第40話 出会いは永遠 ②

 男はカノキスとはすべてにおいて対照的だった。


 血や泥で汚れた胸当に、腰から下げた幾つもの武器。

 片手には葡萄酒を入れた杯を持ったまま、風を切って歩くせいで、部屋の入口から私たちの所へ来るまでに、その半分は床にこぼしていた。


「ロドリック殿! 何故ここに?」


 カノキスは顔を引きつらせた。


 ロドリックと呼ばれたその男は、構わず歩き続け、私たちの姿をゆっくり舐め回すように観察しながら一周すると、カノキスの隣に立って言った。


「甲乙付けがたいな、やはりヴェステから送られてくる治療師は質がいい。それに我が友カノキスよ、つくづく思うが、お前とは女の趣味が合うようだ」


「ここに来られては困ります!」


「困るとはつれないな、忘れたとは言わせないぞカノキス、次の治療師はおれのクランが最初に選んでいいって話だったろ。約束を守ってもらうぞ」


「それは明日の十人評議会以降の話です! 今ではない! それにもう一つ言わせてもらえるなら“燈の馬”のリーダーは貴方ではなく、フィリス様です。貴方に決定権などないでしょう!」


「それがあるんだな」


 男は胸当ての下から、首にかかった金属板を取り出して、カノキスに見せ付けた。


「昨日のクラン会議で正式に決まった。今のおれは“燈の馬”のリーダー代行だ。もちろんフィリスからクランの全権を託されている。まあつまり、今までと何も変わらないってことだ」


 男は笑いながらカノキスの肩を叩いた。そして顔を背けるカノキスに杯を押し付けて続けた。


「ほら、さっさとこのお嬢様方に、おれのことを紹介してさしあげろ」


 その言葉に観念したのか、カノキスは男の斜め後ろに立ち、私たちにこう告げた。


「こちらの方は、その……探索ギルド所属の探索者で“燈の馬”のリーダー代行の役職にあります、ルキウス・エミリウス・ロドリック様でございます」


「ん? それだけか?」


「いえ……続きます」


 カノキスは葡萄酒を一口飲むと、咳払いの後、ゆっくり続きを述べた。


「ロドリック様は、ヴンダールの8人と呼ばれる伝説の探索者の一人で、ヴンダール迷宮の最深記録を保持し続けている非常に優秀な探索者であります。現在、このパルミニアで最も迷宮踏破を期待されている人物でもありまして――」


「もういい、飽きた、黙れ」


 男は手を上げてカノキスの口を閉ざさせると、私たちの周りを歩きながら話し始めた。


「只今ご紹介に預かりました、ルキウス・エミリウス・ロドリックという者です。長いのでロドリックと呼んでいただいて結構ですよ」


 私は彼の横顔を見つめていた。危険な香りのする男だった。でも、自信に溢れていて、何故か惹かれる。たぶん皆も同じ気持ちだろう、誰一人として彼から目が離せないでいた。きっと、顔が整っているせいだと思うけど。


「早速ですが、あなた方の中から一人を、我がクランにお招きしなければならない。しかし……誰を選ぶか、まだ決めかねていてな。もし、我こそはと思うものが居れば、是非手を上げてみて欲しいんだが」


「質問させてもらってもよろしいでしょうか?」


 ユニアが手を上げた。たわわに実った胸が揺れて、男が思わず口笛を吹いた。


「どうぞ、おっぱいちゃん」


 ユニアのことは皆が大なり小なり妬んでいたから、この失礼な冗談には、ちょっとした笑いが起きた。


「ユニアと申します。勉強不足で申し訳ないのですが、先ほどからおっしゃっている“燈の馬”というクランは、探索ギルドの中ではどのくらいの規模と影響力をお持ちなのでしょうか。そして、もし私たちの誰かが、そのクランに加入した場合、どのようなメリットがおありで?」


「ふむ、良い質問だ。えっと……ユリア?」


「ユニアです」


「失礼、ユニア、まず質問に答えよう。そうだな、我がクランのギルド内での立ち位置だが……おれ自身が答えだと言えば、分かりやすいだろうか――たとえば、薄汚れた服装で、武器を携帯したまま、探索ギルドが招いた客人の前に立っても、一切お咎めなし。なあ、カノキス」


「はい、腹の立つことに。その通りです」


「よし、では続けよう。我がクラン“燈の馬”の加盟人数はギルド内で最大。ギルドの運営方針や迷宮探索の指針について決定権を持つ十人評議会での議席数も、もちろん最大。おれたちのクランに加われば、最高の贅沢ができるし、金で買えないものすら手に入ると言われている」


「お金で買えないものとは?」


 ユニアが瞳を輝かせた。


「そりゃ人それぞれだ。まあ一般論として語るなら、探究心やら好奇心を満たせるってことじゃないか? おれ個人としてはそんなもの、全く興味もなければ、実感もないが」


 男は肩をすくめておどけてみせた。


「まあ! 探究心! 好奇心! すばらしい響きですわね。“私個人としては”贅沢よりもずっと欲して止まないものですわ! これからロドリック様のクランへ案内してくれません? もっとゆっくり話がしたいですわ」


 ユニアは立ち上がり、男の手を取ってみせた。お得意の技がまた始まるのだと思い、私はまた気が重くなった。

 どうせ今回も、みんなユニアを欲しがるに決まってる。ちょっと神様が歯車を狂わせたせいで、あの男が胸の大きい女性を好まない特殊な性癖だったとしても、少なくとも私が選ばれることはないだろう。大勢いる、他の誰かが選ばれるだけだ。


「ああ、ユリアといったか。勘違いさせてしまったなら申し訳ないが、確かにおれは、クランに加わりたい奴は志願しろと言った。だが、そいつを選ぶとまでは言ってないぞ」


 男の言葉に、ユニアの顔が凍りついた。男はユニアの手を引き剥がしながら続ける。


「自分の立場が分かっていないようだから教えてやるけどな、お前らはこれから、探索ギルドやその傘下にあるクランの、都合だったり駆け引きによって、物のように裏で取引される運命なんだ。いや、一見すれば治療師はどこのクランでも大切にされ、丁重に扱われ、まるで自分の自由意志で探索者としてこの街に留まっているように見えるが、実際のところお前ら治療師に選択肢なんて一つもない。自分で選んだはずのコップにはいつも同じ色の葡萄酒が注がれていて、自分で見つけたはずの道にはいつも都合よく里程標が打ち付けられている。お前らみたいな世間知らずの娘っこ、どこへ行ったって同じだ。男に騙され、都合よく使い潰される」


 男はユニアだけじゃない、私たち全員に向って言い放った。


「でも、私は――」


 それでもユニアは、震える声で食い下がろうとしたが、男はそれをも遮った。


「それにおれは、お前みたいな、自分が賢い人間だと思いこんでる女は好きじゃない。でもまあ、顔と体は悪くないから、おれ専用の娼婦でなら雇ってやってもいいぜ」


 男は笑った。これにはさすがに私たちの、誰も笑えなかった。でもカノキスが後ろで笑いを堪えていたのに気づいたときは、胸に暗いものが落ち込んでいくのが分かった。


「以上だ。他に質問がある者はいるか?」


 もう誰も声を上げなかった。


「居ないようだな。ようし、決まったぞカノキス! おれが今回欲しいのはこいつだ。いいな?」


 そして男は選んだ。


「ええ、構いませんとも」


「今すぐ連れて行ってもいいか? 即戦力にしたい」


「まあ……いいでしょう。会議では私から上手く言っておきますよ」


「恩に着る。おい娘! 名を名乗れ」


 しかし辺りは静まり返ったままだった。


 私はじっと俯いて、これからの生活を呪っていた。きっと私は最後まで余るから、最低な生活が待っているのだと。


「無視か、幸先いいな。随分嫌われちまったみたいだ」


「嫌われるのはロドリック殿の専売特許ですからな」


 鼻で笑うような声のあと、足音が近づき、誰かが私の前に跪いた。


 そして、気まずそうに微笑む、その寂しい瞳と目が合った。ドキリとした。綺麗な栗色の瞳、すっきりとした鼻筋、乾いた唇。


「おれと一緒に来てくれないか?」


 私の前に差し出された手は、そのとき確かに震えていた。


 でも私が、その日彼が私たちに放った酷い言葉の裏に隠された、不器用な優しさに気づいたのは、もっとずっと後になってのことだった。

 今はただ、運命とやらに流されるまま、彼の手に触れ、答えるので精一杯だった。


「ニーナ。私の名前は、ニーナよ」


 それが、私とロドリックが、最初に交わした言葉だった。

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