第12話 ヴンダール迷宮 第2層 ①

「ようし着いたな。ここからが第2層だ」


 おれはカレンシアの手を取って、最後の一段から足を下ろす。


「ふう、ありがとうございます」


 階段を踏み外さないよう、ずっと下を向いていた彼女は、足が地についたことでようやく安心できたのか、照れ臭そうな顔をあげて感謝の意を示した。


「休息所まではまだ距離がある、もう少し頑張ってもらうぞ」


「はい、頑張ります!」


 進行に関しては、もっと足手まといになると思っていただけに、カレンシアの体力は、本当に嬉しい誤算だった。

 おれは軽く頷き、目の前にそびえ立つ魔獣侵入防止用の巨大な扉の前に立つと、ダルムントと共にゆっくり押し開けた。


 扉の先に見えたのは、馬車2台がすれ違えそうなほど広い廊下だった。

 左右にはアティリア式の巨大な柱が整然と並び、そして、それらの円柱が支える天井には、神秘的なフレスコ画が果てもなく描かれている。


 いつも通りの第2層だ。おれにとってはな。でも記憶のないカレンシアにはさぞや荘厳な景色に見えただろう。現に、薄く口を開いたまま巨大な柱廊に目を奪われて、その場から動けないでいた。


「どうだ、こんな光景、地上じゃお目にかかれないだろ?」


「え? そ、そうなんですね。でも、なんだか私……」


 口よどんで、カレンシアが顎に手を当てた。落とした視線の先に何かがあるわけじゃないのは、おれもすぐ気づいた。


「もしかして、何か思い出したのか?」


「あ、いいえ……でも、なんとなくですけど、どこかで似たような光景を、見たことがある気がして」


 そういうことか――期待外れの返答に、おれは拍子抜けしてしまった。そもそもカレンシアが居たのはここよりも下の階層なんだ。昇降装置を使用したのでもなければ、第2層を見たことがあるのは当然とも言えた。


「まあ、少しずつ思い出していけばいいさ」


 おれはおざなりな言葉を投げると、静まり返った柱廊を進む。


 どんな都市にも言えることだが、こういった柱廊の影には、ゴロツキ、浮浪者、売春婦など、ろくでもないやつらが潜んでいるってのがしきたりだ。もっともここでは、柱廊の影から飛び出してくるのは魔獣か、あるいは同業者のどちらかだが……。


「待て、足音だ。近いぞ」


 柱廊が折り返す地点まで歩いたとき、柱の奥からこちらの方向に走ってくる音が聞こえた。

 数は複数、しかも人間のだけじゃない。おれは手振りで後ろを歩くダルムントとニーナに指示を飛ばすと、カレンシアの手を引いて柱の陰に身を隠した。

 もうかれこれ1年近く一緒にやってきた中だ。ダルムントとニーナも慣れたもんで、おれが隠れた方とは対岸の柱にそれぞれ身を潜めると、静かに武器に手をかけた。


――多いぞ――逃げ――ない――


 足音に混じって、断続的に声が聞こえてくる。


――どうす――後ろが――何匹――


 せぐり上げるような呼吸音、会話すべてが聞き取れたわけではないが、切羽詰まった状況だということは想像できた。

 おれは念のため周囲のエーテルに意識を巡らせて、いつでも魔術が使える状態にしておく。そうしている間にも足音は段々と近くなり――そして、おれたちの目と鼻の先で、突然止まった。


「これ以上逃げ切れねえ! ここで迎え撃つぞ」


「おうし! ぶっ殺してやる!」


 遅れていくつかの足音が止まり、自らを鼓舞するかのような声や怒号が響き渡る。

 始まったな。おれは震えるカレンシアに、心配するなと囁くと、柱の陰からひっそり顔を出し状況を確認してみた。


 見えたのは全部で4人。後姿なので確かなことは言えないが、4人のうち1人は女に見える。こいつが魔術師か、それとも治療師か。


 それに対して、彼らを追ってきたのは探索者の間で〝ワーラット〟と呼ばれている魔獣だった。ここからじゃ正確な数は分からないが、少なくとも5匹以上居るのは確定だ。


 おれは対岸の柱に隠れているダルムントに手信号を送る。

 ダルムントはそれに気づくと肩をすくめて、指をいくつか立てた。

 おれはそれに返事をして、もう一度魔獣どもを見る。


 くそ、ダルムントからは10匹ほど見えているらしい……どうしたもんか。おれは加勢するべきかどうか悩んでいた。


 ワーラット自体は猿とネズミを掛け合わせたような小型の魔獣で、強さの程度もたかが知れている。熟練した探索者が4人もいれば、この数相手でも負けることはないはずだが……。


 仮に、仮にだぞ、こいつらが稀代のヘタレ探索者で、ワーラットを1匹倒すどころか、傷さえも負わせられないまま敗北した場合、次に〝ワーラット〟と戦う可能性のあるおれたちが負担を抱える羽目になる。しかし、このタイミングで加勢して、体力や魔力を無駄に消耗したくもないってのも本音だ。


 結局おれは決断を先送りに、もう少しばかり様子見に徹することにした。


「内より遠く、最も遠く、外より近く、至って近く――」


 そして戦いの火蓋は、一人の魔術師によって、唐突に切られることとなる。

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