第11話 ヴンダール迷宮 第1層 ③

 道程はおおむね順調だと言えた。

 凶暴な魔物に出くわすこともなければ、やけを起こした同業者にからまれることもないまま、おれたちは1時間足らずで第1層の中間地点である休息所まで歩を進めることができた。ただ、ひとつ問題があるとするなら……。


「はい、今日も満員御礼ね。さっさと下層に降りよう。私こんなとこじゃゆっくりできない」


 備え付けの椅子とテーブルが、ビギナーどもによってすっかり占領されているのを見て、ニーナがお決まりの駄々をこね始めた。


 いつもならニーナの我侭に対しては……まあ……できるだけ、抵抗の意を示すところなんだが、今回に限っては、おれも彼女と意見を同じくできそうだった。

 というもの、各階層の要所に備え付けられた休息所の中でも、第1層のはダントツで環境が悪い。いやもっと言うなら民度が悪い。今この瞬間を切り取って見てもそうだ。


 さっさと下層へ行こうと酒を煽りながら息巻く軟弱そうな集団の横で、唐突な自分語りを始めて他のパーティーメンバーを辟易させている女魔術師が、ダルムントに対して色目を使っていたし。


 部屋の奥に備え付けられた簡易祭壇の前では、擦り傷を治すための行列が、部屋を一周して列の先頭に戻ってきてしまったもんだから、そこで順番待ちのいざこざを起こしていた。おれだってこんな場所、しらふじゃ一秒たりとも居たくない。だからといって、こんなしけた場所で酒なんか飲みたくもない。


「俺は構わんぞ。ざっと見た感じ、好みの男は居ないしな」


 ダルムントも異を唱えるつもりはないようだ。


「じゃあ、休憩は第2層の休息所で取ろうか」


 おれはカレンシアを見た。周囲の喧騒に圧倒されていた彼女は、おれの視線に気づくと、慌てて首を縦に振った。最終的な目的地は第3層。素人にとっては険しい道のりだが、彼女の表情からはまだ、疲労の色は感じ取れなかった。


 やはり、歩き慣れているな。

 かび臭い部屋に籠って、一日中アーティファクトを弄くり回している魔術師どもとは違う、実戦型の魔術師だ……。


「よし、出発するぞ」


 問題は、どういう経緯でその体力を身に着けたかってことだが……。

 おれは、きょとんとした瞳で見つめ返してくるカレンシアから視線を外すと、休息所の出口に顎をしゃくった。まあ、詮索するのは、彼女の記憶が戻ってからでも遅くはないだろう。


 おれたちは魔獣侵入防止用の、分厚い鉄板で補強された扉を押し開けると、休息所をあとにした。

 そして、徐々に遠ざかっていく喧騒を背中に、いかにも3流魔術師が使ったって感じの、質の悪い発光魔術が支配する薄暗い通路を右へ左へと、立ち止まることなく進む。

 途中、何度か目の前を大ネズミが横切ったが、さすがに追いかける気にならなかった。


 結局、小1時間ほどは歩いただろうか。ニーナが腰のポーチから、2つめのナッツ袋を取り出した頃、土壁に囲まれた通路の奥から、突然、灰色の石で組まれた部屋がその姿を現した。


「ここだ。ここを下りきった先が、第2層になる」


 部屋の奥には、3人はゆうに並べるほどの幅を持った螺旋階段が、部屋の床に大口を開けて、下層へと続いていた。ここまでの道中と同じくらいか、それ以下の発光魔術が、微かな明かりとなって螺旋の奥へ奥へと等間隔に続いているが、揺れない光が無機質な壁面を照らしだし、余計に周囲の暗がりを、冷たく際立たせているだけだった。


「なんだか、ずいぶん雰囲気が違いますね……」


 今まで歩いてきた洞窟の土壁とは対照的な、大理石にも似た質感の艶やかな壁面を指で撫でながら、カレンシアが呟いた。


「そりゃそうだ。実際はここから下、つまり第2層以降が迷宮の本体部分なんだからな」


 その言葉に、口を薄く開いたままのカレンシアが首をかしげる。おれは続けた。


「発掘された記録を中央政府が解析したところ、第1層が作られたのは第2帝政期、つまり約200年から100年前に過ぎなかったらしい。それに対して第2層以降は、その構造から他の〝遺跡〟と同じく、エゲル紀に作られたもので間違いないと言われている。語り継がれる神話が正しければ、エゲル紀が存在したのは数千年前の話だ」


「じゃあ……ここから先は……」


「ああ、この階段から下は、地上とは全く別の世界だと思ったほうがいい。エゲル紀はまだ、神々が地上を跋扈していたとされる時代だ。そいつらが作った建造物に、おれたち人間の想像の余地が及ぶわけないんだからな」


 ふざけ半分で凄むおれを前に、カレンシアの目が僅かに輝いた。好奇心ってのはいつの時代も人を狂わせる。


「無駄話はいいから、さっさと下りる」


 もう少し脅かしてやろうかとカレンシアと見合っていたが、ニーナから背中を押されて、結局おれはこけそうになりながら、先陣を切るように階段を駆け下りた。笑いながら、それに続く一同。


 しかし、この歩みはそれほど長くは続かなかった。


 階段を下り始めて10分が経過しても、底の見えない長い道のりに、カレンシアが不安を隠せなくなって、立ち止まってしまったからだ。


「あの……あと、どのくらい降りれば、第2層に着くんでしょうか……」


「もうすぐだ。心配するな」おれも足を止める。


 声は螺旋階段の中央、ぽっかりと空いた縦穴に、吸い込まれるように消えていった。


 彼女だけじゃない。おれも初めてこの迷宮へ足を踏み入れたときは、この長い階段にびびっちまって、下りきるのに随分時間がかかったもんだ。


「もうすぐ……ですか?」


 訝しむカレンシアが螺旋の中央から、底部を覗き込もうと身を乗り出した。そのときだった。

 想像よりもずっと色濃く滲む暗闇に驚いてしまったのか、バランスを崩したカレンシアが、小さな悲鳴を上げた。


「危ない!」


 おれは今にも中央の縦穴から、奈落の底へと落ちようとするカレンシアの袖を掴むと、腰に手をまわして抱き寄せた。


「この縦穴から落ちて死ぬマヌケが、毎年後を絶たないってのが謎だったが、こういう理由だったのだな」


 一部始終を見ていたダルムントが、合点がいった様子で呟く。


 おれはおれで、想像よりもずっと細かったカレンシアの腰と、丁度腹の部分に当たる形になった胸の大きさに、思わず笑みをこぼしてしまっていた。


「あ、危なったです……助けていただいて、ありがとう……ございます」


 カレンシアは抱き寄せられたまま、首だけを動かして縦穴の深さを再確認すると、おれの脇に回した手を、きつく握りしめた。


 悪くない展開だった。これが集合住宅のバルコニーとかだったら、ベッドに連れ込む口実も出来たかもしれない。


「カレンシアが嫌がってるでしょ、さっさと離れなさいよ!」


 しかし、現実は非情だ。いつまでもカレンシアの腰から手を離さないおれにしびれを切らしたニーナが、声を荒げて寄ってきた。


「はいはい」


 おれは慌ててカレンシアから離れると、逃げるように先を急いだ。カレンシアもいい教訓を得たのか、こんどは螺旋階段の壁際に沿って下りることにしたようだ。

 

これだけの階段幅だと外径差も馬鹿にならないため、先ほどより更に遅い歩みになるが……まあ、たまにはこんなふうに、ゆっくり進むのもいいだろう。


 おれは下りる速度を緩めて、カレンシアが大きく息を吸う度、何度も、何度でも振り返りながら進んだ。


 おどおどした彼女の瞳の中に、とっくに忘れ去っていた誰かの姿を垣間見ながら。

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