリと止める3匹目も、おれの後方から飛んできた手斧で頭をかち割られ、あっけなく息絶えた。


「こっちに当てるなよ」おれは言った。


「ニーナじゃあるまいし、そんな間の抜けた失敗はせん」とダルムント。ワーラットの死体から手斧を引き抜くと、床にうずくまってえずく女魔術師を一瞥して続けた。


「おい女、立てるか?」


 女魔術師はびくっと体を震わせると、恐る恐る顔を上げた。


「あ……は、はい」


 幸いにも大きな怪我はなさそうだ。女魔術師は恐怖と喜びに顔をぐしゃぐしゃに歪めながらも、なんとか立ち上がり、おれたちに一礼すると、仲間たちの状況を確認しつつ魔術の詠唱を始めた。


 残りのワーラットは6匹、男3人は傷だらけになりながらもなんとか生き残っている。あとはこの女魔術師が一匹ずつ燃やしていけば、問題なく撃退できるだろう。


「分け前はどうする?」


 ワーラットの半数が消し炭になったころ、ダルムントが思い出したように尋ねてきた。


「少なくともおれらが倒した3匹からは、貰う権利があるはずだ」


「そうだな、では頂くとするか」


 ダルムントは頷くと、腰から取り出したナイフでワーラットの耳を切り取った。おれも同じように、足元で絶命している2匹から耳を引きちぎる。

 これをギルドに持っていけば、討伐証として幾ばくかの金銭と交換することができる。探索済みの階層までしか行くことができず、財宝にありつけない探索者に対する救済措置のようなものらしいが、最近じゃこの制度を悪用するやつらも多いらしい。まあおれも人のこと言えた義理じゃないが。


 そして、3匹分の耳を手にしたおれが、クソみたいな正義感で先走ったカレンシアのことを思い出し、徹底的に叱りつけようという気分になったときには。4人組も無事、すべてのワーラットを片付けることができたようだ。


 大きな歓声と、多大なる喜びに水を差さないよう、おれは大人しくカレンシアとニーナの傍に戻ろうとした。


 いつもそうだが、おれってやつはどうも、求められてない時には一言多く、求められたときには言葉が足りない、なんていう憐れな星の元に生まれてきたらしく。感動的な場面に出くわしたときはテーブルの下に隠れるか、田舎から出てきたばかりの給仕の振りをしながら、静かにその場をあとにするしか不幸を生まぬ方法がなかった。

 それに気づくのに30年かかり、給仕の所作を一通り習得して、田舎から出てきたばかりの給仕から、洗練された給仕長になるまで5年かかった。


 しかし、この日はそれも通用しなかった。信じられないことに、おれは後ろから引き留められてしまったんだ。


「あ、あの……」


 もちろん、どうあっても礼なんて言われる柄じゃないし、言われる筋合いもないと思っていた。

 確かにちょっと手は貸してやったが、それもあくまで最低限だ。ワーラットを倒したのはあいつら4人の功績で、最後まで諦めなかったからこそ起こった奇跡だ。

 探索者はいつだって自分の力で立ち上がる。だから誰かのおかげだなんて卑下する必要はない。迷宮の中では、胸を張って歩いてりゃいいんだ。


「気にするな」


 だからこそおれは振り返らなかった。


「いや、その……」


 だが、あっちも中々強情だってことは認めよう。

 おれとしても、振り返らず生きていく方が格好いいってのは分かっちゃいるが、こうも言い寄られると、たまには立ち止まって感情の流れに身を任せてみるのもいいかもしれないって気になってしまう。なにしろ他人の感謝を受けることなんて、おれみたいな生き方をしていると、そうそうあることじゃないんだ。


 おれは幾ばくかの逡巡の結果、とうとう誘惑に負けて振り返ってしまった。


 4人組のうち、男全員が怪訝な表情でおれを見る中、女魔術師だけが数歩前に立ち、真っすぐおれを見ていた。

 そして目が合うと、たじろぎながらも、震えた声でこう言った。


「そのワーラットの耳、返してくれませんか?」


 おれは久々に女を殴った。

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